東北発 歴史調査隊

明治維新の嘘を暴くブログです。

越前

2024-06-06 23:29:00 | 日記
 日本の歴史は嘘の気がするけど、神社の人たちってヤバいよね?。いかにも日本人のつもりで、歴史の話をどうこう語っちゃったりしてさ。日中戦争や太平洋戦争の頃の神道から抜け出せてないみたいだし、戦時中に戦争を煽って皇国史観とか言ってた人たちが戦後に神道の権威みたいになってたりするの?。
 
 奥州藤原氏は4代目の藤原泰衡の時に源頼朝に攻められて滅ぼされたことになってる。紫波町にある陣ヶ岡歴史公園のそばに藤原泰衡の首を洗ったといわれる井戸がある。藤原泰衡は平泉から逃げて、秋田県大館市のあたりで家臣の裏切りにあって亡くなったことになってるらしい。源頼朝は紫波町まで来たことになってるらしい。紫波町には奥州藤原氏の一族の樋爪氏がいたらしい。
 
 山形県にあった天童藩の織田氏は天童藩の前は高畠藩にいたことになってるらしい。高畠町に高畑城跡があるらしく、高畑城は平安時代に樋爪五郎季衡が築城したといわれてるらしい。
 
 山形県にあった天童藩の最後の藩主は織田信敏で、明治34年(1901年)に亡くなったらしい。次の天童藩の織田氏の織田信恒は相馬藩から養子で入った人で、相馬誠胤の息子らしい。織田信恒は日本銀行に就職して欧米や中国を視察し、帰国後は朝日新聞社に入社し、アサヒグラフに掲載されていた「正チャンの冒険」という4コマ漫画の原作と文章を担当したようだ。その後に貴族院の議員になり、太平洋戦争の後はいろんな会社の重役に就いていたようだ。
 
 山形県天童市に織田信長を祀る建勲神社があって、行ったことがある。ウィキペディアで調べると、天童市の建勲神社は天童藩の最後の藩主の織田信敏が東京の邸宅に織田社を祀って、明治2年(1869年)に神祇官から健織田社という神号が与えられ、明治3年(1870年)に天童市に祀られて建勲社になったらしい。京都にある建勲神社は明治13年(1880年)に東京から京都の船岡山に遷され、明治43年(1910年)に船岡山の山頂付近に社殿が建てられたらしい。本当か知らないけど・・・。
 
 福井県丹生郡越前町にある剣神社ではスサノオと気比大神と忍熊王を祀っていて、忍熊王は越前を開拓したらしい。剣神社は織田氏の神社らしい。剣神社のHPを見ると、小松建勲神社があって、織田信長と平重盛を祀ってるらしい。平重盛は平清盛の息子で、小松殿や小松内大臣といわれていたようだ。
 
 剣神社ですか・・・。
 
 
 火をつけるか
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