東北発 歴史調査隊

明治維新の嘘を暴くブログです。

京都

2024-08-03 12:43:23 | 日記
 坊主丸儲けですか・・・。清水寺は儲け過ぎじゃないの?。
 
 岩手県奥州市の水沢の羽田というところは南部鉄器の工場が密集してる場所で、新幹線の水沢江刺駅がある。水沢市と江刺市と胆沢町と前沢町と衣川村が合併して奥州市になってる。羽田は奥州市の前は水沢市だったけど、昔は江刺郡だったようだ。羽田村は明治22年(1889年)にできて、昭和29年(1954年)まであったようだ。
 
 水沢江刺駅の前には田茂山という丘のような山があって、坂上田村麻呂と戦った蝦夷の長のアテルイの拠点といわれていて、出羽神社があって坂上田村麻呂の創建ということになってる。奥のほうに愛宕神社があって、古塚がある。明治時代に愛宕神社の社殿を新しく建てたらしい。
 
 京都にある清水寺の今の貫主は森清範という僧で、新型コロナウイルスが流行する前は、毎年、岩手県奥州市に来て、アテルイ・モレの碑がある出羽神社で供養を行ってたみたいだけど、清水寺にもアテルイ・モレの碑があるらしい。
 
 ウィキペディアで調べると、大西良慶という僧は明治22年(1889年)に奈良市にある興福寺に入って出家して、明治32年(1899年)に興福寺の住職になり、明治37年(1904年)に法相宗の管長になったらしい。大正3年(1914年)に清水寺の住職になって、昭和17年(1942年)まで興福寺の住職も兼務したようだ。昭和40年(1965年)に清水寺は法相宗から独立して北法相宗になったようだ。大西良慶は昭和58年(1983年)に亡くなったらしい。
 
 京都市右京区にある愛宕念仏寺は天台宗の寺らしいけど、ウィキペディアを見ると、大正11年(1922年)に今の場所に移ったらしいけど、太平洋戦争の戦時中に無住になって荒廃し、西村公朝という僧が昭和30年(1955年)に住職になって復興したらしい。大西良慶は西村公朝という僧の愛宕念仏寺の復興を激励したようだ。
 
 坂上田村麻呂は京都の清水寺を信仰していたことになっていて、清水寺の開山堂は田村堂で、清水寺には坂上田村麻呂像があるらしい。清水寺は法相宗から独立して今は北法相宗で、山号は音羽山のようだ。
 
 清水寺ですか・・・。
 
 
 火をつけるか
この記事についてブログを書く
« 天台宗 | トップ | 法相宗 »