東北発 歴史調査隊

明治維新の嘘を暴くブログです。

キリスト教

2023-06-30 23:39:41 | 日記
 明治維新の話は嘘の気がするけど、この頃に日本に来た人たちがいたとしか思えないんだよなあ。
 
 徳富蘇峰という人は思想家とか歴史家とか、そういう人みたいだけど、徳富蘇峰は太平洋戦争の戦時中の昭和17年(1942年)に日本文学報国会を設立して会長に就任し、大日本言論報国会の会長にも就任したようだ。大日本言論報国会には内閣情報局が関わってたらしいけど、この人たちが言論統制を行って、太平洋戦争を煽ってたってことでいいの?。徳富蘇峰は熊本県の出身らしいけど、本当か知らない。徳富蘇峰は江戸時代の生まれで、昭和32年(1957年)に亡くなったらしい。
 
 明治維新の後の熊本県には熊本バンドというプロテスタントを信仰する人たちがいて、徳富蘇峰は熊本バンドにもいたらしい。L.L.ジェーンズというアメリカ人が熊本バンドの創設に関係してるらしいけど、L.L.ジェーンズはフルベッキというキリスト教の宣教師の斡旋で日本に来て、熊本洋学校の教師になったらしい。
 
 大隈重信もフルベッキに教わった人の1人らしいけど、大隈重信は佐賀藩の出身らしいけど、本当か知らない。大隈重信は日本の総理大臣に2度就任したらしいけど、大隈重信は早稲田大学の創設者らしい。
 
 岩手県奥州市は江戸時代は伊達藩だったらしいけど、本当か知らない。奥州市の水沢には水沢伊達氏の留守氏がいたらしいけど、明治維新の後にどうなったのか、わからない。
 
 明治維新の後に胆沢県ができて、岩手県奥州市の水沢には胆沢県庁が置かれて、安場保和という人が来て大参事という役職に就いたらしいけど、本当か知らない。安場保和は熊本藩の出身で、地元の少年から選んで仕事をさせてたらしく、後藤新平も斎藤実も安場保和に見出された少年ということになってるらしい。後藤新平は安場保和の娘を妻にしたみたいだ。
 
 山崎為徳という人も安場保和に見出された少年の1人で、山崎為徳はキリスト教の信者で、同志社英学校で熊本バンドに加わってたようだ。京都に同志社墓地があって、新島襄と新島襄の妻の新島八重の墓があるらしいけど、山崎為徳の墓も同志社墓地にあるらしい。同志社大学のHPに同志社墓地に埋葬されてる人たちのことが載ってる。
 
 ウィキペディアで調べると、新島襄は群馬県にあった安中藩の藩士の息子で、江戸時代に密航してアメリカに行ってキリスト教の洗礼を受けたらしい。新島襄はアメリカでアーモスト大学とアンドーヴァー神学校を卒業し、アメリカンボードというアメリカのキリスト教の伝道のための組織に加わり、日本に帰国したようだ。新島襄の帰国は明治8年(1875年)で、その年に新島襄は同志社英学校を設立したようだ。本当か知らない。
 
 アメリカンボードの関係教会と熊本バンドの人たちが中心になって日本組合基督教会を創設したようだ。片桐清治という人も水沢の出身ということになってるらしいけど、山崎為徳に感化されて同志社英学校に入り、キリスト教の信者になったらしい。本当か知らない。片桐清治という人は日本組合基督教会の東北の重鎮のような人だったようだ。
 
 キリスト教ですか・・・。
 
 
 火をつけるか
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