日々呟く。

とうとよ/清貧の独り言。

本の読み方。

2005年08月18日 20時57分47秒 | 司書講習日記
ああ。人間失格読み終わっちゃった。
朝起きてから、朝食までに、もうほとんど読み終えてたからな…。

まあ、もともとそんなに厚い本でもないし、仕方がないか。

話は横道に逸れますが、朝から人間失格なんて読むものではありません。
一日の始めからくらーい気持ちになってしまいます。


で、本題。
司書講習の授業の中で、こんな言葉が出てきました。

精読・熟読

多読・乱読

そして、速読。
さらに積読。
(おお。ツンドクでちゃんと変換されるんだ。)

授業の中では、精読熟読と、多読乱読は相反する言葉として扱われていたようです。
多読・乱読すると、精読・熟読とは遠ざかってしまうということですね。

そして、速読も、多読乱読の仲間に入っていました。


私自身は、多読乱読派です。
そして、他の人の本の読む早さがどれぐらいなのかわかりませんが、それなりに速読派でもあるようです。

まあ、図書館にある本を、全て読みたくて、片っ端から読んでいるような人ですから、多読乱読にならないと間に合いませんし、多読乱読するには、それなりに速読でないと量をこなすことができませんから、私が多読乱読で速読な人間になってしまうのも、仕方のないところと言えるでしょう。


相反する間柄とされた、精読熟読と、多読乱読。
これは本当に相反する間柄なのでしょうか。

多読乱読しながら、精読熟読することはできないのでしょうか。

少なくとも、速読と精読熟読は相反しないように思います。
早く読んだからって、中身が抜けていたら読んだことになりませんし、何度も何度も、早く本を読むこともできます。
むしろ、精読熟読に速読が加わることは、精読熟読がより進むと言えるのではないでしょうか。

では、多読乱読と精読熟読ではどうか。
手当たり次第、多くの本を読むと、その一冊一冊の本の扱いは軽くなってしまうのでしょうか。

私はそうでもないように思えるのですが。

私は多読乱読派ですが、その一冊一冊を、テキトーに読んでるというわけではありません。
本を読んでいるときは、周りが見えなくなるぐらい集中して読んでいます。

昔読んだ本は、もう全然覚えていないということもありません。
その本の一字一句、全て覚えているというようなことはありませんが、それなりに覚えています。

もちろん、印象深い本もあれば、そうでない本もありますけど。


私としては、多読乱読しながらも、その一冊一冊を精読熟読しながら読んでるつもりなのですが。



さて、次々と本を買う資金もないし、しばらくは人間失格でも精読してみるかな…。
ますますくらーい気持ちになっちゃう様な気もしますけど。

そういえば、宿からちょっと行った所に古本屋があるらしいな…。
そのうち行ってみるかな…。



ここまでの話に一度も出てこなかった積読ですが、これについては言うまでもないでしょう。
なにしろ図書館は、積読の最たるものなのですから。