東北発 歴史調査隊

明治維新の嘘を暴くブログです。

お祓い

2024-05-07 23:16:53 | 日記

南方

2024-05-07 23:11:13 | 日記
 南方熊楠は神社の合祀に反対したらしいけど、神社の合祀の話も嘘の気がするし、この人も関わってるとしか思えないんだよなあ。
 
 南方熊楠という人は生物学者で博物学者で民俗学者らしいけど、南方熊楠は南方弥右衛門という人の息子らしい。南方弥右衛門という人は南方家に養子に入って南方弥兵衛と名乗り、家督を譲って南方弥右衛門と名乗ったようだ。南方弥右衛門は南方酒造という酒造会社を設立して、南方熊楠の弟が南方酒造の2代目を継いだらしい。明治40年(1907年)に大隈重信が酒の銘柄を世界一統に名付けたらしい。昭和46年(1971年)に社名が世界一統になったようだ。
 
 南方熊楠は和歌山市の出身らしく、和歌山県海南市にある藤白神社にある子守楠神社から熊楠の字を授かったらしい。藤白神社では物部氏の祖のニギハヤヒを祀っているらしい。
 
 ニギハヤヒは神武東征の話に出てきて、神武天皇よりも先に関西に来ていて、長髄彦の妹を妻にしていたことになってるらしい。神武東征の話では神武天皇の敵は長髄彦ということになっているらしい。
 
 南方熊楠は和歌山県田辺市に住んでたらしいけど、南方熊楠の墓は田辺市にある高山寺という真言宗御室派の寺にあるらしい。高山寺の山号は正南面山のようだ。南方熊楠は昭和16年(1941年)に亡くなったらしい。
 
 南方熊楠の脳は大阪大学医学部にあるらしい。日本の歴史は嘘の気がするけど、この人は自分の頭脳に異常な執着心でもあったんだろうか?。頭がズキズキするような強烈な頭痛がしてきたりするんだけどさあ。
 
 南方熊楠ですか・・・。
 
 
 火をつけるか

南北朝

2024-05-07 23:10:22 | 日記
 日本の歴史が変えられたのは明治時代の後半から大正時代の初め頃の気がするんだけどなあ。
 
 青森県には南北朝の南朝の3代目の天皇の長慶天皇が落ち延びてきた伝説があるらしく、弘前市の旧相馬村の紙漉沢というところに上皇宮があって、長慶天皇の墓所があるらしい。インターネットで調べると、五所川原市や藤崎町や青森市に合併した浪岡町や南部町や新郷村にも長慶天皇伝説があるらしい。
 
 インターネットで調べると、上皇宮は坂上田村麻呂が蝦夷征伐の時に宝龍権現を祀ったのが始まりということになってるらしく、宝龍権現宮や法龍宮や龍田神社ともいわれてたらしいけど、昭和40年に上皇宮にしたらしい。
 
 南北朝は南朝の4代目の天皇の後亀山天皇の時に、三種の神器が北朝の6代目の天皇の後小松天皇に渡されて、統一されたことになってるようだ。
 
 明治維新の頃に宮家が増えたらしく、明治維新の頃にできた宮家は、すべて伏見宮家の系統らしい。本当か知らないけど・・・。伏見宮家は南北朝の北朝の3代目の天皇の祟光天皇の息子が創設した宮家らしい。伏見宮家の3代目の人の息子が天皇を継いで後花園天皇として即位して、今の天皇は後花園天皇の子孫らしい。
 
 伏見宮博恭王は明治16年(1883年)に華頂宮を継いだらしいけど、明治37年(1904年)に伏見宮家に復帰して、大正12年(1923年)に伏見宮家を継いだようだ。伏見宮博恭王は海軍の軍人で、伏見宮博恭王は昭和7年(1932年)に海軍軍令部長に就き、海軍軍令部は軍令部になって軍令部総長になったようだけど、昭和16年(1941年)まで軍令部総長を務めたようだ。伏見宮博恭王は皇族軍人として海軍で重鎮のような存在だったようだ。伏見宮博恭王は昭和21年(1946年)に亡くなったらしい。
 
 伏見宮博恭王は伏見宮貞愛親王と河野千代子という女性の息子らしい。伏見宮貞愛親王の妃は利子女王という人で、有栖川宮幟仁親王の娘らしい。伏見宮貞愛親王と利子女王の息子の邦芳王は不治の病を理由に廃嫡され、博恭王が伏見宮に復帰して伏見宮を継ぐことになったらしい。邦芳王は昭和8年(1933年)に亡くなったらしい。
 
 幸徳事件というみたいだけど、明治43年(1910年)に明治天皇の暗殺計画を企てた人たちが捕まって、そのことが発端になって、社会主義者や無政府主義者の人たちが明治天皇の暗殺計画とは関係無く、でっち上げ捜査で捕まって処刑されたらしい。
 
 幸徳秋水という人は法廷で、今の天皇は南朝の天皇を暗殺して三種の神器を奪った北朝の天皇じゃないかみたいなことを言ったようだ。南北朝正閏論というみたいだけど、南北朝の南朝と北朝のどちらが正統かみたいな議論になって、国会でも取り上げられ、明治天皇によって南朝が正統ということになったらしい。たぶんだけど・・・。今の天皇は北朝で続いてるらしい。
 
 天皇ですか・・・。
 
 
 火をつけるか

三郷

2024-05-07 23:05:04 | 日記
 カルト神道の呪いは強烈だなあ。頭を殴られてるような頭痛がする。
 
 青森県には南北朝の南朝の3代目の天皇の長慶天皇が落ち延びてきた伝説があるらしく、弘前市の旧相馬村の紙漉沢というところに上皇宮があって、長慶天皇の墓所があるらしい。インターネットで調べると、五所川原市や藤崎町や青森市に合併した浪岡町や南部町や新郷村にも長慶天皇伝説があるらしい。
 
 インターネットで調べると、上皇宮は坂上田村麻呂が蝦夷征伐の時に宝龍権現を祀ったのが始まりということになってるらしく、宝龍権現宮や法龍宮や龍田神社ともいわれてたらしいけど、昭和40年に上皇宮にしたらしい。
 
 南北朝は南朝の4代目の天皇の後亀山天皇の時に、三種の神器が北朝の6代目の天皇の後小松天皇に渡されて、統一されたことになってるようだ。
 
 奈良県生駒郡三郷町にある龍田大社では天御柱大神と国御柱大神を祀っていて、天御柱大神は志那都比古神で国御柱大神は志那都比売神ということになってるらしい。龍田大社の摂社には龍田比古命と龍田比売命が祀られているらしい。
 
 伊勢神宮の内宮の別宮には風日祈宮があって、伊勢神宮の外宮の別宮には風宮があって、級長津彦命と級長戸辺命を祀ってるらしい。字は違っても、龍田大社の祭神と同じらしい。本当か知らないけど・・・。
 
 龍田大社ですか・・・。
 
 
 火をつけるか

十津川

2024-05-07 23:03:25 | 日記
 疲れたなあ。それにしても、カルト神道の呪いは強烈だよなあ。
 
 奈良県吉野郡十津川村にある玉置神社は熊野三山の奥宮のようだけど、玉置神社には玉石社があって、大己貴命を祀ってるらしい。インターネットで画像を見ると、玉石といわれる石が埋まっていて、その周りに玉砂利のような白い石が敷き詰められてる。杉の木もあるようだ。
 
 ここに誰かを人柱みたいに埋めて封じ込めてる気がするんだけどなあ。
 
 玉置神社では国常立尊とイザナギとイザナミと天照大神と神武天皇を祀ってるらしい。国常立尊は古事記と日本書紀の最初のほうに書いてあるらしい天地開闢の時に現れたことになってるらしく、日本書紀では一番最初に現れたことになっていて、古事記では最初に別天津神といわれる五柱の神が現れ、次に神代七代といわれる十二柱の神が現れ、神代七代の最初に現れたことになってるらしい。
 
 玉置神社には三柱神社があって、天御柱命と国御柱命と倉稲魂命を祀っているらしい。玉置神社のHPを見ると、三柱神社は稲荷社ともいわれるようだ。天御柱命と国御柱命は奈良県生駒郡三郷町にある龍田大社の祭神らしい。
 
 玉置神社ですか・・・。
 
 
 火をつけるか