東北発 歴史調査隊

明治維新の嘘を暴くブログです。

朝鮮

2021-06-13 23:43:31 | 日記
 佐野ですか・・・。
 
 明治維新の後に九州と山口県では士族の反乱があったようだけど、明治7年(1874年)に佐賀県で佐賀の乱があって、明治9年(1876年)には、熊本県で神風連の乱があって、福岡県で秋月の乱があって、山口県で萩の乱があったみたいです。西南戦争は明治10年(1877年)にあったみたいです。
 
 佐賀藩の最後の藩主の鍋島直大の娘の鍋島伊都子という女性は梨本宮守正王の妻になり、梨本宮守正王と鍋島伊都子の娘は大韓帝国の最後の皇太子の人の妻になったようだ。
 
 ウィキペディアを見ると、鍋島伊都子はローマで生まれたらしく、イタリアの都で生まれたので伊都子という名前を付けられたようだ。
 
 松平胖という人は香川県にあった高松藩の最後の藩主の松平頼聰の息子らしい。松平胖も鍋島直大の娘を妻にしたようだ。松平胖と鍋島直大の娘の娘は大韓帝国の初代皇帝の孫の妻になったようだけど、身分の差を解決するために広橋家に養子に行ってから大韓帝国の皇帝家の人の妻になったようだ。
 
 なんだろう?、この朝鮮半島との繋がりは。
 
 鍋島直大の妻は鍋島榮子という女性で、広橋家の出身らしい。広橋賢光という人と藤波言忠という人は兄弟らしい。
 
 藤波言忠という人は広橋家から藤波家に養子にいったみたいだけど、藤波家は江戸時代は伊勢神宮の祭主を務めていたようだ。本当か知りませんけど・・・。
 
 広橋賢光の息子の広橋真光という人も梨本宮守正王と鍋島伊都子の娘を妻にしたようだ。 
 
 李氏朝鮮では1866年には丙寅教獄という大規模なキリスト教の弾圧があって、フランス人の神父と8000人近い信者が虐殺されたみたいです。その後にフランスと李氏朝鮮で戦争が起こったみたいです。ウィキペディアに、そう載ってる。
 
 日本にはカトリックの中のパリ外国宣教会というところが来てたみたいだけど、李氏朝鮮にもパリ外国宣教会が来てたみたいだ。
 
 ウィキペディアで調べると、日本でのカトリックの布教は明治維新の後もパリ外国宣教会の独占状態だったらしく、日露戦争の後の明治38年(1905年)にローマ教皇から明治天皇に文書が送られ、他の修道会も日本に来るようになったみたいです。
 
 李氏朝鮮は清の属国だったようだけど、日清戦争は明治27年(1894年)から明治28年(1895年)にあって、日清戦争の後に清から独立して大韓帝国になったみたいです。明治43年(1910年)に大韓帝国は日本に併合されて無くなり、昭和20年(1945年)まで日韓併合が続いたみたいです。
 
 李氏朝鮮ですか・・・。
 
 
 火をつけるか
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