コミュニケルーム通信 あののFU

講演・執筆活動中のカウンセラー&仏教者・米沢豊穂が送る四季報のIN版です。

啄木講座 余話 額田王

2014-09-12 | Weblog
2枚の写真があります。 何か共通点は?

人物はyoーサン   はい。
講義中の写真   はい。
他にないかしら?(ヒントは板書。ホワイトボードに書いた字です)


往年の文学少年の面影があるかしら?


あのころは輝いていたなぁ、なんて・・・。

はーい。額田王(ぬかたのおおきみ)で-す。ピンポーン.
額田王と言えばこの歌ですね。そして、大海人皇子との相聞歌(そうもんか)ですね。
(相聞歌とは恋人同士で交わされる歌のことで、往復書簡のラブレターのようなものです。史実とか考証的には異論はありますが、
ここはまあ romantic に行きましょう。)

この歌を、いつごろ知ったのか、もう自分でも分からないぐらいです。早熟な私?でしたから、啄木に憧れた中学生の頃かしら・・・
そして、趣味や文学系の講演や講義には、つい脱線してこの歌を紹介してしまいます。
今回は啄木なのにね。


茜(あかね)さす紫野行き標野(しめの)行き野守(のもり)は見ずや君が袖振る(額田王)

茜色に美しく映える紫野・標野(地名なのか範囲なのか?)で、あなたが(私に)そのように袖を振られると野守さんに見られてしまいそうで
心配です。って感じかな。
「茜さす」とは夕日のように思われますが、茜は紫に掛かる言葉です。蒲生野での遊猟、薬狩の時ですから、私は朝の陽に映えている紫野をイメージします。蒲生野は東近江辺りです。

紫草(むらさき)の匂へる妹(いも)を憎くあらば人妻ゆゑに我恋ひめやも(大海人皇子)

紫草のように美しいあなたのことを憎いと思っていたら、私はこのようにあななたのことを想いません。あなたは恋をしてはいけない人妻
であるのですが。ちょっと違うかな。yoーサン流です。笑ってユルシテ。


興が乗りますと、つい脱線してしまいます。
今回は、「昔は歌ぐらい詠めないと恋愛も出来なかったよ」なんて冗談を言ったのが切っ掛けからでした。





この着物姿の写真は、書斎を整理していて発見。30年ぐらい前のものです。記憶も朧になりかけていますが、
茶道関係のお集まりではと思います。茶の湯の心について話したと思うのですが、野守りと書いていますね。
脱線してこの歌を。袖を振る意味について話したように思います。袖・そで、振れ、ふれ、もっと振れ♪ なーんて。(w)
この時代、袖を振るのは恋しい人を呼び寄せる仕草なんですねぇ。
この頃はよく和服を着ていたyoーサンでした。あのころは輝いていたんだなぁ・・・。(涙)

講義はこのくらいにして、カウンセリング研究会主催でしたから、やはり人の心の機微を感じることが大事ではないかしらと。
思いつきの余話でした。
コメント (2)

啄木 歌と人生 公開講座 無事終了

2014-09-10 | Weblog

お陰様で無事に終えることが出来ました。ありがとうございました。
ご参加の皆さまと、しばし啄木の世界を共有させて頂きました。




私が会場に入りますと、もう準備万端整って、皆さまのご来場を待つばかりに。



マイクの調子はどうかしら?何だか少し照れくさそうなyoーサン。


今回は、前回時間足らずで入れなかった「啄木と女性たち」についても。
啄木を巡る女性と言えば十指に余りますが、まずは「小奴」。私が手にしている資料に写真が。
   小奴といひし女の
   やはらかき
   耳朶(みみたぶ)なども忘れがたかり

明治41年1月、啄木は釧路に、釧路新聞の編集長として迎えられました。
そして、料亭で出逢った芸者小奴さんは17歳でした。
啄木が彼女を詠んだ歌は「一握の砂」の中に十数首あります。


皆さま、とても興味深く聴いて下さいました。


作品の朗読をお願いした方です。「啄木」にふれるに相応しい、とても素敵なお声でした。


会場の皆さまとお話をしながら・・・。



いつもながら素敵なお花を飾って下さいました。秋を感じさせて余りありますね。
世話人さん、どうも有難うございました。

つづきはお近いうちにね。


啄木の歌と人生 パートⅡ あのの公開講座

2014-09-01 | Weblog
すっかりのご無沙汰でした。
「春は光から、秋は風から」と申します。まだ暑さ残るこの頃ですが、朝夕の風には秋の訪れが感じられます。
皆さまには如何お過ごしでしょうか。私はこの夏以来、少し体調不良でしたが、今は万全ではないのですが、
何とかお仕事はこなしております。

さて、9月は、
NPO法人 カウンセリング研究会「あのの」主催 公開講座
    文学にふれてー啄木の歌と人生 パートⅡー 

を開催します。一昨年の、啄木没後100周年として催しました講座のつづきです。会場の関係で定員は少なめですが、
まだ若干の余裕がありますので、関心をお持ちの方は、ぜひご参加下さいませ。

堅苦しい話は何にもありません。皆さまで楽しくワイワイ出来たらいいなぁって思っています。

 <湖北を行く>



<閑話休題>
創刊以来寄稿させて頂いている「山桐」12号の原稿を、先般出稿しました。
9月末には発刊されます。今回はちょっと新しい形を試みてみました。
ご笑読頂けますれば幸いです。

   <湖北を往く>


  【 帰り着くふるさとありて 】
                               

向日葵の 揃って西を拝みおり

ひまわりが一列に並んでいる
大きな花が皆西を向いて、やや下向きに咲いている
ひまわりは西方浄土を知っている
だから揃って拝んでいる

夕焼けに染まりて飛べるアキアカネ

阿弥陀様の浄土は西方十万億土の彼方にある
そして今も説法を続けておられる
それはあの夕焼けの向こうから聞こえてくる
ひまわりは浄土を仰ぎ、じっと聴いている
アカトンボは、飛びながら聴いている
みな夕焼けの光を全身に浴びながら

木漏れ日に降りしきるかな蝉しぐれ

逝く夏を惜しむかのような蝉しぐれも消え
その主たちは呆気なく地表に落ちる
そっと触れてみると、翅を微かに一度だけ震わせてこと切れた
この翅を何万回震わせたことだろうか
もう何の未練もないというかのように
ふと、お念仏もこれくらい申せたらと思う
ただ1度のそれも忘れて暮らしている私

湖の北のはずれの山里に観音さまは我を待ちたる

方向音痴の私
この道だったかな、もう着いてもいい頃なのに、道を間違えたかな
夏草が生い茂っている、人はもちろん、車も通らない
今日はご縁がなかったのかな 

思わず「南無観世音菩薩」と大きな声で呼んでみた
ふと見ると眼前に「右折 観音堂」の立札が
ありがとうございます、ありがとうございます

観世音東へ西へ駆け巡る雨ニモマケズ風ニモマケズ 

宮沢賢治の詩を口ずさんでみる

アラユルコトヲ
ジブンヲカンジョウ(勘定)ニ入レズニ
ヨクミキキ(見聴き)シワカ(解)リ
ソシテワスレズ
・・・・・
野原ノ松ノ林ノ蔭ノ
小サナ萓ブキノ小屋ニヰテ
東ニ病気ノコドモアレバ
行ッテ看病シテヤリ
西ニツカレタ母アレバ
行ッテソノ稲ノ朿ヲ負ヒ
南ニ死ニサウナ人アレバ
行ッテコハガラナクテモイヽトイヒ
・・・・・
サウイフモノニ
ワタシハナリタイ

それは賢治が帰依していた法華経の「常不軽菩薩」のこころ
私と言えば観音さまに、ただ甘えるだけ

またの名は観世音菩薩なるかな よく観て聴いて救済け給えり

世の音をしっかり観てくださる
世の音は人々の声、悩みや苦しみ、そして悲しみ
観るとは、観察すること、よく見るみることだ
つまりよく感じること、つまりよく聴くことでもある
だから観音さまは、人々のこれらの苦悩を取り除くために
働いて下さっている

帰り着くふるさとありて有難し十万億土は遠からずして

山の出湯に、湖畔の宿に、そして喧噪の都会のホテルに
気兼ねなき旅を楽しんだ
もうこのくらいでよかろうと帰路に就く
旅は帰り着くところがあってこそ楽しい
人生の旅路も復路はもう僅か 
家路を辿る私
帰り着くところがあって有難い

この頃なぜか良寛さんが偲ばれる
「不可思議の弥陀の誓いの無かりせば何をこの世の思い出にせむ」
と残している
良寛さんはたしか禅宗のお坊さんだった
だけど、心は南無阿弥陀仏の日暮しだったのだろう
倶会一処、西方浄土で会える人がまたひとり

終わりに
実は以前から思っていたのだが、俳句や、短歌、或いは現代詩にしても、自己表現に違いない。周りを見渡すと、私は俳句だ、短歌だ、川柳だ、いや、自由詩だと、何れかひとつを熱心におやりになる向きが多い。
勿論、俳人、歌人、詩人等のレベルのお高い方々はそれでよいのだが、私たちそれらを楽しんでいる者にとっては、今日は俳句を、或いは短歌、川柳を、時には詩を書いてみよう、というのがあってもいいのではないかと思う。その日、その時の気分で。
私は折々にそのようにしてきた。ところがふと、俳句も短歌も、そして詩をも織り交ぜながら、連なったひとつの作品にしたら面白いのではと思った。敢えて、前もって考えて実行したというよりも、近年、日頃つらつらと思うことどもをブログに記していて、いつしかそのような感じのものを書いていた。  【山桐原稿:2014夏】

<湖北を往く>

記したいことは沢山あるのですが、取り急ぎの更新でした。それではまた。ごきげんよう。