コミュニケルーム通信 あののFU

講演・執筆活動中のカウンセラー&仏教者・米沢豊穂が送る四季報のIN版です。

束の間の休日

2024-05-26 | Weblog

北近江メタセコイアの並木道三度(みたび)訪ひきて過ぎし日想ふ 筆者拙詠

 

つひに5月も下旬。矢の如く時は・ときは・過ぎて行く。

保育園保護者向け講演、仏教講話、読書会での助言者としてゲスト参加、そして相談員研修講義等を無事終えた。もう往年のパワーはないが、カウンセリング研修は気合が入る。雀百まで何とやら・・・。

自分へのご褒美などと言えないが老馬の休日。もう何年ぶりだろうか。愛車を駆って奥琵琶湖・北近江路を束の間の旅をしてきた。以前、常任講師を務める「実践カウンセリング研究会萌え木」のワークショップ「しなやかに女の時間 IN OKUBIWAKO (クリックOKです)をした。その折の宿泊会場であった奥琵琶湖の公共の宿は数年前に閉業したので、メタセコイア並木にほど近い琵琶湖畔のリゾートに宿を取った。我ながら久々の非日常を満喫した。

窓をあければ琵琶湖が見える・・・♪

と言う訳で今宵これにて。


如月のことども 1

2024-02-14 | Weblog

 

   春は名のみの風の寒さや 

   谷の鶯 歌は思えど

   時にあらずと 声も立てず

   時にあらずと 声も立てず ・・・♪

   早春賦の歌詞そのもののこの頃、

   こちら北陸路の春は もう少し

   先のようです。

   あのの ニュースレターを発送

   致しました。

   


米沢豊穂 近況・心境

2024-02-02 | Weblog

遅ればせながら、まずは震災お見舞いのメッセージやお手紙を頂戴致しまして誠にどうも有難うございました。心より厚く御礼を申し上げます。久々の大揺れには驚きましたが、私宅は棚から牡丹餅じゃなくて、物が落ちた程度で無事過ごしております。

しかしながら、能登各地には知人友人もあり心痛むこの頃です。私も嘗ての福井大震災を経験しておりますので、その過酷な状況は筆舌に尽くし難いものがあります。1日も早い復旧を念じることしきりのこの頃です。

さて、身辺あれこれとあって本通信も書きかけては中断する有様でした。昨年は殊の外残暑が厳しく、秋らしい季節感がないままに冬を迎えてしまいました。少しばかり近況・心境を。

季(とき)は徐に移りて。

銀杏並木の枯れ葉が散ると、北陸路は間もなく雪に見舞われる。

今冬は暖冬の予報だったが、地域的には警報級の降雪とのことである。

近年、概ね天気予報が当たる。師走も半ば頃、夜半の冷え込みに目覚めて窓の障子を開けると粉雪が舞っていた。翌朝は案の定、降り積もっていた。

 雪は道路を一変させる。

日々の生活は何かと不自由になる。公共交通が便利ではないので、一軒当たりの自家用車の所有台数は全国一の土地柄。道路の除雪、或いは渋滞は通勤、買い物、医療受診等に支障を来す。

されど人々は誰も小言を言うこともなく、譲り合い、助け合いながら暮らしている。只管春の訪れを待ちながら。

冬来たりなば春遠からじ を心に。

これは、イギリスの詩人シェリーの詩の「西風に寄せる歌」の一節 If Winter comes, can Spring be far behind ? その翻訳の妙に感じ入る。

年明けて2、3度の雪かきはしたが、降雪は続かず道路の雪は消えて、白山に連なる山々は美しく輝き、時折の日差しが心を和ませる。でも、昔から2月の降雪は多い。耳を澄ましても春の女神の足音は聞こえてこない。如月は衣更着(きさらぎ)の異名も。寒いから更に着る。つまり重ね着の月。

  

お陰様にて体調不良も克服?無事前線復帰しました。勝負服は紺のセミダブルのブレザーです。3着目になりますが、もうこれでラストには違いありません。(恥ずかしながらyoーサンの近影です。病み上がりかしら?)

取り敢えずの更新でした。それでは今宵これにて。ごきげんよう。


タイトルのマイナーチェンジについて。再掲

2023-03-31 | Weblog

ブログタイトルを少し変更しました。マイナーチェンジ、それともイメチェンかしら。先日「どうして?」のご質問メッセージを頂きましたので補筆訂正して再掲させて頂きます。


2004年に開設以来18年間のタイトル「コミュニケルーム通信」に「あののFU」がつきました。元々、あののは「あののは窓 吸って吐いての風が流れます しなやかな時があります」が合言葉のようなフレーズでした。それで今回のFUは「風」、「ふう」から来ています。

今後は私の半生をかけてきた、温かな人間関係をつくるための「カウンセリング・マインド」を更に広げて行きたいと思っております。
拙ブログをフォローして下さっている
「わたしの心」のMrs.modestさん(一番最初にフォローして下さいました方)から先日「お役に立てることがありましたら」とのメッセージを頂きました。とてもうれしく存じます。以前から考えておりました通信会員(Web or Net)として多くの皆様のご参加を頂けましたら、とてもうれしいです。

「カウンセリング研究会あのの」は昭和63年(1988)2月に誕生しました。今年で35年になります。当初は任意の集まりでしたが、その後NPO法人になりました。発足以来20年間はフル活動でした。社会の中でそれなりの役割を果たしてきたとの自負があります。その後は文学(啄木や短歌・俳句等)や仏教(歎異抄)の講座を福井県生活学習館とタイアップして提供させて頂きました。

しかしながら、会員数の減少(教職や幼児保育等の方々が定年を機に退かれる等)や、長引くコロナ禍の中で、なかなか先が見えにくく時間ばかりが過ぎて行き、活動は停滞期に入りました。

私は創立以来、常任講師としてお迎え頂きました。その後、先代理事長が退かれて、次の世代にバトンタッチするまでの間の繋ぎでお引き受け致しました。でも、NPOは少し煩雑な事務もあり、私自身、理事長は元よりNPO法人はこの辺りで終焉を迎えてもよいかと思い始めました。

そのような折り、これまで私の講演や講座等ご一緒に学んで頂きました各地のお仲間より「もう一度お話をお聞きしたい」、「啄木や文学にふれたい」、「あののは私の心のふるさとです」・・・等々のeメールや本欄メッセージ、或いはお手紙を頂戴致しました。

とても嬉しいことですが、私には以前のような活動にはパワー不足を感じています。仮にコロナが終息しましても、講座、研修はちょっとしんどいかなと思うこの頃です。それで、このブログやネット等による全国のお仲間の皆様との交流が実現したらいいな、と思いブログ名もこのようにし、ご縁を頂ける方々への広報・伝言板的な要素もと思った次第です。

学びの母体は「カウンセリング研究会あのの」として私・米沢豊穂がカウンセリングマインドを基本に文学や仏教等、あらゆる意味での私の集大成にしたいと思っています。
学びの基本は今もこの1冊(下掲)と思っています。会のテキスト的役割も果たしてきました。教育、福祉、或いは学校・PTA等各方面でご愛読頂いてきました。
上梓以来20年にもなりますが、今も図書館や、教育関係者より「在庫はありませんか?」とお問い合わせを頂きます。もう書店にも出版社にも在庫はなく、事務局の残部も僅少になりました。



若泉征三氏は旧今立町(現越前市)の町長、その後衆議院議員をされました。当時は日本で一番若い町長さんでした。現在は地方自治や都市問題のコンサルテイングや講演等をされておられます。「行政に関わる者にとって受容や共感性(カウンセリングマインド)が大切」と仰って本会の顧問をして下さいました。

元小学校の先生でいらした方は「郷土作家と私」という読書感想文集にこの本を選んで下さいました。ほんの一部をご紹介します。





★温かな人間関係を築くための心と方法を学ぶ
★短歌、俳句や文学作品を通して感性の醸成
★ワークショップ・グループエンカウンター(心のふれあいの体験)
★仏教の教えとは
★歎異抄とは
★教育相談 人生相談 不登校・引きこもり、その他
★生きる日々の悩みにお応えして
★人間関係・家族関係
★フォーカシング
★悲嘆カウンセリング(grief counseling)
 身近な方を喪った方への心の支えにならせて頂きます

会員の方々には、長年カウンセラーとして新聞等の人生・教育相談の回答者、或いはラジオでのゲストスピーカーとしての経験をフルに生かしてお役に立てることが出来ますればサイコーかなって思っています。
私へのメッセージは欄外プロフ写真上の📧「メッセージを送る」よりお願い致します。

 

名残雪

2023-03-04 | Weblog

名残雪ふるさとの城凛とせり (筆者拙詠) 画像は我が町のシンボル丸岡城

ふるさと自慢ではなけれども、丸岡城は春夏秋冬いつ仰いでもいい。国宝であったが昭和23年の福井震災で倒壊し、その後再建された。小さいながら古武士の風格がある。この冬の大雪もほぼ消えた数日後、夜の間にほんの少し降った。画像はスマホで撮った1枚だが我ながら一幅の墨絵を見る如くであった。

ふるさとの山並みも神々しいばかりに美しい。春は光から秋は風からともいう。春は徐に近づいてくる。四季折々にふるさとの風景に癒されている。画像中央の二つの峰は「丈競山(たけくらやま)」で、私たち地元では「たけくらべ」と呼ぶ。北峰は960m、南峰は1,000mほどだったかな。二つの山が背比べしているように見えるでしょっ。

柱に凭(もた)れりゃ すぐ見える 遠いお山も背くらべ・・・♪

なつかしい童謡ですね。

閑話休題

以前講演にお招き頂いた石川県のある茶道の先生から「ささやかな茶会ですがどうぞお出ましを」とのお誘いであった。これまでにも幾度かのご案内を頂きながら、なかなか日程が合わなかった。というか機が熟さなかった。

ところが今回は私の日程に合わせて決めて頂いた。近年はお茶には縁のない暮らしなので不安はあったが「コロナ禍で久々の茶会です。社中の皆がぜひお話をお聞きしたいと申しますので」の言葉に絆されて、いそいそと出かけてきた。

マスク姿の茶会だが、言葉は少なくても一同和気藹々の雰囲気はさすがである。先生のお人柄がお社中の皆さんに薫陶感化されるものである。

勿論お薄のみであったが、お正客ということで(イヤな予感が的中して(@_@))講演よりも緊張した。しかしながら久々のお抹茶と銘菓は格別であった。

この日、とても心に残ったことがあった。それはお薄を頂いた茶碗についてである。形通りの拝見の作法に入ったが一目瞭然、私の好みの萩焼だった。茶碗の側面の腰の辺りが薄い茶系で、胴から上部にかけて乳白色に近い淡い灰色で、絵柄は無く萩独特の素朴で柔らかな感じであった。全く私のためのお茶碗!なんて思うほど、心憎いばかりの演出、いやお心遣いであった。

前回の講演はもう随分と前のことなのに、その時、たしか抹茶碗や焼物の話もし、萩焼が好きなことも話した。先生は私の好みを覚えていて下さったのだ。そして、お茶碗に先生ご自身が「名残雪」と名付けておられるという。これまた私の心の奥までお見通しかと胸にジーンとくるひと時であった。

下の画像は以前の講演について触れた拙文。当時、色々なテーマでシリーズ連載して頂いた。この時は茶道の組織の総会か研修会での記念講演であったと思う。

その後、少しばかりお話をさせて頂いた。冒頭に、

心にもあらぬわかれの名残かは 消えてもをしき春の雪かな  

と、定家卿の和歌を引いた。本来の意味はさておいて、侘び寂びの境地である。啄木を講じる時とはやや趣の異なるyo-サンの一面かしら・・・。

つづけて雪にまつわる話などをしばし。

定家卿の歌を最も重んじたのは茶道中興の祖とも呼ばれる武野紹鴎である。新聞随想の中にも触れた「見渡せば花も紅葉もなかりけり・・・」を茶道の心とし、自らの家の壁に貼っていた。それは次代の千利休にも大きな影響を与えている。以下その紹鴎に纏わるエピソードである。

ある雪の日の茶会である。庭の木々に降り積もった雪を花に見立て、花入れには花を入れずに水のみを入れ、脇の香炉に香を薫いた。それは、

雪降れば冬籠りなる草も木も 春に知られぬ花ぞ咲きける  

と詠んだ紀貫之(古今和歌集の撰者の一人)の歌の意に通じるのである。また、ある夜咄の席に鶴首の花入れに水仙を入れたところ、壁に映ったその影があたかも鶴が空に向かって一声する姿のようであった。その頃の茶人たちは夜咄には花を入れなくなったとさえ言われている。現代の茶人に求められるものに気づかれれば幸いである。

端折ったが私の拙い講話は、まあこんな感じだったかな。茶道は茶禅一味といわれて仏道にも通じる。道とは利休居士も、

茶の湯は第一仏法をもって修行得道することなり」と残している。

茶会風景をお見せ出来ないのは残念だが、仏道修行の場でパチパチ写真は写さない。茶道も仏道も「道」である。仏の道、人の道である。お点前やお道具を写すことは論外。スマホやデジカメは元より、時計、貴金属等も全て外すのである。私は控えの間(寄り付き・待合ともいう)に持ち物全てを置いてきた。先生のお宅での親しく気軽な茶会と言えども私なりの矜持でもある。

今宵これにて。


近況・心境 文は人なり

2022-09-07 | Weblog

ある会の文芸誌が本年で終刊となる。私は会員ではないが乞われて創刊以来20年書いてきた。いよいよ最後の原稿を脱稿した。バックナンバーを繙いてみると、故人となられた方が何人もある。皆それぞれ生きてきたことの一つの証でもある。

創刊号の巻頭には、もう故人となられたが福井の詩壇をリードされた広部英一氏(詩誌・木立同人)より詩「夏空」が寄せられた。なぜか私のエッセイが次に。

その次の福田強氏は会の創立者であり、中野重治記念丸岡町立図書館(現・坂井市立)館長をされた。亡くなられてやがて7年になるが、私は長年氏の薫陶を受け恩人でもある。

この誌のネーミングは丸岡町(現・坂井市)出身の内田忠(大正、昭和前期頃の詩人、昭和19年39歳で没)の同人詩集「山桐」からとった。福田氏の本心は山桐本来の詩集にとの思いであったが、詩は簡単そうに見えても、とても才能のいる文芸なので書き手があまりいなかったようだ。私自身、詩は好きだがその才なく書けない。

私は生来、文を書くことは好きであった。小学生の頃の綴り方に始まり、読書感想文、青春時代は当時流行っていた若者向け月刊誌や抒情文芸誌に投稿。長じては新聞の随想等の連載、著書出版等。書くことは私の自己表現であり、常にアイデンティティの確認でもあった。

この頃は殆どの原稿は編集者の方からの要望で、パソコン打ちした原稿をEメールに添付送信する。以前は原稿用紙に書いていた。愛用の万年筆で升目を埋めて行くのがとても快い作業でもあった。勿論今でも筆記用具は万年筆である。漢字などを忘れると即辞書を引き、まずはメモ紙に書く。何よりのボケ防止でもある。ネットで一発で分かるが又すぐに忘れる。と言うか正確に書けなくなる。所謂、漢字ゲシュタルトが崩壊してしまうのである。読めても書けない人は多い。

近年は遅筆も著しくなった。今回も締め切りはギリギリ延ばして頂きながら推敲も十分出来ず終いであった。しかしながら書き終えた後の安堵感の中で飲む久々のビールの味は格別であった。ふだんはあまりアルコールはやらない。

<閑話休題>

長年、多くの方々の文章を読んできたが、読むほどに書き手の人柄、性格、或いは価値観等が解って面白い。文章とは必ずしも纏った作品に限らない。手紙やハガキ、或いはEメール、ブログもまたしかりである。取り分け私の専門のカウンセリング心理学からも裏付けられる。当に文は人そのものである。

締め切りまでに何日間もの時間をかけて書き上げた作品などは、書き手にある程度の文学的素養や文章作法も備わっている。また推敲も重ねているのでピタリと当たると言う訳ではないが、当たらずとも遠からずである。

日々更新されるブログの類は、前者のような背景はあまりなく、思いのままに書き連ねていることが多いので、その人の行動傾向がよく見えてくる。勿論、文章の巧拙を論じている訳ではない。多くのブログなるものを読んできたが、その書き方や内容を分析・考察して「ブログ人間模様」なんて書いても面白いかなと思っているこの頃である。今宵これにて。 


人を千人・・・歎異抄の言葉

2022-07-17 | Weblog

 近況&心境

あのの風 の皆様。

お心遣いのメッセージ等痛み入ります。体調万全ではありませぬが、お陰様で生かされております。まっこと有難きことと存じつつ暮らしております。

若狭路は海辺の町の麗しき人より届く紅白の桃

ゆうパック届きて嬉し蓋とれば桃の香りの部屋に満ちたり

昨年も、(クリックOK)その前にも書いたのだが、今年も極上の桃が届いた。何よりも亡き母の好物、早速お仏壇に。ひと時を在りし日の母を想ひて過ごした。

いつもながら贈り主のお心に感謝しつつとても美味しく戴いた。毎日、あれこれと為すべきことが多く、時間と駆けっこの暮らしで、体調も低下気味だったので、旬のフルーツは格別であった。

その後に頂いたお手紙も、これまたお心のこもったものであった。ケータイやメール全盛時代だが自筆の便りに勝るものはない。これもお人柄である。私流にはカウンセリング・マインドの豊かな方である。

<閑話休題>

昨年11月24日付けの「友・朋へのメッセージ」(クリックOK)にも記していますが、先日「小さな小さな仏教講座」の3回目をしました。いつもながら私の講義などよりも、その後の皆さんでのお話合い・分かち合いが盛り上がります。

話題のひとつに、先般の事件のことがありました。このことについて私に「どう思うか」とのことでしたので、今後「歎異抄」について学びあう予定ですので、歎異抄の中から引いてお話をさせて頂きました。

「さるべき業縁のもよおせば、いかなるふるまいもすべし」

歎異抄の中で唯円坊(歎異抄の著者)が記している親鸞聖人の言葉です。

「たとえば、ひとを千人ころしてんや、しからば往生は一定(いちじょう)すべし」と、おおせそうらいしとき、「おおせにてはそうらえども、一人もこの身の器量(きりょう)にては、ころしつべしとも、おぼえずそうろう」と

チョー端折って意訳してみます。

親鸞「唯円よ。私の言うことを信じるか」

唯円「はい。もちろんでございます」

親鸞「では、ひとを千人ころしてみろ。そうすれば極楽往生出来る」

唯円「めっそうもありません。私はひと一人も殺せません」

親鸞「それは自分の心がよくて殺せないのではない。殺さねばならないと思う条件・そのような縁にふれれば殺してしまうこともあるのだ」・・・

いつもこの辺りを読むと唯円の顔を想像します。親鸞の問いかけに、きっと鳩が豆鉄砲をくらったようではなかったかと。

親鸞の発したこの言葉は本当に人間の心の奥底を突いていると思います。私はあの事件の加害者を責め罵る気持ちは起こりません。彼の母がカルト的な教団に入らなければ、そして殺された人がその教団に賛辞等を贈らなければ、殺さず、殺されずであったでしょう。

お一人の方がいみじくも仰いました。「人はその人が生きてきたように死ぬ」と。言い得て妙ですね。死を悼むことは人間の美しい心情ではありましょう。しかしそれは静かになすべきことであり、大騒ぎすることでは決してありません。

お話し合いは続きましたが、それは次回に譲りましょう。

最後に皆様と「讃嘆の歌」を歌っておひらきとなりました。皆様のお顔が光り輝いていましたよ。「讃嘆の歌」とはお経「仏説無量寿経」の中にある「偈」(うた)なんです。経典では難しい漢字ばかりですが、それを易しく意訳して曲がついています。私はお歌のお経なんて呼んでいます。

  光かがやくかおばせよ みいずかしこくきわもなし
  炎ともえてあきらけく ひとしきもののなかりける ・・・♪

                今宵これにて。 三帰依 yo-サンこと 釈豊照でした。


越前福井 冬の風物詩

2022-01-26 | Weblog

降り続いた雪も止み、つかの間の日差しにも何だかホッとする。
されど積雪は2月が本番だ。北陸路の春はまだ先だ。
画像は坂井平野の美田を縦断する新幹線工事。金沢から敦賀へ延伸の工事が急ピッチで進んでいるが、敦賀以西京都府では新幹線工事の反対もあり用地買収も進んでいないと聞く。
現在は福井から京都・大阪は特急サンダーバードで乗り換えなしで便利だが、金沢~敦賀が開業すると、サンダーバードは敦賀~大阪となり、否応なく敦賀で乗り換えで、料金も高くなり却って不便になりそうだ。私にとっては北陸新幹線の延伸にはさほどの期待はない。

ひとときの晴れ間もありて天神講


福井(特に嶺北地方)では、初めて男の子が誕生すると孫渡しに母方から天神様(掛け軸です)が贈られる。近年はこの風習も少なくなってはきたが、天神様を扱うお店は何軒もある。
掛け軸をお正月に床の間に飾り、25日の天神講にお仕舞いする。
その日は大きな焼きガレイを供える。天神様は焼きガレイがお好きだったとか。
なので、お魚屋さんやマーケットでは焼きガレイ商戦が華々しい。
冬の福井の風物詩とも言えようか。

天神様は学問の神様なので、子どもたちが賢くなるようにとの願いを込めての行事である。全国学力テストで福井県の小中学校の平均正答率が全国平均を遥かに上回っている。
これも天神様のお陰かしら。まあ、それだけ子どもの教育には熱心な土地柄なのである。

我が家はもう子ども1人いないが、焼きガレイを買ってきた。越前の地物の赤ガレイでとても美味しい。子どもの頃から食べてきたお陰で私も賢くなった。(呵々w)


マーケットの果物コーナーにくまモンがいたので、つい買ってしまった。
ブログで交流頂いている「ソプラノ素子」さんは熊本の方で、時々熊本の珍しい食材等をupされている。拝見する度にいいなって思う。
そのうちに熊本産がみな好ましく見えてきたりするから面白い。

またぞろ私の専門分野になるが、いわゆる反復効果である。
ある何かの刺激に触れることが多くなると、だんだんそれが好きになっていく現象である。単純接触効果と呼んでいる。
その刺激に繰り返し触れることによって、それへの知覚情報処理率が上がって親近性が高まるのである。
素子さんへの親近性だって・・・。さもありなん。

これはロバート・ボレスワフ・ザイアンスが提示した「単純接触効果」である。彼はアメリカの社会心理学者でユニークな研究もある。
私は講義の途中によく脱線する癖があり、このようなことを話してしまうのだが、それがまた受けるのでたまらない。長くなるので何かの機会に。
それでは今宵はこれにて。今年もまた春待ち人のyo-サンでした。⛄

 年明けて雪 朝明けて雪 そしてまた雪・・・

2022-01-03 | Weblog
年明けて雪 朝明けて雪 そしてまた雪が降り募る。
冬来たりなば・・・と思ひつつも雪国の冬は暗く長い。




本物の雪ウサギが来はしないかと。

老骨には除雪作業もしんどいものよ。
せめて雪ダルマでも。





遠出も出来ないがウインターラジアルの四駆が強い味方だ。



お店(本宅)は今年も正月休みが延長に。


そして今日も暮れてゆく。
吹雪が窓を打つ。
こんな夜は、いつも越後へ流された親鸞を思い、佐渡へ遠島の日蓮を思いつ起きている。
終の棲家は気候温暖な地にと思ひつづけて幾星霜、叶わぬままにこの地に果つるのか。このいのち今更何をあくせく。

近況・心境 凌霄花の花

2021-08-13 | Weblog

名の如く霄(そら)を凌ぎてあかあかと花咲きており夏の日高し 

 以前にも凌霄花(ノーゼンカズラ)について書いたことがあるが、この花は特に好きという訳ではないが、何だか懐かしい思いがする花である。

もう微かな記憶なのだが、昔、たぶん中・高校生の頃に読んだ短編、山本周五郎の「凌霄花」が、そのある種の懐かしさのルーツのようだ。

周五郎得意の武家物語だが、城代家老の一人息子と、城下の富裕な呉服商の一人娘の切ない恋の物語だったかな。その恋はともかくとして、二人が天神山?に凌霄花の花が咲くとき、その下での忍び合いを繰り返し描いている。

 

その後、その物語のことなど思い出すことはなかった。ここでも何度か書いているが、その昔、今は亡きヒトリシズカの君に植物園や野山を案内して頂いたことがある。たしか加賀方面だったと思うが、山際に咲く大きなノウゼンカズラがあった。彼女は「ノーゼンカズラですよ」と指差した。その時、何となく甘酸っぱい初恋のような雰囲気が漂った。そして例の短編のことが蘇ってきた。(画像は福井市で)

<閑話休題>

北よりのメロン届きぬ去年の如

前回も記したが、体調の整わないときは好物のフルーツがカンフルだ。今年もまた空輸の富良野メロンが届いた。

宅配の人徐にメロン置く

配達のS便さんには沢山の社員さんがおられるが、今年も昨年と同じ方であった。「今年も来ましたね」と言って大事そうに勝手口の上がり框にそっと置いてくれた。1週間の追熟を待って戴いた。寺坂農園さんの逸品のメロンだ。さすがに美味しい。好物はと訊かれると「メロン、メロンパン、メロンジュース」と答える私。お陰で元気を取り戻した。そっと手を合わせ贈り主に感謝している。

何となく銀の匙など取り出してメロンを掬うひとり居の夏

お見舞いメッセージなど感謝申し上げます。只今、9月からの研修や講演の準備を始めました。

yo-サンの近況・心境でした。今宵これにて。