東北発 歴史調査隊

明治維新の嘘を暴くブログです。

京都

2024-06-26 20:27:10 | 日記
 明治時代の密教の僧で、一番著名な僧は、この人たちみたいなんだけどなあ。この人たちが日本人か知らないけど・・・。
 
 京都にある仁和寺は真言宗御室派の総本山で、山号は大内山のようだ。仁和寺は明治時代の前は皇族の人が出家して住職を務める門跡寺院ということになってるようだ。
 
 明治以降の仁和寺の門跡はウィキペディアに載ってる。泉智等という僧は明治33年(1900年)から明治39年(1906年)まで仁和寺の門跡を務めたようだ。泉智等は明治41年(1908年)に江戸時代の天皇の菩提寺の泉涌寺の長老になり、大正12年(1923年)に高野派の管長と金剛峰寺の座主に就き、大正13年(1924年)に真言宗連合総裁に就き、大正14年(1925年)には三派合同古義真言宗の管長に就いたようだ。泉智等は昭和3年(1928年)に亡くなったらしい。
 
 次の仁和寺の門跡の土宜法龍という僧は西域やチベットを旅行して密教学研究の基礎を築いたらしい。土宜法龍は明治39年(1906年)から大正9年(1920年)まで仁和寺の門跡を務めたようだ。土宜法龍も金剛峰寺の座主に就いたようだけど、土宜法龍の次の次の金剛峰寺の座主が泉智等らしい。土宜法龍も真言宗連合総裁に就いたようだ。土宜法龍は大正12年(1923年)に亡くなったらしい。土宜法龍は南方熊楠と往復の書簡をずっと続けていたようだ。
 
 仁和寺ですか・・・。
 
 
 火をつけるか
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