コミュニケルーム通信 あののFU

講演・執筆活動中のカウンセラー&仏教者・米沢豊穂が送る四季報のIN版です。

タイトルのマイナーチェンジについて。再掲

2023-03-31 | Weblog

ブログタイトルを少し変更しました。マイナーチェンジ、それともイメチェンかしら。先日「どうして?」のご質問メッセージを頂きましたので補筆訂正して再掲させて頂きます。


2004年に開設以来18年間のタイトル「コミュニケルーム通信」に「あののFU」がつきました。元々、あののは「あののは窓 吸って吐いての風が流れます しなやかな時があります」が合言葉のようなフレーズでした。それで今回のFUは「風」、「ふう」から来ています。

今後は私の半生をかけてきた、温かな人間関係をつくるための「カウンセリング・マインド」を更に広げて行きたいと思っております。
拙ブログをフォローして下さっている
「わたしの心」のMrs.modestさん(一番最初にフォローして下さいました方)から先日「お役に立てることがありましたら」とのメッセージを頂きました。とてもうれしく存じます。以前から考えておりました通信会員(Web or Net)として多くの皆様のご参加を頂けましたら、とてもうれしいです。

「カウンセリング研究会あのの」は昭和63年(1988)2月に誕生しました。今年で35年になります。当初は任意の集まりでしたが、その後NPO法人になりました。発足以来20年間はフル活動でした。社会の中でそれなりの役割を果たしてきたとの自負があります。その後は文学(啄木や短歌・俳句等)や仏教(歎異抄)の講座を福井県生活学習館とタイアップして提供させて頂きました。

しかしながら、会員数の減少(教職や幼児保育等の方々が定年を機に退かれる等)や、長引くコロナ禍の中で、なかなか先が見えにくく時間ばかりが過ぎて行き、活動は停滞期に入りました。

私は創立以来、常任講師としてお迎え頂きました。その後、先代理事長が退かれて、次の世代にバトンタッチするまでの間の繋ぎでお引き受け致しました。でも、NPOは少し煩雑な事務もあり、私自身、理事長は元よりNPO法人はこの辺りで終焉を迎えてもよいかと思い始めました。

そのような折り、これまで私の講演や講座等ご一緒に学んで頂きました各地のお仲間より「もう一度お話をお聞きしたい」、「啄木や文学にふれたい」、「あののは私の心のふるさとです」・・・等々のeメールや本欄メッセージ、或いはお手紙を頂戴致しました。

とても嬉しいことですが、私には以前のような活動にはパワー不足を感じています。仮にコロナが終息しましても、講座、研修はちょっとしんどいかなと思うこの頃です。それで、このブログやネット等による全国のお仲間の皆様との交流が実現したらいいな、と思いブログ名もこのようにし、ご縁を頂ける方々への広報・伝言板的な要素もと思った次第です。

学びの母体は「カウンセリング研究会あのの」として私・米沢豊穂がカウンセリングマインドを基本に文学や仏教等、あらゆる意味での私の集大成にしたいと思っています。
学びの基本は今もこの1冊(下掲)と思っています。会のテキスト的役割も果たしてきました。教育、福祉、或いは学校・PTA等各方面でご愛読頂いてきました。
上梓以来20年にもなりますが、今も図書館や、教育関係者より「在庫はありませんか?」とお問い合わせを頂きます。もう書店にも出版社にも在庫はなく、事務局の残部も僅少になりました。



若泉征三氏は旧今立町(現越前市)の町長、その後衆議院議員をされました。当時は日本で一番若い町長さんでした。現在は地方自治や都市問題のコンサルテイングや講演等をされておられます。「行政に関わる者にとって受容や共感性(カウンセリングマインド)が大切」と仰って本会の顧問をして下さいました。

元小学校の先生でいらした方は「郷土作家と私」という読書感想文集にこの本を選んで下さいました。ほんの一部をご紹介します。





★温かな人間関係を築くための心と方法を学ぶ
★短歌、俳句や文学作品を通して感性の醸成
★ワークショップ・グループエンカウンター(心のふれあいの体験)
★仏教の教えとは
★歎異抄とは
★教育相談 人生相談 不登校・引きこもり、その他
★生きる日々の悩みにお応えして
★人間関係・家族関係
★フォーカシング
★悲嘆カウンセリング(grief counseling)
 身近な方を喪った方への心の支えにならせて頂きます

会員の方々には、長年カウンセラーとして新聞等の人生・教育相談の回答者、或いはラジオでのゲストスピーカーとしての経験をフルに生かしてお役に立てることが出来ますればサイコーかなって思っています。
私へのメッセージは欄外プロフ写真上の📧「メッセージを送る」よりお願い致します。

 

名残雪

2023-03-04 | Weblog

名残雪ふるさとの城凛とせり (筆者拙詠) 画像は我が町のシンボル丸岡城

ふるさと自慢ではなけれども、丸岡城は春夏秋冬いつ仰いでもいい。国宝であったが昭和23年の福井震災で倒壊し、その後再建された。小さいながら古武士の風格がある。この冬の大雪もほぼ消えた数日後、夜の間にほんの少し降った。画像はスマホで撮った1枚だが我ながら一幅の墨絵を見る如くであった。

ふるさとの山並みも神々しいばかりに美しい。春は光から秋は風からともいう。春は徐に近づいてくる。四季折々にふるさとの風景に癒されている。画像中央の二つの峰は「丈競山(たけくらやま)」で、私たち地元では「たけくらべ」と呼ぶ。北峰は960m、南峰は1,000mほどだったかな。二つの山が背比べしているように見えるでしょっ。

柱に凭(もた)れりゃ すぐ見える 遠いお山も背くらべ・・・♪

なつかしい童謡ですね。

閑話休題

以前講演にお招き頂いた石川県のある茶道の先生から「ささやかな茶会ですがどうぞお出ましを」とのお誘いであった。これまでにも幾度かのご案内を頂きながら、なかなか日程が合わなかった。というか機が熟さなかった。

ところが今回は私の日程に合わせて決めて頂いた。近年はお茶には縁のない暮らしなので不安はあったが「コロナ禍で久々の茶会です。社中の皆がぜひお話をお聞きしたいと申しますので」の言葉に絆されて、いそいそと出かけてきた。

マスク姿の茶会だが、言葉は少なくても一同和気藹々の雰囲気はさすがである。先生のお人柄がお社中の皆さんに薫陶感化されるものである。

勿論お薄のみであったが、お正客ということで(イヤな予感が的中して(@_@))講演よりも緊張した。しかしながら久々のお抹茶と銘菓は格別であった。

この日、とても心に残ったことがあった。それはお薄を頂いた茶碗についてである。形通りの拝見の作法に入ったが一目瞭然、私の好みの萩焼だった。茶碗の側面の腰の辺りが薄い茶系で、胴から上部にかけて乳白色に近い淡い灰色で、絵柄は無く萩独特の素朴で柔らかな感じであった。全く私のためのお茶碗!なんて思うほど、心憎いばかりの演出、いやお心遣いであった。

前回の講演はもう随分と前のことなのに、その時、たしか抹茶碗や焼物の話もし、萩焼が好きなことも話した。先生は私の好みを覚えていて下さったのだ。そして、お茶碗に先生ご自身が「名残雪」と名付けておられるという。これまた私の心の奥までお見通しかと胸にジーンとくるひと時であった。

下の画像は以前の講演について触れた拙文。当時、色々なテーマでシリーズ連載して頂いた。この時は茶道の組織の総会か研修会での記念講演であったと思う。

その後、少しばかりお話をさせて頂いた。冒頭に、

心にもあらぬわかれの名残かは 消えてもをしき春の雪かな  

と、定家卿の和歌を引いた。本来の意味はさておいて、侘び寂びの境地である。啄木を講じる時とはやや趣の異なるyo-サンの一面かしら・・・。

つづけて雪にまつわる話などをしばし。

定家卿の歌を最も重んじたのは茶道中興の祖とも呼ばれる武野紹鴎である。新聞随想の中にも触れた「見渡せば花も紅葉もなかりけり・・・」を茶道の心とし、自らの家の壁に貼っていた。それは次代の千利休にも大きな影響を与えている。以下その紹鴎に纏わるエピソードである。

ある雪の日の茶会である。庭の木々に降り積もった雪を花に見立て、花入れには花を入れずに水のみを入れ、脇の香炉に香を薫いた。それは、

雪降れば冬籠りなる草も木も 春に知られぬ花ぞ咲きける  

と詠んだ紀貫之(古今和歌集の撰者の一人)の歌の意に通じるのである。また、ある夜咄の席に鶴首の花入れに水仙を入れたところ、壁に映ったその影があたかも鶴が空に向かって一声する姿のようであった。その頃の茶人たちは夜咄には花を入れなくなったとさえ言われている。現代の茶人に求められるものに気づかれれば幸いである。

端折ったが私の拙い講話は、まあこんな感じだったかな。茶道は茶禅一味といわれて仏道にも通じる。道とは利休居士も、

茶の湯は第一仏法をもって修行得道することなり」と残している。

茶会風景をお見せ出来ないのは残念だが、仏道修行の場でパチパチ写真は写さない。茶道も仏道も「道」である。仏の道、人の道である。お点前やお道具を写すことは論外。スマホやデジカメは元より、時計、貴金属等も全て外すのである。私は控えの間(寄り付き・待合ともいう)に持ち物全てを置いてきた。先生のお宅での親しく気軽な茶会と言えども私なりの矜持でもある。

今宵これにて。