数年前、ホテルを辞めた時は、
組織、というものを分かっていなかった。
個人的な感情で、退社した。
「慶応卒なんだから、何もしなくても数年後には、
キャリアアップしているよ。今は耐えろ。」
といった周りの言葉に、失望したのも、一因だ。
あるいは、会社のきちんと説明せず、
感情で事態を語って、うまく丸め込もう、という姿勢に、
失望したのも、一因かもしれない。
要するに、もっと自分を見てほしかったのだ。
一会社員としてではなく、渡辺整という人間を見てくれ、と。
仕事ができる、できない、関係なく、
どんな想いで仕事に向き合っているかを見てくれ、と。
組織に対して、無謀な要望をぶつけていたのだと思う。
会社の中で、大きな変化があって、
自分たちの肩書きもキャリアプランも、大きく変動した。
その際も、「僕を見てくれ」としか思っていなかったのだろう。
その反動で、誠意のない会社の対応に苛立っていた。
今思えば、あれは会社としては、無難な対応だったのだけど。
そう・・・今では、違う視点で観れるだろう。
組織は組織だ、ということだ。
ひとりひとりの人間が信じていなくても、
大人数の人間が集まり、考え、
何が皆の為のBESTかを探る内に、
個々人の幸せを少しだけ剥ぎ取りつつ、
全員が大きな幸せへたどり着けるような解決策を見出す。
常に軌道修正は欠かせない。
その狭間で、それぞれの人間の人生に生じる、
多少のほころびは、仕方がない。
当時の僕には、それはわからなかった。
まぁ、今もわからないけれど。
数ヶ月前、会社を辞めよう、と思った時、
原因のひとつは、「組織に属することに疲れた」だった。
組織としても個人としても、幸せにしよう、ともがき、
自分にできることを全て羅列して、
ありとあらゆる可能性を考えて行動してきたけど、
ふと周りを見回したら、がむしゃらに孤独だった。
「そんなものだ」と諦めている人、
「諦めて当然だ」とさらに諦めている人、
あるいは、はなから「どうにもならない」と諦めている人。
とにかく、諦めている人が多いことに愕然とし、
諦めを認めずに、頂点を目指そうとする自分は、
何に向かって走り続けたのだろう、と見失った。
いつから周りから逸脱していたのだろう、と。
組織、は怖い。
個々人の想いや意見、生き方とは別に、
個々人の集まりは、想いや歩むべき路を決め、
少しづつ、でも確かに、進んでしまう。
組織を動かすのも人だし、それは確かだけど、
だけど、人を牛耳るのも組織だな、と思った。
そんな組織に属しながら、居場所がなくなっていった。
協調性がなかったのかな。
個人でやっていこう、と思った。
これまでも、「渡辺さんなら」と言われてきたじゃないか。
会社の名前よりも、個人の名前で呼ばれた方が多いなら、
その自分の名前を看板にして、頑張ってみよう、と思った。
もともと、大金持ちになりたかったわけでもない。
もっとドラマチックに、繊細に、楽しく、紆余曲折ありつつ、
それでも自分らしく生きたかったのだ。
明日死んでも後悔しない、そんな生き方をしたくて、
組織の中で、「もっともっと」とBESTを求めたけど、
そんなんじゃ、いつだって後悔だらけだな、と気がついた。
組織に属しながら、居場所はないんだし。
なら、個人でやってみても、変わらないのではないか?と思った。
むしろ、いいかも、と。
最近、再会する人に、「顔が変わった」と言われることが増えた。
「なんか、輝きだした」とか、「丸くなった」とか。
テカっているだけじゃないの? 太った? と返すけれど、
とても嬉しい言葉をもらっていると思う。
毎日、「あれ、こんなに浪費して大丈夫だっけ?」と焦り、
サラリーのない生活が始まったことに、多少怯えているものの、
気持ちはスッキリしている。
もっと早く飛び出せば良かった、と思う。
でも、必要な時間だったのだ、とも。
組織というものを自分の中で整理しなくちゃいけなかったからね。
そして、振り返れば、何も変わっていない。
大学卒業した時の僕から成長もしていない。
ただ、少しだけ世の中を知った、ということだ。
それが大事だったのだと思う。
・・・別に何を書こう、としたわけではないけれど、
ふとパソコンに向かったので、記してみた。
同じ道を歩む人間としてなにも言えない事に申し訳なく思うよ。
ただ、後悔したくない。てか、しない。
いつか、笑おう!