This Is The Way I Am

ただし。が、気まぐれに、日常にて考えていることを綴ってみます。

(無題)

2006年01月31日 22時28分50秒 | Weblog

痛みを覚えた心が思考を停止させた。
何も考えたくなくて、深い眠りに就いた。
自分を守る術を、実は僕は知らなかった。

朝、起きてみたら、空は曇っていた。
重い心が、物理的に身体を重くしていた。
部屋中の照明を点けた。

こんなに「ひとり」を感じたのは久しぶりだ。
気楽でいて、不安定だ。
ここで何をしていても、誰も何も知ることはない。

何か分かりそうな気がする。
でも、何も分かりそうにない。
自問自答を繰り返しては、ため息しか付けずにいる。

友達を見てて、思ったこと。

2006年01月30日 13時50分46秒 | Weblog
信じても、裏切られるかもしれない。
でも、信じてみなければ、何も起こらないかもしれない。

期待しても、裏切られるかもしれない。
でも、期待してみなければ、何も起こらないかもしれない。

ならば、勇気を出して、
信じてみればいいんだと思う。
期待してみればいいんだと思う。

裏切られた時の防御法なんて、知らなくてもいい。
知っていても、それはそれで、別に悪くはない。
自分を守ることは悪くない。
一人で生きているワケじゃない。

裏切られて、信じれなくなったり、期待できなくなったら、
それはそれで、仕方ない。
いつかまた、信じたいと思ったり、期待したいと思ったり、
そんな日が来たら、初めからやり直せばいい。

可能性を捨てちゃいけない。


ゼミ同期=家族

2006年01月29日 13時47分01秒 | Weblog
家族。

ゼミの仲間を、そう呼べるようになったのは、
とても嬉しいことだと思う。
まだ出会って、二年経たないのに、
色々な苦楽を共にして、いつしか一緒にいることが自然になった。

週末で、千葉へと旅に出た。
泊まる先を決めて、後はノープラン。

結局、何をしていたかと言えば、
「貸別荘でまったり」→「鍋」→「温泉」→「酒盛り」
→「鍋」→「トランプ」→「しりとり」→「仮眠」→「フレンチトースト」
ってな具合でした。

せっかく一軒家の貸別荘で、部屋だって四つあったのに、
六人で、ずっと居間にいました。

本当に、食べて、語って、食べて、遊んで(トランプとかしりとりとか)、
そんなことをしていたら、徹夜になり、旅が終わってしまった。
正月に集まる親戚の子達みたいでした。

ちなみに、夜中に、布団にくるまれて、外に行ったんだけど、
星空がきれいだったな。
寒かったし、静か過ぎて怖かったけど、
こんなに星が見えるんだーっていう感動と、
仲間と一緒に布団にくるまって見る星空なんて、
あとどれくらいしか残ってないんだろう…ってセンチメンタルな感動と。
じんじんしてました。
心が。

今回は全員揃わなかったけど、
ゼミ同期全員で旅することが出来たらよかったな、と、帰ってきて思いました。

THE 有頂天ホテル

2006年01月27日 03時17分38秒 | Weblog
映画を観てきた。
流石、大ヒットしてるってだけあって、素晴らしい!
感動した、とか、全然飽きることなく…、とか、
そういうのとは、ちょっと違うかな。
正直、中だるみ、みたいなのは、感じたし。

でも、何よりも、
発想、脚本、演出、総合演出が凄かった。
群像劇の理想ってこれだな、って思った。

あと、ホテルを題材にしていて、
半分以上のキャストが、ホテルで働く役どころだから、
「なるほどね」って思うシーンも、多々あった。

この映画の一番好きだった点は、
ミュージカルなノリだったところ。
そのまま、すぐに歌いだしそう!っていうシーンが多かった。
実際、挿入歌みたいなものも、あったし。
そういう楽しいテンポとノリが、心地よかった。

映画館から出てきて、
何ともなしに、歌を歌っちゃう自分が、
映画に満足したことを、何よりもアピールしていました。

素直すぎて、素直になれないところ。の続き

2006年01月26日 03時13分22秒 | Weblog
「愛してる」ってのも、なかなか言えない。

それは、多分、「愛してる」って言う言葉を、
リアルに感じて、聞いたことがないからだと思う。

「I love you」なら言える。
アメリカにいた頃、そこら中に溢れてたから、
「あぁ、きっとこういうのが、I love youな気持ちなんだな」って分かった。
でも、「愛してる」なんて、
日本では、劇的だし、台詞だし、
やたら歌の中でかっこよく歌われるような歌詞だし。

というわけで、「愛してる」とは、なかなか言えないわけです。
だって、気持ち入らないもん。
お飾りの言葉は要らないんだ。

素直すぎて、素直になれないところ。

2006年01月25日 03時10分16秒 | Weblog
僕は、割と人の気持ちが解る。
「あ、きっと話を聞いてほしいんだな」とか。
「あ、成功話を自慢したいんだな」とか。

そういう時、どうでもいい人ほど、
素直に、相手の求めるままに、行動する。
「凄いですよ! やっぱり、●●さんは凄いです!」みたいな。
安い店のキャバ嬢なら、なれるんじゃないか?って思う。
本気で。
ホステスは、無理だけど。
本気で。


でも、逆に、自分にとって、どうでもよくない人ほど、
僕は素直になりすぎて、素直じゃなくなる。
自分の正直な気持ちに添いたくて、
相手の求めることに応えられなくなる。

女の子といる時ほど、そういう想いは強くなるかもしれない。
特に付き合っている場合は、その相手には、誤解を招かれるほど、
不器用になり、求められていることに動揺してしまう。

例えば、「一生、側にいてくれる?」って訊かれたとして、
「一生、側にいてやるから」って言葉を相手の子が求めている時、
素直に、その言葉を言えば、円満だし、相手は満たされるのに、
そういった言葉を言えるほど、僕の口は上手く廻らない。
「今は…一生、側にいたいって思ってるけど…」となる。
だって、三年後のことなんて、分からないもん。
今は大・大・大・大・大好きで、「一生、側にいたい!」って思ってても、
「一生」を約束出来る人間なんて、自分には自分以外にいない。
無理だと分かっていることを、相手を満足させたいが為に、
本音と違わないように喋るのは、辛い。
結果、素直に相手の要望に応えられず、
不器用に、「側にいたいと今は思うよ」って言葉に収まる。
ドラマとかで、たまに見るけど、
「『一生、側にいてやる』とか言えないの? そのくらい言いなさいよ!」
なんて相手だと、本当に困る。
困っている、ちょっと弱い男の役の気持ちが、ブラウン管を通して、僕には解る。

他にも、「お前を守ってやるから」とか、言えない。
「お前だけを見てる」とかも言えない。
「お前のことだけを考えてる」とかも言えない。
言ったら、全部、台詞になっちゃう。
何気に上手く言いこなせる気もするけど、
絶対に、心の底から、素のままでは言えない。


僕は、日常的に、口がスラスラと動く方だから、
なおさら、そういった悩みを持つのかもしれない。
自分の本音と、自分の口とのギャップに苦しむ。
現実的なのかな。

これがお客さんだったら、何でも多分、言えるのだと思う。
満足させて、お金を貰っているのだから、
ある意味、役者として、相手に合う役を演じてしまう。


だったら、キャバ嬢になればよかった…って、本気で思う。
あーぁ、って。
男に生まれたことを嘆くのは、そんな時だけかな。

ちなみに、男だけど、ホストは無理。
お酒をグビグビ飲めないし、
顔が良くないし。


締まりが悪いけど、
素直すぎて、素直になれないコンプレックスについて、でした。

高校生時代の自分を振り返ると

2006年01月24日 15時43分37秒 | Weblog
高校生の時の思い出。

母校はバリバリの進学校だったけど、
僕は、まぁ、勉強の出来る落ちこぼれ、だったらしいです。はい。笑。

当時の友達と話していると、
「え? そんなことしたっけなぁ?」って思う反面、
「まぁ、してても、おかしくないなぁ」って自分を再確認させられます。

数学の教師に、授業中に手を挙げて、
「先生の答え、間違ってませんか? 僕はそうは思わないんですけど」
って堂々と聞いて、授業を止めちゃったり。
(結局は自分が間違ってたんだけど。
 でも先生だって間違えるもの、と当然に思っていた。)

「この授業、つまんないし、自分の人生の時間の無駄」って言って、
ひとりで空いた教室で時間潰してたり。
(どんなに不良ぶってたクラスメートも、サボリはしなかったようです。)

「先生は、これを教えることに、何の意義があると思いますか?」
って笑顔で、難しい問いかけをしてみたり。
(でも、純粋に、聞きたかっただけ。)

「先生の授業、受けてても、意味ないですよ」って言って、
マッチョで強いって有名な英語の先生を泣かせちゃったり。
(これで、随分と有名になっちゃって、校長室にも呼び出されたなぁ。)

テストはいつも15分くらいで終わっちゃって、
テスト用紙に絵を書いたり、文章を逆さ文字で書いたりして、遊んでたり。
(だって出来る科目はワケなく出来たし、出来ない科目は出来なかったし。)

・・・。


要するに、僕にとっては、
高校時代の勉強とか学校とかっていうのは、
合ってなかったんじゃないかな?って思います。

まず、点数で計られるのが、好きじゃなかったしな。
でも、進学校では、それが命でしょ?
偏差値とか、テストの点数とか。
だって、英語で100点取ったから、偉いの?って感じだったし、
歴史で29点だったからって、何で怒られなくちゃいけないの?って疑問だった。
そもそも何でオールマイティに何でもやらせようとするの!?って。
(だから大学も、自分に合ったやり方で、自分に合った大学に入ったと思う。)

同じ頃、学校に編入した友達で、
ずば抜けて頭が良くて(つまり勤勉・努力家で)、
先生にも、周りにも、親達にも期待されすぎちゃって、
だけど、人間関係が上手くいかなくて、
最終的にノイローゼみたいになっちゃった子がいたけど、
その子はいつも言ってた。
「少しくらい馬鹿でもいいから、ただしみたいに、友達と騒げたらな」って。

でも、周りは、「彼みたいになりなさい」って模範生みたいに扱ってたり。
最終的には、ノイローゼ気味になっちゃって、
「可哀想ね」って同情の色で終わったけど。

僕は彼に同情はしないし、
自分を変える努力もせずに、甘えたこと言ってんなよ、
って結構、冷静に見てた。
表面上で彼を取り巻いていた人たちが、彼の機嫌を取るために、
僕に悪戯をしてみたりね。
で、あとからこっそり謝ってきたり。
「くっだらないなぁ、ほんと。」って思ってたのが、正直なところかもしれません。


所謂、「ぷっつん」状態じゃないけど、
皆から理解されないように振舞っていたのは、
今考えてみれば、僕なりの自分を守る方法だったのかなぁ、って思います。

僕の論理とか人生論とかで語ってしまえば、
きっと誰も僕に勝てなかったと思うから。
「勝負」ではないけど、誰も自分の土俵に乗ろうとしなかった。
僕の目に映るものが、どういった世界なのかを見もしないで、
好き勝手言われてばかりだったから、
どこかふざけて、「僕、難しいことは、解りませーん」って顔して、
そうやって、距離を取って、自分の立場を確保してきたのかなぁ、って、
久しぶりに昔を振り返って、そう思いました。


大学に入ってからは、そういうこともする必要がないし、
誰も点数とかで僕を計りはしないし、
もっと多様な目で僕を見てくれていると信じられる。

これから、学歴とか業績とかでジャッジされるだろうけど、
それ以上に人間としての資質がモノをいう社会に入ろうとしているので、
そんなに心配はしていない。

そう考えると、高校時代の独特な社会は、
やっぱり僕の資質には適していなかったんだろうな、って思います。
「どして、そんなやってることのレベルが低いの? くだらないの?」って、
多分、自分自身を違う視点に置いて、皆を眺めてたんだと思う。


それでも、心を通わせることのできる友達と出逢えて、
その友情とか絆みたいなものは残っているわけだし、
今の自分をつかさどる大切な年月だったのかな、って、
肯定的に、捉えて、当時を思い返すことが出来ます。


成長したぜ、おいらも。ふう。
長く書いたぜ、今日も。ふう。

解り合うことの、難しさ

2006年01月24日 02時25分09秒 | Weblog

寒い、真冬の夜中に、
外で突っ立って、三時間、話していた。
感覚の失われていく指先に、
時折、受話器越しに聞こえる彼女の涙声が、胸を締め付けるけど、
でも、理解し合わなくちゃいけない、事態だった。

僕は役者だから、
その気になれば、
相手の要望に則して、振舞うことも出来るだろう。

でも、一番に自分自身の素を知ってほしい人だから、
求められている言葉を、台詞で言うことは、したくない。

時には傷つけあったとしても、
あるいは、遠回りをしようとも、
誠実でありたい、素直でありたい、正直でありたい。
そう思う自分は、何て不器用なんだ、とつくづく思う。

普段、器用に、自分の思いのままに振舞っている分だけ、
一番深いところを伝える時に、痛みが伴う。

加えて、本当の奥底にある価値観や人生論は、
そうそう容易く理解し合えるものでもない。
でも、伝える努力と、それを受け取る努力がなければ、
肌の触れ合いと、くすぐり合いにしか、ならない。
肌を突き破って、肉を通り越して、
芯の部分で触れ合っていたいと思うから、
今、この時だけの、痛みなど、簡単に耐えることが出来よう。

自分に出来ることは、
伝えようとすることだけ。
自分に出来ることは、
伝えたと信じることだけ。

それを見失いたく、ない。

それが、解り合うことの、難しさ。

高校生みたいな遊び方。

2006年01月23日 23時56分03秒 | Weblog
今日は、日記風味です。
昨日もそうだったけど。

ゼミの仲間とスケートしてきました。
アイススケート。
フィギュアスケートがブームになって、
「テレビを見てると、自分も四回転くらい出来る気になるよね」
って、突拍子もないことを言うゼミの同期の一言で、
「よし!皆でアイススケートしよう!」ってことになったのです。

昔、アメリカにいた頃に、
父親の知人の家の庭に大きな湖があって、
夏はボート漕ぎ、冬はスケートを習ってたのね。
で、ボート漕ぎは、相当上手くなったんだけど、
スケートは、なかなか好きになれなくて。
ってか、怖くて。

ちなみに、ローラーブレードっていう、
地上でのスケートみたいなものも、
当時好きだった女の子に手取り足取り教えてもらってたんだけど、
全然上手くならなくて。
でも、手を繋いで滑れるから、頑張ってたという、
健気ながらに、下心満載だった十代前半のワタクシ・・・。

んなわけで、今日も「出来るかなぁ」って緊張しながら行きました。
ぎゃーぎゃー騒ぎながら、何とか滑ってきました。

でも、うん、カッコ良い男は、演じられない、スケート場では。


とりあえず一通り遊んだ後、
今度はデパートの食堂みたいなところで、
(「フードコート」とか呼ばれるところ)
ラーメンを食べました。
別にこだわりがありそうなラーメンでも何でもないんだけど、
寒かったから熱いものを食べたかったし、値段も安かったし、
ズズズッとすすりながら、皆でわいわい喋りたかったし。


で、お腹を満たした後は、ゲーセンへ。
ゲーセンで遊ぶなんて、久しぶりすぎるくらいに、久しぶりだよ。
UFOキャッチャーにトライして(結果、スヌーピーゲット!)、
プリクラを撮って(6人で超騒いだ!)、
カーレースでおおはしゃぎして、声を嗄らし…。


ゼミの仲間とは、本当に良い仲になったなぁ、って思います。
ってか、ここでも「素」でいられることが、僕は嬉しい。
そして、同じように楽しめる仲間に出会えたことは、
これまた、昨日の日記じゃないけど、人生の宝物だと思う。

今週末は、またゼミの皆で旅行に行くし。
今日も、夜、お茶をしながら、今後のプランを立てて、
もっともっと青春っぽい遊びを企画していこうね!って盛り上がったのでした。


ところで、「制服で遊ぼう」って案も出たけど、
流石に皆でさり気なく却下した。
「痛いよー」って。

でも、その代わりに、って言ったら変だけど、
「キャンパスでドロケー」とか、
「大縄跳び」とか、
「変顔写真を集めて写真集作る」とか、
やっぱり気持ちが若い企画が色々と発案されてゆきました。


残りの大学生活も、思う存分、楽しんでいかなくては!!

「就活アドバイス」したら、同窓会になって、友達の存在を再確認した、という一日。

2006年01月22日 23時57分54秒 | Weblog
就活生の相談に乗ってあげて欲しい、
ということで、品川に出かけた。
高校時代の友人Yの頼みだから、断れるはずがない。
同時に、「どんなことを話すんだろう、自分は」と、
自分に期待して引き受けた、というのも事実だ。

駅で二年ぶりに高校時代の友Sと再会する。
こないだ会ったのは、僕が早稲田の舞台に立っていた時。
もう二年前の冬だ。
彼の家に泊まって、彼の家から舞台の本番に向かった。
まだ眠る彼に、「ありがとね、泊めてくれて」って言い残して、
それきり二年間会っていなかった。

なのに。
まるで、昨日も遊んでいたかのような、波長。
これが嬉しい。
スッと、あの頃に戻れる。
お互いに、基本的にどこでも「素」なので、当たり前かもしれないけど、
久しぶりの再会を気取ることは一切ない。
「元気してた?」もなく、「変わってないじゃん」もなく、
ごく普通に「お前、遅ぇーよ」と叱られ、
次には「じゃ、どこ行こうか」って、就活生の彼女を挟んで歩く。
まるで、昨日も遊んでいたかのような、波長。
これがやっぱり嬉しい。

就活生の彼女(Kちゃん)に「就活とは。」みたいな話をしている最中に、
「あぁ、皆、成長したんだな」って思った。
SもYも、以前より、ずっとずっと物事をしっかり見極めている。
テンションと、会話のノリと、くだらないことで笑うところは、変わらない。
でも、確実に、色々な世界を見てきたんだな、
色々な経験を踏んできたんだな、ということが分かる。
久しぶりに会うからこそ、感じるのかもしれない。
Kちゃんに真面目に話す二人を見て、嬉しくなった。

ところで、Kちゃんは、僕をネット上で見たらしく、
(就活応援サイト『日●ナビ』に僕は大きく載っているのです。
 インタビュー記事と共に。写真付きで。ホテル業界特集で。きゃー。)
「わぁ、すごい、すごい、本物だ、見た通りだ」と騒いでました。
自分の知らない人が自分を知ってるって、改めて「凄いな」って思った。
しかも、真面目なバージョンの僕が掲載されているわけだから、
そのイメージって、自分が思っているよりも、凄いんだろうな、とも思った。

三時間ほどコーヒーを飲みながら、就活アドバイスみたいなことをして、
Kちゃんを見送りました。
そして、居酒屋でプチ同窓会を。三人で。
いや~、楽しかったっす。

僕の高校時代の話は、またいつか書くとして、
「お前、本当に、あの頃から、変わってたよな」って言われ続けた。
二人とも、僕が覚えていないことまで、記憶してたりして、
「へー、そうだったんだ」って思い出さされたこともあったし、
実は皆が知らなかった僕だけが知る裏の事情を暴露したり。
実は平和そうに見えてた僕の周りにも、
色々と黒いものが溢れていたんだよって暴露したら、
二人とも、「全く知らなかった」と、驚いていました。

また改めて、時間のある時に、集まろう!って約束して、
本当に、すぐ近くに会うかのように、品川駅で手を振って別れた。

こういう友達って、心強い。
そして、僕の財産だと思う。

雪が降った朝

2006年01月21日 23時39分32秒 | Weblog
大雪が降った。
朝、起きたら、一面が白い世界だった。
こんなに雪が降るのは、久しぶりのことだ。
「東京に雪が降る」
その天気予報の言葉を信じずに最近は過ごしていたが、
とうとう、世界が白く染まるほどの雪が降った。

とにかく眩しい。
雪景色は綺麗で好きなのだが、目の奥が痛くなるような眩しさがある。
僕は、この痛みが、あまり得意ではないので、
似合わないことは承知だが、サングラスを持って、家を出る。

まだ10:30だというのに、子供達がはしゃいでいる。
子供達は、自分の身体と同じくらいの大きさの玉を作っている。
雪だるまなんて、最後に作ったのは、いつだったかな。
微笑ましい光景に、思わず、口元が歪んでしまう。
子供は、いつだって、可愛らしい。
一生懸命な頬っぺたが、ピンク色に染まる。

まだ幼稚園生だった頃だろうか。
大雪が降った。
父親と一緒に、家の前にかまくらを作った。
「かまくら」と言っても、たいした大きさはなく、
子供だった僕がギリギリ入れるくらいの大きさだった。
隣には、僕と同じくらいの背丈の雪だるまを作った。
寒かったけれど、温かかった。
きっと、その頃の僕の頬っぺたも、ピンク色に染まっていた。

「僕にも可愛かった頃があったなぁ」って思い出して、
そんな些細な自画自賛に嬉しくなりながら、
寒さに震え、駅へと急いだ。
駆け込んだ電車の中は、温かかった。

芝居

2006年01月21日 23時25分07秒 | Weblog
褪めた世界を見つけてしまう
今日もまた 同じように
そしてサングラスに手を伸ばす
視界が歪んだ色を認識する前に

心のない言葉が行き交う
今日もまた 同じように 
そしてイアホンに大音量を
聴覚が歪んだ音を認識する前に

冷めた熱意でダンスを踊る
今日もまた 同じように
そして世界を遮断する
世界から遮断される前に

脈の打たない心のままで
いつから僕は踊れるようになったんだろう
熱を持たない心のままで
いつから僕は歌えるようになったんだろう



君の前で偽れない僕に
そっと安堵の息をもらす

脈が早まる心の記憶を
熱を帯びてく心の記憶を

その記憶の再現を握りしめれば
茨の海さえ歩いていける気がしてる

11歳の冬の思い出

2006年01月21日 04時15分29秒 | Weblog
最期の切り札 を手にしたとき
強くなれた 気がした
もう何も怖れない と
心に決めるまでもなく 誓った

目の前に広がる すべての景色は
いつのまに 色彩を失った のか
目の前に並んだ すべての笑顔は
いつのまに 凶器にしか 映らなくなったのか

いつでも降りる準備は整っている
この 長く 短い レースの途中で

世界を停止させる術 をも覚えた
この手を ほんの少し 汚す ことで

すべては きっと この手にある

すべては きっと この手にある

愛や 未来や 希望 と共に
すべてを終わらせるスイッチ も共に

明日 息をしてない自分 の肉体が
生ゴミ のように 転がっていても
なにひとつ おかしなことは 無い
涙すら もう 体温を感じない

すべては きっと この手にある
すべては きっと この手にある

もう何も 怖くなんてない
ただ前へ 進める限りに 進めばいいだけ



セックス、というか、性教育、というか、make loveについて。

2006年01月20日 02時36分13秒 | Weblog
別にどうでもいいことなんだけど、
「make love」って良い言い方だな、って思った。
「you wanna make love?」って、良い誘い方だな、って。

というわけで、今日は、セックスについて。
というか、「性」について、にしようかな。


性教育って、日本では、あまりやらないものなのかな?

僕は、初めて性教育を受けたのが、アメリカで、
小学校5年生の時だったから、日本の小学校のカリキュラムを知らないけど。

僕が通ってたアメリカの学校では、
男の子と、女の子で、教室を別にして、
それぞれに先生が映像みたいのを流して、生徒達が見てた。
ちなみに、先生は皆、女性だったなぁ。
でも、恥ずかしい、みたいな感じは、全く無くて、
結構、明るい感じで、説明を受けたなぁ。
英語はほとんど分からなかったけど、
内容的には「成長していく身体の変化」みたいなことを習いました。

で、その後、匿名で、皆で、質問メモ紙を箱に入れていって、
先生が、手を入れて、くじ引きみたいに、紙を引いて、
それに書かれてる悩みとか質問とかに答えてたな。
僕は、ここでも英語が分からなかったけど、
結構、明るい雰囲気だったのを覚えています。

次に習ったのは、中学一年生の時。
これは、男女一緒の教室で、皆でアニメみたいなのを見た。
セックスについて、とか、避妊について、とか、やってたかな。
で、絵だったけど、結構リアルに身体の仕組みとかを説明されて、
やっぱり、ここでも、質問タイムみたいなのがあったな。


日本に帰国してからは、男子校に入っちゃったから、
『保健体育』みたいな教科書でしか、授業を受けなかったけど、
正直、「遅いよ…、今更かよ…」みたいな印象を受けました。
「成長すると身体に変化が生じ、これを第二次成長と呼ぶ…」みたいな、
いわゆる、教科書文章を音読させられたなぁ。
でも、皆、とっくのとうに身体は成長してたはずで、
きっと「知ってるよ…」って感じだったと思う。

その時に、男子校の授業ではあったけど、
一応、女性の身体の仕組みとか、避妊の方法とか、習ったはずだけど、
正直、あまり記憶にないっす。
文章で説明されても、よく分かんないし…って感じでした。


もっと、リアルな性教育を施してほしかったなぁ、というのが感想です。
今の学校では、どういった性教育をしているのか、分からないけど、
男の子なら、男の先生に、きっちり教えてもらうべきことが、多々あるはずだし、
女の子なら、女の先生に、色々と実体験を踏まえて教えてもらうべきだと思う。
そこに、恥ずかしい、みたいな感情は、勿論、不必要で、
さわいじゃったり、ふざけちゃったりしたとしても、
印象が残るように、大切なことが伝わるように、
きちんと大人が考えて、教えるべきじゃないかなぁ、って思う。


遊びのセックスで危険な橋を渡る…っていうのも怖いけど、
真面目に、真剣に、セックスと向かい合って、
それでも、知識も何も無くて、危険なことをしちゃう人も多いんじゃないか、
と僕は情報の溢れる社会に生きていて、強く思う。
「避妊」ってひとつを取ったって、初めての時、僕はめちゃくちゃ緊張したし。
しかも、女の子にそういう知識がなかったりすると、「おいおい」って思うし。
「彼氏に任せてる」っていう人が意外に多くて、吃驚する。


「make love」って表現があるように、
セックスが、愛を築くためにも存在するなら(←凄い美しく麗しい表現・笑)、
やっぱり、技術とか知識とか、必要なんじゃないかなぁ、って、
僕は、思ったりするのです。

その上で、共に、快楽を知ったり、相手を知ったり、
深いところで結ばれることが出来れば、理想じゃないか、と。


ちなみに、僕が知ってる、フランス語は、
「ぶれぶくしぇあべくもあせそわ」ってやつで、
「今夜、一緒に寝ない?」って意味らしいです。
映画『ムーラン・ルージュ』の主題歌で歌われてて、
意味分からずに大声で歌ってたら、
大学一年生の頃に、フランス語をやってる友達に、
「それ、女の子に歌っちゃ、危険だよ」って意味を教わりました。


ひぇぇ…。


…。

ちゃんちゃん♪

僕の尊敬する仲間・Ⅰ君。

2006年01月19日 12時26分03秒 | Weblog

日記に書いている時間が行ったり来たりだけど、
18日の昼に、I君と会いました。
彼は今、社会人なんだけど、
僕が大学二年生の頃から、仲良くしてもらっている人。
ミュージカル仲間です。

彼から17日の夜に、突然電話がかかってきて、
「明日、会わない?」と誘われ、田町のキャンパス付近でランチしました。
会社で休みを取ったらしい。


彼は、本当に、ミュージカルの国から来た、王子様みたいな人です。
キラキラしてるの。
いや、今は社会人だから、ちょっとキラキラが隠れちゃってるけど、
本当に、初めて会った時は、圧倒されました。
「わー、こんな人が、いるんだ!!」って。

彼主演のミュージカル作品二つで、
僕はいずれの作品でも、すぐ近くの脇役を演じさせてもらったんだけど、
共演するのが、いつも楽しい人なのです。
「よし、二枚目は、彼に任せた! 俺は三枚目に徹する!」って、
そういう信頼を置ける人。
そういう意味で、僕の新しい境地を開いてくれた人。


そんな彼と僕ですが、
意外にも、二人で会ったのは、初めてで、
短い間だったけど、色々な話をしました。
うん、楽しかったな、純粋に。

いつもは、楽しくワイワイと皆でいることが多いけど、
二人だから、楽しい話から、真面目な話、辛い話まで、
色々なことを話せた気がする。
社会人としての苦悩も、ちらほら見えて、
「愚痴ってもいいんだよー」と思うけれど、
彼の性格からして、あまり愚痴ったりしないんだろうな。
年下の僕が言うのも変だけど、
そういうところが、また、僕には「大人だな」って思えて、尊敬です。


もう僕は舞台に立つことはないけれど、
やっぱり一緒に舞台に立ちたいなぁ、と、
会う度に思わせてくれる人です。
もう一度、彼の隣で、脇役を演じたいなぁ、と。

僕が社会人になって、彼の社会人としての苦悩とかが、ちょっと分かったら、
一緒に杯を交わして、語らせてもらいたいなぁ、って思ったのでした。


ちなみに。
彼は、めちゃくちゃ読書家です。
今日判明した。
かなりの量を読んで、かなりの知識を蓄えているぞ。
見習わなければ。