東北発 歴史調査隊

明治維新の嘘を暴くブログです。

キリスト教

2023-06-30 23:39:19 | 日記
 疲れたなあ。いくら、このブログに書いても、嘘つきが自分の嘘を認めることは無いんだろうからなあ、たぶん。俺のことを嘘つきって言っておけば、自分は嘘つきに思われないぐらいに思ってるんじゃないの?。
 
 和歌山県伊都郡高野町に金剛峰寺があって、金剛峰寺は高野山真言宗の総本山のようだ。高野山の奥の院は真言宗の開祖の空海の御廟のようだ。空海は佐伯氏の出身で、幼名は佐伯真魚というらしい。
 
 真言宗は大きく分けて古義真言宗と新義真言宗があって、新義真言宗では興教大師といわれる覚鑁上人を中興の祖としているらしい。真言宗智山派と真言宗豊山派は新義真言宗、新義真言宗の中に新義真言宗という宗派があって、和歌山県岩出市にある根来寺は新義真言宗の総本山で、根来寺には覚鑁上人の御廟があるらしい。
 
 覚鑁上人は佐賀県鹿島市の出身ということになってるらしく、鹿島市に誕生院という寺があって、覚鑁上人の生誕地に創建された寺らしい。誕生院は大正時代に鹿島藩の最後の藩主の鍋島直彬が再興したらしい。鹿島藩の鍋島氏は鍋島直彬の次は鍋島直大の息子の鍋島直縄が継いだようだ。
 
 佐賀県にあった佐賀藩の最後の藩主の鍋島直大は佐賀の乱の頃はイギリスに留学していて、明治11年(1878年)に帰国したらしい。明治13年(1880年)から明治15年(1882年)までは駐イタリア王国特命全権公使としてイタリアに住んでたらしい。帰国後は日本の近代化政策に関わったようだ。鍋島直大は皇典講究所の3代目の副総裁で、4代目の所長らしい。
 
 鍋島直大の娘の伊都子はローマで生まれたので、イタリアの都ということで伊都子と名付けられたようだ。ウィキペディアにそう載ってる。
 
 長崎県長崎市にある大浦天主堂は元治元年(1864年)に建設が始まって、次の年の元治2年(1865年)に完成したらしい。大浦天主堂が完成して、隠れキリシタンの人が大浦天主堂を訪れたようだ。信徒発見というらしい。
 
 島原の乱は寛永14年(1637年)から寛永15年(1638年)にあって、島原の乱から200年以上経って、信徒発見ということになってるらしい。
 
 1862年に豊臣秀吉のキリシタンの取り締まりで処刑された日本二十六聖人がローマ教皇によって聖人に列せられたらしい。この頃のローマ教皇はピウス9世だったようだ。大浦天主堂は正式には日本二十六聖殉教者聖堂というらしく、日本二十六聖人に捧げられた教会らしい。信徒発見の時に日本に来ていたキリスト教の宣教師はプティジャンというパリ外国宣教会というところの宣教師らしい。
 
 日本にはカトリックの中のパリ外国宣教会というところが来てたみたいだけど、ウィキペディアで調べると、日本でのカトリックの布教は明治維新の後もパリ外国宣教会の独占状態だったらしく、日露戦争の後の明治38年(1905年)にローマ教皇から明治天皇に文書が送られ、他の修道会も日本に来るようになったらしい。
 
 カトリックは分派が無くて、カトリックの中に~会という修道会が幾つもあるみたいです。カトリックの総本山はバチカンにあるサン・ピエトロ大聖堂で、ローマ教皇が最高権威者でいいんでしょうか?。今のローマ教皇はイエズス会の人のようだ。
 
 キリスト教ですか・・・。
 
 
 火をつけるか
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