日々呟く。

とうとよ/清貧の独り言。

発言。

2005年08月25日 21時20分39秒 | 司書講習日記
今日はメガネでなく、時計だった。
お湯かける前で良かった…。


さて、本日は文集委員会のお話し合い。
今回は前回より突っ込んだお話をすることになったので、その分、議論も激しいものとなりました。

やはり人と人とのお話し合い。
皆さんそれぞれ違う人間なのですから、そうすんなり皆が全てを理解し、皆が全てに賛同するわけではありません。
その為にお話し合いをして、相互に意見を出し合って、意見を調整する必要があるのですし。

今回も、そうすんなりとは行きませんでした。
まあ、すんなり行かないのは、皆がちゃんと意見を出し合ってる証拠とも言えますね。
誰も何も言わず、ただ誰かの意見に従っているだけなら、会議はすんなりと終わるでしょうが、それは既に会議じゃないですし。
いろいろ問題が出てくるのは、話し合いが行われている証拠なのでしょう。

最後に意見が出たように、同じ所を何度も通っていた様な気もしますが…
やはりそれは、誰かの言わんとすることを、そこにいる人全てがキチンと理解するのは、なかなか難しいということなのでしょう。


あー。
なんかこの雰囲気、昔感じた覚えがあるなぁ…。
ああ。
小学生の頃の学級会だな…。

そうだよな…
私、小学生の時から後に、こんなお話し合いとか出席したことないしな…。

小学生のときと違うのは、私もちゃんと発言できるようになったってことぐらいかな。
小学生のときの私は、何か思っていても、ただ心の中に秘めてるだけしかできないような人間でしたし。

ただ、どうも私は、誰かの発言を補足してみようとしたり、まとめてみようとしたりする癖があります。
昔は、それを心の中に秘めてるだけだったのですが、近頃は、それを思わず口に出してしまうようになってしまいました。
何も言わないよりも、何か発言して、自分の意思を表明した方が、きっといいとは思うのですが、それも時と場所によりけりで。

いや、今でも、まったく見知らぬ人の会話に、首を突っ込むようなことはしませんし、周りがそんなに親しくさせて頂いてる方でないなら、そんなことはしませんし、とてもできません。

今でも私は、どちらかといえば、引っ込み思案型の性格だと思います。

今回は、「文集製作に携わる者の一人」という、大義名分があるせいで、積極的に発言できているのでしょう。
それが積極的過ぎるのではないかという不安がいつもあるのですが。

たとえ横から発言してしまったとしても、それが的確なものであれば、それはそれでいいのかもしれないですが、なんか的を外れたような口出しだと、それはホントにただの口出して、かえって場を混乱させてしまいます。
それは単なる不規則発言でしかありません。

自分では、そうではないつもりなんだけど、それを自分で判定することはできません。
もしかしたら、そうなっているかもしれない。

大体、委員長の代わりに返事する、平の委員…ですらない副班長とか、きっとダメだよな…。

発言した後に、「ああ、またやっちゃった」と一人反省したり…。

「度々不規則発言を繰り返す、場所をわきまえない、ただの仕切りたがり屋」
そんなことになっていなければいいのですが。


ああ、しかし、疲れた。