KOfyの「倍行く」人生

バイクで人生を“2倍”楽しみたい。勝手気ままな日記代わりの備忘録。

学校法人の最後の一人が退職

2019年08月02日 | お仕事あれこれ
7月31日に、Tn君からメールが来ました。
宛先は、2月末で退職して東京に行かれたNkさん、5月末で任期満了で退任されたOiさんです。
私を含めた4名は元の会社の先輩後輩の関係で、昔から知っているメンバーです。


理事長の大学時代の同期が、元の会社の常務を務められたOkさんで、
理事長の改革路線をサポートするために3年前に学校法人の理事に就任され、
そのOkさんの改革推進役として、まずNkさんが入職され、その1年後に
Nkさんからのお誘いで、私が入職したという流れです。


私の退職の経緯は、既にブログにまとめています。

学校法人の退職にあたって - KOfyの「倍行く」人生



私の入職3か月前の4月に、偶然ですが、2年後輩のTn君が、自身の希望でたまたま入職し、
その2か月後にOk理事の引きで、Oiさんが監事として就任されていました。


その4名で、学校法人、特に大学の改革を推進してきましたが、
理事長のガバナンスの無さに嫌気がさし、元々、ご家庭の都合で、
東京に行かなければならない、Nkさんが2月末で退職、私が3月末で退職、
Ok理事が4月末で退任、Oi監事が5月で退任、そして、最後にTn君が7月で退職したということで、
一気に、元会社のメンバーが抜けたことになります。


古狸の大学事務局長の話によると、昔は、某S銀行から数名のメンバーが駐留軍のように来て、
大変な思いをされていたようでしたが、最初は、その時のことを思い出して、
警戒しているようでしたが、古い体質に、新しいガバナンスを効かせた経営を実践したので、
相当な刺激になったと思うし、教職員たちは、変革を実感していたと思います。


Tn君の退職の理由は、我々のようなことではなく、
彼のお母さまの介護、ご実家の畑の対応等々が主たる理由です。

彼の真面目で、誠実な仕事ぶりで、先生方含めて、たくさんの送別会で
暖かく見送られたようですし、最後の仕事でのオープンキャンパスで、
史上最高の来場者が来られたようで、有終の美を飾られ、本当に何よりです。


彼の、お母さまの介護は聞いていましたが、私自身が、母の介護でこんなに早く
対応しなければならないことになるなんて、3月の退職の時にはみじんも感じられませんでした。
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