石井映治郎のブログ

日々感じたことをアップップ。

秋の夜長の暖かさ

2012年09月27日 | 日記

皆さまこんばんは、石井映治郎です。

先ほど白石より戻り、帰りの道すがら独り時間しております。

今日は朝から1日歩き通しで、さすがに立ち飲みバールはご遠慮しました。

とても居心地のいい、隠れ家のお店におります。


お店はほんわかとした暖かさ。


…秋の到来ですね。


僕の大好きな季節です。


オレンジ色の灯りが心を解きほぐし、

1日の疲れも穏やかに心地よい。



今日は美容室に行きまして、

ヘアスタイルを変えました。


秋なので、黒髪の気分です。

まあ、傷んだだけという噂も(笑)。


午後は、NHKにて10月放送予定の番組収録の打ち合わせ。



このお店で1日を振り返っていると、何だかいい1日の締めくくりができる気がします。




レッドアイにタバスコを加えた、
お気に入りの一杯に、ミョウガとチーズの塩麹漬け。


覚えたての味ですが、すっかり虜です(笑)。



良い明日になりますように。


皆さまも、ゆっくりとお休みくださいね。




石井映治郎でした。


Graduate.

2012年09月27日 | 日記

皆様深夜です、石井映治郎です。

 

 

今日はとても良い晴れのお天気でしたね。

 

 

 

昨日の火曜日。

 

わたくしがパーソナルトレーニングをさせていただいております方の

大学院の学位記授与式(いわゆる卒業式です)がありまして、

わたくしもお祝いに参列させていただきました。

 

 

午前中に日比谷花壇にブーケを買いに行きました。

 

「どのようなブーケにいたしますか?」と聞かれ、

 

「卒業式なので、そんな感じで。」と申しますと、

 

もう少しイメージを、との事。

 

さてこまった(笑)。

 

何をその方が着られるのかも伺っておりませんし

(外国の女性ですので、もしかしたら母国の伝統着かもしれません。)

はて…と頭をひねりました。

 

 

「!」

 

 

大学院の博士号の授与式です。

シックで落ち着いた感じにしよう、と思いました。

しかも季節は秋への入り口。

そしてその方がいつもトレーニングでお召しのウェアのイメージなどを考え…

 

「グリーンをベースに、一つオレンジ系の花を入れて、

茶とゴールドリボンの包装でシックにお願いします。」

 

出来上がりは、まさにイメージ以上の出来。流石プロフェッショナル。

 

因みに、花をパパパーッと選びアレンジしブーケにするその技。

そしてその時の女性は、多分非の打ち所が無いほどに輝いております。

 

そして出来上がったブーケを片手に、東北大学青葉山キャンパスへと向かいました。

 

 

初めて入るキャンパス。

 

そして式の始まり五分前に会場入りしました。

 

 

厳かでとても神聖な空気を感じました。

 

 

すでに卒業生たちは並んで舞台を見ていますから顔がわかりません。

 

見えるのは背中だけ…。

必死で探すも見つからず。

 

 

 

学長の祝辞、そして代表生による答辞。

 

 

わたくし、まーったく、東北大学にはなんのご縁もございません(泣)が、

もちろん、学生たちのことも、その方以外は誰も存じないのですが。

 

 

感動して、ちょっとウルッと泣いてしまいました。

 

 

ちょこっとシワのあるジャケットに袖を通し、

まだ着慣れないスーツ姿の彼ら若人。

しかしここに到るまでの数々の苦労。

そして今日の凛々しき表情と笑顔。

 

会場を包み込む神聖な空気。

永き伝統と格式の中で受け継がれていく崇高な知。

それは、剣魂華心な若き志士達の情熱と笑顔によってことさらに光り輝き、

それを思うとき、わたくし、思わず感動を覚えてしまったのでございました。

 

 

さて、式を終えて、お目当ての方を探しました。

 

 

すると!!

 

 

 

なんと、彼女は目の前にいたのです!

僕の席の目の前です!

 

 

なんということでしょう(劇的ビフォーアフター調に)!

 

彼女は日本のお着物に袴という姿で参列をしていたのです。

 

 

そしてもう一つ!

 

 

着物の色が緑茶のグリーン。そこにオレンジの小花が小紋柄的にあり、

そして、袴が茶色だったのです。

 

 

まさにブーケの配色ではないですか。

 

このラッキー。

 

贈り物には、サプライズがあればあるほど良いと考える僕にとって、

このシンクロ二シティには、思わず心の中で

「オッケー!!」と握りこぶしをしておりました(笑)。

 

そうして無事にお祝いの言葉とお花も届けることが出来、

無事に式一切は終了したのです。

 

夕方まで会食会や写真撮影会などがあり、お邪魔ながらわたくしも、

ご一緒させていただくことになり、へたくそな英語でコミュニケーション。

その後彼女の研究室を案内していただき、そこでは教授や仲間との

日々の学びの空気を感じさせていただきました。

 

笑いと笑顔の中で、みんなで記念写真を撮るその姿は、

まさに何かをやり遂げた、満面の笑みで一杯でございました。

 

 

立志成就の難しきことは言うに及ばず。

 

そこにたどり着くまでには、

並大抵の苦労ではなかったことでしょう。

 

 

心からの祝福と敬意を表します。

 

 

夕暮れ時、キャンパスの屋上から仙台をバックに写真を撮らせていただきました。

 

今日の日中には母国に一旦ご帰国するとのこと。

 

もしかしたらもう今頃は、紫色の証を誇らしげに見つめるご両親と共に

久々の団らんを楽しんでおられるかもしれませんね。

 

彼女をはじめ、他の院生の皆様、そして関係者の皆様、

本当におめでとうございました!!

 

 

また、素晴らしい式典にご一緒させていただき、本当にありがとうございました。

 

 

 

石井映治郎でした。

 

 


開き直りのほととぎす

2012年09月23日 | 日記
皆さまこんばんは。石井映治郎です。


先ほどのBARで、結局まだ頑張っております。

だんだんと吹きさらしの立ち飲みで腰が痛くなり、

カウンタの椅子に移動しました。


外人さん比率が高いこのお店。


元気が良いなあと、ボーッと傍観する男はかやの外。

まあ、どうでも良いですが。



「席を奥に詰めて移動願えますか?」なんて言われる始末(笑)。


でも全く気にせずに、独りでワインを燻らすふてぶてしさ。


あー。


こんな夜、たまにはいいか。



石井映治郎でした。

Rain

2012年09月23日 | 日記
皆さまこんばんは、石井映治郎です。

皆さま、夕食を終えて、のんびりとした時間をお過ごしのころでしょうか。

僕も今夜は少し気だるく、お気に入りのBAR でボーッとしております。
(バールです。バーではなく。)


皆さま、お気に入りの時間や場所は?と聞かれて、何が思い浮かびますか?

僕はこの、仕事を終えた後の時間。
明日になる直前、この束の間の時間が浮かびます。

思えば僕は、とても幸せな男です。自分の好きなことを仕事にし、職場では沢山の笑顔に出会えます。

そんなことをのんびり考える時間。

美味しいお酒にゆっくりと酔う。



きっと皆さまのお気に入りの時間や場所にも、心地よい時間が流れていることでしょう。





なんて…



(>_<)(ToT)m(__)m




あー…ヒマ(笑)。





みなさーーーーーーん、



カッコつけて書きましたけど、


やっぱり独りで呑むんはしょうにあわなーーーーーい!!







話し相手がいない雨降る日曜夜のバール。




帰ります(笑)。






石井映治郎でした。

Delicacy. 世の中みーんな、デリケート。

2012年09月23日 | 日記

皆様深夜になりました、石井映治郎です。

本日、レディースフィットネス&スパ・カラーズ店に於いて

「スペシャルコアボーディング」を行いました。

沢山の皆様と大汗!でございました。

担当荒井優子、石井映治郎、心より御礼申し上げます!

 

 

またご一緒しましょうね!

 

 

本日は秋分の日。

 

昼と夜の時間が半分!

 

わかりやすくていいですね(笑)。

 

 

 

さて、こんな秋の夜長の始まりには、色々なことを考えます。

 

 

誰しも、自分と違う価値観や他者を理解し受け入れることは、

簡単なようでとても難しいことです。

 

本来これは議論で解消できる事柄ではありません。

 

 

二十代、僕は自分が菩薩の如く大きな心で他人を受け入れる

人間であると自負しておりましたが、それはそれは大きな勘違いでした。

 

三十五を過ぎて感じること。

僕の許容範囲など、例えるならば、ホンの掌二つ分ほどであるということです。

 

ですから、今は、自分の軽はずみな発言によって人さまの何かを

傷つけたりしないかと、いつも自身に問いかけております。

それでも、沢山失敗します。

 

もちろん、逆に浴びることもあります。

 

人の人生にはそれぞれ想像以上にデリケートな一面があるものです。

痛みや恥ずかしさや絶望を味わえば、人生はいとも大きく転換する。

デリケートな一面とはつまり、心の襞。

切り口や環境や名称が違うだけで

それが織り成す感情は、誰しも同じほつれ方をする。

王子も庭師も貴族も市民も男も女もみな同じ。

 

故に時代を超えた名作芸術が尊ばれるのでしょう。

 

そして、名作や芸術には「属性」があります。

 

同じように人間にも個性や多面性や国籍、人種の違いがある。

 

同じでありながら同じではない。

違うけれど似ている。

似ているけれど違う。

「共通」している「普遍性」とは別の「個性」や「人格」があります。

 

それはゆっくりと創られるものであったり、背負うものであったり、様々です。

 

他者のそれらを理解し受け入れるか否かの判断や選択と

それに伴う行動は、わざわざ宣言せずとも、

表面ににじみ出るものであります。

言い換えればそれは、相手への尊厳や畏怖、謙虚さや親愛となって現れるものです。

 

僕は以前、好きか嫌いか、もしくは善悪で議論ばかりしておりました。

でも、「どちらが正しいか」で話し合いをすると、永遠に平行線なのです。

それは「好きか嫌いか善悪か」が根本にあったからです。

必要なのは勝ち負けではなく、考え方の違いを理解しあうこと。

そうすれば自然と、互いの視線は同じ方向に向こうと努力しはじめるのですね。

 

僕がそれを学んだのは、年下の仲間との出来事がきっかけでした。

 

完全に理解しあえれば素晴らしいけれど、そうはいかない事がある。

けれども話し合うことで、今まで味わえなかった「相手への安心感や信頼」が生まれる。

 

また理解し受け入れることは難しいと自負していれば、

自然と発言や態度もつつましくなるというもの。

僕は当時、彼に対して尊大であったという、今も続く反省と自戒をふまえ、

僕にとっては、そのときの記憶はかけがえのない経験であります。

 

 

さて、僕が忌み嫌うものに、「デリカシーの欠如」があります。

(自分のことだろ!と叱られそうですが…)

 

 

世の中当事者にしか解らないことがあります。

 

 

 

面白半分で笑いながら話す人を見て、同じようには笑えないこともあるということです。

 

 

 

運良く訂正を促せた時(殆どは笑って済ます)に戻ってくる言葉。

 

「そんなつもりはなかった」という常套句。

 

そうではなく、言われるまで

「気がつかなかった」だけの話であろうに。

 

 

 

わかったような顔をすることが、余計に相手を傷つけることがあります。

 

「自分だけは理解者。」

よりも

「よくわからないけど何かあれば話してね。」

のほうが救われる場合がある。

 

 

この「デリカシーの欠如」は、本当にどうしようもない厄介な現象です。

これに遭遇すると、大抵心の中は「憤慨」いたします。

しかし、その状況を、「お伝えできない」のが厄介なのです。

だって、相手は面白半分な上「悪気がない」のですから。

 

 

 

皆様、ありませんか?そういう経験。

 

 

 

そんなときには、僕は師に相談をしたり、両親に話したり、

まあそれはそれは凄いことになります(笑)。

 

 

 

そして夜、ひとりごちる。

 

 

 

 

大人の人間関係の距離感として、自分が距離をとられないよう

ああ、こちらも戒めにすればよいのだと。

 

 

そんなところに落ち着いた、未熟者のわたくし(↓)。

 

 

 

石井映治郎でした。