コミュニケルーム通信 あののFU

講演・執筆活動中のカウンセラー&仏教者・米沢豊穂が送る四季報のIN版です。

畳一畳分 又は モモとぺっぽじいさん そして エンデと禅

2018-09-29 | Weblog
(画像はこの夏に撮影した我が畑の一部です)

今年の夏野菜は概ね良い収穫だったが、一人や二人の家族には過ぎる程であった。農村地帯ではないが、畑や家庭菜園を持つ家も比較的多くあり、近隣から頂けるような環境なので、他にあげることも出来ず、勢い余剰なものは再び畑に返す有様であった。

そのような夏も逝き、台風や大雨も重なって、我が畑は今、草に覆われている。少し遅く植え付けたサツマイモだけが秋草を草マルチにして、葉を一面に延ばしている。毎年思うことなのだが、「来年からは畑は止めよう」などと考えながら縁の石に腰かけて眺めていた。

すると、ふいに後ろから「おあんさん」と呼ばれた。振り向くと、母がまだ元気で畑仕事に精出していた頃、母の畑友達だった老婦人であった。母よりは一回りぐらい若くて八十前半だろう。彼女は昔から私のことを「おあんさん」と呼ぶ。「おあんさん」とは、この辺りでは男性に対する尊称だが、たぶん「お兄(あに)さん」から転化したのだろう。女性には「おあね(姉)さん」と呼ぶ。彼女は「どうしなさったかのう?」と心配げに尋ねてくれる。私の後ろ姿は、肩を落とし、よほど寂しげに見えたのだろうか。
「いやぁ、この草ぼうぼうをどうしたものかと・・・。」と応える。すると「こんな広い畑をいっぺんにと思いなさらんと、今日は畳一畳分だけにしなさると、ようござんすわね。」と。私はとても驚いた。「ホント、お母さんの仰る通りです。」と応えた。(私は彼女のことをお母さんと呼ぶ。)

実は、私はカウンセリング研究会や読書会などで何度も、ミヒャエル・エンデの「モモ」について講義をしているが、その一節に、道路を掃除するペッポじいさんが出てくる。


(画像は「モモを読む」学習会。「モモ」と拙著「あのの・・・カウンセリングに学ぶ人間関係」)

「なあ、モモ」とベッポはたとえばこんなふうにはじめます。「とっても長い道路をうけもつことがあるんだ。おっそろしく長くて、これじゃとてもやりきれない、こう思ってしまう。」
しばらく口をつぐんで、じっとまえのほうを見ていますが、やがてまたつづけます。

 「そこでせかせかと働きだす。どんどんスピードをあげてゆく。ときどき目をあげて見るんだが、いつ見てものこりの道路はちっともへっていない。だからもっとすごいいきおいで働きまくる。心配でたまらないんだ。そしてしまいには息がきれて、動けなくなってしまう。道路はまだのこっているのにな。こういうやり方は、いかんのだ。」
 ここでしばらく考えこみます。それからようやく、さきをつづけます。

 「いちどに道路ぜんぶのことを考えてはいかん、わかるかな? つぎの一歩のことだけ、つぎのひと呼吸のことだけ、つぎのひと掃きのことだけを考えるんだ。いつもただつぎのことだけをな。」 また一休みして、考えこみ、それから、
 「するとたのしくなってくる。これがだいじなんだな、たのしければ、仕事がうまくはかどる。こういうふうにやらにゃあだめなんだ。」

ペッポじいさんの言葉は、まさに禅、三昧の境地である。畑で教えてくれた彼女の「畳一畳分」と軌を一にするものであった。「モモを読む」私なのだが、「論語読みの論語知らず」もいいところであった。まことに恥ずべし痛むべし。
元より畑全部などとは努々(ユメユメ)思ってもいなかったが、せめて秋野菜を植えられる場所を、なんて考えていた。それで、今日はきっぱりと「畳一畳分」を、と決めてやり始めた。「自己忘るる」境地で、あっけなく完了した。もっとやりたい気分でもあったが、体調も考慮して、この日はこれでお終いにした。

作者のエンデは禅にも通じていた人である。ぺっぽじいさんの件の言葉は、まさに「無我」である。
それは、まだ分かりもしない先を案ずるのではなく、はたまた、過ぎてしまった過去を悔やむのでもない。私たちのカウンセリングでいう「いま、ここで」に生きるだけである。エンデはシュタイナー思想の影響も大きいが、難しくなるので、ここでは割愛する。清沢満之先生は「仏教は学問ではない。実践である。」と遺されている。然りだと思うことしきりの私であった。
それでは、今宵はこれにて。
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