東北発 歴史調査隊

明治維新の嘘を暴くブログです。

京都

2024-07-17 10:57:43 | 日記
 桂園時代って時代が怪しいって何度も書いてるけど、平安時代の初め頃の坂上田村麻呂の征夷の話も、この頃に作られたとしか思えないんだよなあ。
 
 坂上田村麻呂の征夷の話も嘘の気がするけど、坂上田村麻呂の敵の蝦夷には安倍高丸や悪事の高丸や大嶽丸という人が登場するようだ。字は違っても高丸という人が登場することが多いようだ。
 
 平安京遷都をした人は桓武天皇ということになってるけど、坂上田村麻呂を征夷大将軍に任命して東北の征夷を行った人も桓武天皇ということになってる。京都に桓武天皇を祀る平安神宮があって、明治28年(1895年)に創建されたらしい。本当か知らないけど・・・。
 
 冷泉為紀という人は平安神宮の初代宮司らしいけど、ウィキペディアを見ると、平安神宮の初代宮司は壬生基修という人で、冷泉為紀は平安神宮の2代目の宮司とも載ってるけど、わからない。冷泉為紀は明治31年(1898年)から明治38年(1905年)まで伊勢神宮の大宮司を務めたらしい。本当か知らないけど・・・。
 
 冷泉為紀の次の平安神宮の宮司は三室戸治光という人で、明治31年(1898年)に平安神宮の宮司に就いたようだ。本当か知らないけど・・・。三室戸治光の次の宮司は日野西光善という人で、明治38年(1905年)に平安神宮の宮司に就いたようだ。その後もウィキペディアに名前が載ってる。
 
 三室戸和光という人は明治38年(1905年)から大正11年(1922年)まで伊勢神宮の大宮司を務めたらしい。三室戸敬光という人は三室戸治光という人の息子で、三室戸和光の養子になって三室戸家を継いだようだ。
 
 土御門家は安倍晴明の安倍氏の子孫ということになってるらしいけど、土御門家は大正時代に三室戸家の人が継いだらしく、昭和17年(1942年)に土御門神道同門会が結成され、昭和21年(1946年)に土御門神道として復興され、昭和29年(1954年)に宗教法人天社土御門神道本庁が認可されたらしい。
 
 ウィキペディアで調べると、明治維新の頃の土御門家の土御門晴栄は錦織家から養子で入った人で、大正4年(1915年)に亡くなったらしい。次の土御門家の土御門晴行は京都府にあった亀山藩の最後の藩主の松平信正の息子で、大正13年(1924年)に亡くなったらしい。次の土御門家の土御門晴善は三室戸和光の息子で、昭和9年(1934年)に亡くなったらしい。次の土御門家の土御門凞光は土御門晴善の息子で、昭和19年(1944年)に亡くなったらしい。土御門家は土御門凞光の弟の土御門範忠が継いだようだ。
 
 最近、YouTubeに出てくる土御門とかいうスピリチュアル系の人なのか知らないけど、土御門家は大正時代に三室戸家から養子が入って、宗教法人天社土御門神道本庁があるみたいだし、偽物としか思えないんだよなあ。ああいう人にだまされてる人が、コメント欄を見ると、一杯いるんだけど・・・。
 
 平安神宮ですか・・・。
 
 
 火をつけるか
この記事についてブログを書く
« 長岡京 | トップ | 岩手 »