東北発 歴史調査隊

明治維新の嘘を暴くブログです。

東京

2024-05-15 23:32:09 | 日記
 明治維新の話は嘘の気がするし、明治天皇の前に天皇が日本にいたと思えないって何度も書いてるんだけどなあ。
 
 明治時代は明治元年(1868年)の9月8日から明治45年(1912年)の7月30日までで、大正時代は大正元年(1912年)の7月30日から大正15年(1926年)の12月25日までで、昭和は昭和元年(1926年)の12月25日から昭和64年(1989年)の1月7日までだそうだ。平成は平成元年(1989年)の1月8日から平成31年(2019年)の4月30日までで、令和は令和元年(2019年)の5月1日かららしい。
 
 大正天皇は明治12年(1879年)の8月31日生まれだそうだ。ウィキペディアを見ると、大正天皇は即位の頃から健康問題があったり、政治能力が不安視されていて、大正10年(1921年)には大正天皇は公務ができなくなって、皇太子だった昭和天皇が摂政に就いたらしい。
 
 大正天皇は明治天皇と柳原愛子という女性の息子らしい。たぶんだけど・・・。柳原愛子は昭和18年(1943年)に亡くなったらしい。柳原前光という人の妹が柳原愛子らしいけど、柳原前光は明治27年(1894年)に亡くなったらしい。柳原前光と柳原愛子の墓は東京都目黒区にある浄土宗の寺の祐天寺にあるらしい。祐天寺の山号は明顕山のようだ。
 
 柳原前光の次の柳原氏の柳原義光は柳原前光の息子で、昭和21年(1946年)に亡くなったらしい。次の柳原氏の柳原博光は大原氏から養子で入った人で、柳原博光は海軍の軍人だったらしいけど、柳原博光の時に華族制度が廃止になったようだ。
 
 柳原家は柳原義光の頃から柳原白蓮という人を含め、スキャンダルまみれになってったらしい。柳原白蓮という女性は柳原義光の異母妹らしいけど、白蓮事件というみたいだけど、歌人で結婚していた柳原白蓮は大正10年(1921年)に失踪して恋仲だった男性と駆け落ちしたようだ。
  
 白蓮事件で柳原家は世間を騒がせたということで柳原義光は議員辞職に追い込まれ、「先帝に畑を提供した」とか「やめてやるから金をくれ」みたいな暴言を放ったようだ。詳しいことは、わからないけど、ウィキペディアに、そう載ってる。
 
 明治天皇に畑を提供したんだってさ、柳原家は。
 
 明治神宮ですか・・・。
 
 
 火をつけるか

内宮

2024-05-15 23:21:51 | 日記
 都市伝説ですか・・・。
 
 三重県伊勢市にある伊勢神宮の内宮は皇大神宮というらしく、御神体は八咫鏡らしい。八咫鏡にはヘブライ語が刻まれてるという説があるらしい。八咫鏡にはモーセの前に現れた神が名乗った名前が刻まれてるらしい。
 
 モーセの前にイスラエルの人たちの先祖の神が現れ、エジプトにいるイスラエルの人たちを連れ出すように言ったらしい。モーセはイスラエルの人たちに神の名を教えなければいけないみたいに言って、自分の前に現れた神に名を尋ねてみたようだ。モーセの前に現れた神は「わたしはある。わたしはあるというものだ。」と答えたらしい。
 
 「わたしはある。わたしはあるというものだ。」って意味が解らないかもしれないけど、「わたしはある」という神らしい。ウィキペディアの日ユ同祖論のところを見ると、「私は有て在る者なり」とも書いてある。日本語に訳すと、そんなかんじらしい。
 
 八咫鏡ですか・・・。
 
 
 火をつけるか

伊勢

2024-05-15 23:08:48 | 日記
 神道って最初から日本を呪い封じ込めるために作られたものじゃないか?って何度も書いてるんだけどなあ。
 
 三重県伊勢市に猿田彦神社があって、猿田彦神社のHPを見ると、猿田彦神社には佐瑠女神社があって、天宇受売命を祀ってるらしい。天宇受売命は猿女君の称号を受けたようだ。天鈿女命を天宇受売命と記載してるようだ、たぶん。
 
 猿田彦神社の宮司家の宇治土公家は猿田彦大神の子孫で、宇治土公家は伊勢神宮の式年遷宮の時に心御柱と御船代を作る役目を務めるらしい。インターネットで調べると、伊勢神宮の内宮の社殿の中には心御柱というものがあるらしく、建物の真中にあって、柱の役目をしてないらしい。その上のあたりに伊勢神宮の内宮の御神体の八咫鏡が収められてるらしい。
 
 伊勢市にある伊勢神宮の内宮は皇大神宮というらしく、御神体は八咫鏡らしい。伊勢神宮の内宮で天照大神を祀ってるのか知らないし、天皇の祖先は天照大神ではない気がするけど、カルト神道の呪いは強烈だなあ。
 
 伊勢神宮ですか・・・。
 
 
 火をつけるか

大田

2024-05-15 23:05:37 | 日記
 神道って最初から日本を呪い封じ込めるために作られたものじゃないか?って何度も書いてるんだけどなあ。
 
 三重県伊勢市に猿田彦神社があって、猿田彦神社のHPを見ると、猿田彦神社には佐瑠女神社があって、天宇受売命を祀ってるらしい。天宇受売命は猿女君の称号を受けたようだ。天鈿女命を天宇受売命と記載してるようだ、たぶん。
 
 猿田彦神社の宮司家の宇治土公家は猿田彦大神の子孫で、宇治土公家は伊勢神宮の式年遷宮の時に心御柱と御船代を作る役目を務めるらしい。インターネットで調べると、伊勢神宮の内宮の社殿の中には心御柱というものがあるらしく、建物の真中にあって、柱の役目をしてないらしい。その上のあたりに伊勢神宮の内宮の御神体の八咫鏡が収められてるらしい。
 
 島根県大田市にある物部神社では物部氏の祖のニギハヤヒの息子のウマシマジを祀っているらしい。物部神社では鎮魂祭が行われるらしく、猿女の鎮魂法というみたいだけど、鎮魂は魂を鎮めるみたいなことではなく、魂を揺り動かし、魂に活力を与えるみたいなことらしい。ウィキペディアで鎮魂祭を調べると、猿女の鎮魂法は巫女さんが箱の上に乗って箱を矛で突くらしい。物部神社の鎮魂祭は宮中で行われる鎮魂祭に最も近いらしい。
 
 巫女さんが箱の上に乗って、上から箱を突くんだってさ。頭を殴られてるような強烈な頭痛がしてきたりするんだけどさあ。
 
 物部神社ですか・・・。
 
 
 火をつけるか

橿原

2024-05-15 23:00:08 | 日記
 皇紀2600年か知らんけど、昭和天皇は嘘って知ってて、そういうことをやってたのかなあ?。

 初代天皇の神武天皇は橿原神宮がある畝傍山で即位したことになっているらしいけど、奈良県橿原市にある橿原神宮では神武天皇を祀っていて、橿原神宮は明治23年(1890年)に創建されたらしい。本当か知らないけど・・・。
 
 橿原神宮のHPを見ると、明治44年(1911年)から橿原神宮の宮域の拡張や施設の整備事業が始まったようだ。大正4年(1915年)から大正10年(1921年)まで国費が支出され、帝国議会でも橿原神宮の拡張整備事業が可決されたらしい。整備事業は大正15年(1926年)まで行われたようだ。
 
 昭和10年(1935年)に当時の総理大臣だった岡田啓介が会長になって紀元二千六百年祝典準備委員会が発足したらしく、紀元二千六百年祝典準備委員会は紀元二千六百年祝典評議委員会ができて廃止になり、内閣には内閣紀元二千六百年祝典事務局が設置され、昭和12年(1937年)には恩賜財団紀元二千六百年奉祝会ができたようだ。それに合わせて橿原神宮の整備が進められていったらしい。
 
 昭和15年(1940年)の年初には橿原神宮からのラジオ中継が行われ、2月11日の紀元節には橿原神宮では紀元二千六百年奉祝紀元節記念大祭が行われ、日本各地の神社でも大祭が行われ、11月10日には紀元二千六百年式典が皇居外苑で盛大に行われたらしい。この年には紀元二千六百年を記念した美術展覧会や天覧武道大会や児童唱歌大会や吹奏楽競演会なども行われ、日本各地の都市や東京や大阪の百貨店で展覧会が行われたらしい。記念切手も発売されたらしい。
 
 橿原神宮ですか・・・。
 
 
 火をつけるか