KOfyの「倍行く」人生

バイクで人生を“2倍”楽しみたい。勝手気ままな日記代わりの備忘録。

決起大会の締め、「勝ち鬨」

2010年04月03日 | お仕事あれこれ
年度の初め、営業部門の決起大会が行われ、締めの挨拶を依頼されました。

10年ほど前から宴会の締めで「一本締め」が流行っていましたが、
「ヨーォ!ポン!」ではマンネリだし、何となく締まりがないものです。

そこで、「 エイ、エイ‼   オー‼ 」の勝ち鬨(かちどき)にしました。


「勝ち鬨」を調べてみたらこんな結果でした。

一般的に勝ち鬨は、戦に勝ちを収めたときなどにあげる鬨の声です。
しかし、戦勝後のみならず出陣式で行うのも勝ち鬨といいます。
出陣の際には「初め弱く終わり強く」、帰陣の際にはその逆にしていたと
伊勢貞丈の『軍用記』には記されているそうです。

また、かつて、戦の始めに両軍は互いに声を発したそうで、
大将が「えいえい」と掛け声をすると、軍勢一同が「あう(オオ)」と
声を合わせ、これを3回行なったといことです。



「えいえい」の漢字には、部下を引っ張る「曳」と前進激励の「鋭」の2説があり、
何れにしても「おう」は「曳か鋭」の意気込みに応じる「応」の意だと言うことです。
従って、一人で「エイ!エイ! オゥ!!」とやるのは間違いです。


「曳く」:人・動物や物を離れないようにつないだりして、自分が先に立ち、
     ともに移動する。引っ張る。
「鋭」 :勢いがある、一生懸命励む、強い意気込み、するどい、鋭意、精鋭。

大将:「鋭鋭・曳曳」エイ、エイ (前進激励・士気高揚の掛声)
兵士:「応」オウ         (エイ、エイに応じる)

上記から「エイ、エイ‼ オー‼」


勝ち鬨の流儀には解説本や流派によって多少の差異があるようですが、
大将の乗馬は東向きにし、凱旋の酒宴において大将は右手に
勝栗(弓とする流派もある)を取り、左手に扇子(軍扇とする流派もある)を
開きあおぎながら発声し、諸軍勢一同が武器を掲げてこれに声を合わせることを
「勝ち鬨」といったそうです。

「塩尻峠の戦い」では、天文十九(1550)年に武田軍の小笠原掃討作戦が始動し、
武田軍はまず「イヌイの城」を攻め取り、大げさな勝ち鬨をあげると、
これにビビってしまった小笠原長時は本拠の林城をはじめ主要支城を棄てて逃れ、
信玄は戦いらしい戦いもほとんどないまま松本周辺を征圧したそうです。
勝ち鬨も戦術的な武器になりうるのですネ。


上記のような説明を簡単に行った後に、久しぶりに大声を発しました。
これで、気合も新たに年度の活動がスタートしました。





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