東北発 歴史調査隊

明治維新の嘘を暴くブログです。

伊勢

2024-06-07 23:15:53 | 日記
 疲れたなあ。日本の歴史は嘘の気がするけど、神道って日本を呪い封じ込めるためのものじゃないか?って何度も書いてるんだけどなあ。
 
 山形県の遊佐町にある大物忌神社では大物忌神を祀っていて、秋田県側の由利本荘市の矢島町にも大物忌神社があるらしい。大物忌神は豊受大神と同じということになってるらしく、倉稲魂命と同じだったり、豊岡姫ともいうらしい。大物忌神社の御本社は鳥海山の山頂にあって、小学生の時に鳥海山登山をして行ったことがある。
 
 平安時代に岩手県にいた安倍氏の人たちは奥六郡といわれる岩手県にあった6つの郡に勢力を広げてたことになってる。金ヶ崎町に鳥海柵跡があって、安倍貞任の兄弟の安倍宗任がいたことになってる。安倍宗任は鳥海三郎というらしい。安倍頼時の息子が安倍貞任と安倍宗任で、安倍頼時は鳥海柵で亡くなったことになってる。
 
 里宮のことを口ノ宮というみたいだけど、遊佐町に大物忌神社の蕨岡口ノ宮と吹浦口ノ宮があって、大物忌神社の蕨岡口ノ宮には江戸時代に三十三の坊があって、安倍頼時の子孫の坊の住泉坊は大物忌神社の蕨岡口ノ宮の別当を務めていたらしい。本当か知らないけど・・・。
 
 蕨岡まちづくり協会というところのHPを見ると、鳥海時雨郎という人は住泉坊の家の人で、明治時代に衆議院議員を務めたようだ。ウィキペディアで調べると、鳥海時雨郎は明治12年(1879年)から明治23年(1890年)まで山形県会議員を務め、明治23年(1890年)の第一回衆議院議員選挙に当選し、衆議院議員を一期務めたらしい。鳥海時雨郎は明治26年(1893年)に亡くなったらしい。
 
 鳥海哲四朗という人も住泉坊の家の人で、衆議院議員を務め、蕨岡村長を2回務めたようだ。ウィキペディアで調べると、鳥海家に養子で入った人らしいけど、明治32年(1899年)に山形県会議員になり、明治37年(1904年)の第九回衆議院選挙に当選し、衆議院議員を一期務めたらしい。明治40年(1907年)に蕨岡村の村長になり、大正2年(1913年)にも蕨岡村の村長になったようだ。鳥海哲四朗は大正3年(1914年)に亡くなったらしい。
 
 三重県伊勢市にある伊勢神宮の外宮は豊受大神宮というらしく、豊受大神を祀ってるらしい。豊受大神は内宮の祭神の天照大神の食事のために丹波から勧請されたことになってるようだ。
 
 伊勢神宮の内宮は皇大神宮というらしく、御神体は八咫鏡らしい。伊勢神宮の内宮で天照大神を祀ってるのか知らないし、天皇の祖先は天照大神ではない気がするけど、呪われた人生だったなあ。
 
 伊勢神宮ですか・・・。
 
 
 火をつけるか
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