東北発 歴史調査隊

明治維新の嘘を暴くブログです。

柳原

2023-06-07 19:40:43 | 日記
 日本人女性を妻にして日本を征服するみたいなことなんだろうか?。
 
 大正天皇は柳原愛子という女性の息子らしい。柳原愛子は柳原前光という人の妹で、柳原前光の息子が柳原義光で、柳原義光の次の柳原氏の柳原博光という人は大原氏から来た人らしい。
 
 埼玉県にあった忍藩の最後の藩主の松平忠敬は米沢藩の上杉氏から来た人らしい。次の松平氏の松平忠寿は松平忠敬の息子で、松平忠寿の息子が柳原家に入ったようだ。柳原承光という人で、柳原博光の娘を妻にして柳原家に入ったようだ。
 
 柳原承光の次の柳原家の柳原従光という人は内藤氏から来た人で、内藤政恒の息子らしい。柳原承光の娘を妻にして柳原家に入ったようだ。柳原従光の娘は今の天皇の妃の候補にも名前が挙がってたらしい
 
 宮崎県にあった延岡藩の最後の藩主の内藤政挙は静岡県にあった掛川藩の太田氏から来た人らしい。内藤政挙の息子の内藤政恒は愛知県にあった挙母藩の内藤氏に養子で入ったらしく、内藤政光という人の養子になったらしい。
 
 柳原白蓮という女性は柳原義光の異母妹らしいけど、白蓮事件というみたいだけど、歌人で結婚していた柳原白蓮は大正10年(1921年)に失踪して恋仲だった男性と駆け落ちしたようだ。白蓮事件で柳原家は世間を騒がせたということで柳原義光は議員辞職に追い込まれ、「先帝に畑を提供した」とか「やめてやるから金をくれ」みたいな暴言を放ったようだ。詳しいことは、わからないけど、ウィキペディアに、そう載ってる。
 
 不良華族事件というみたいだけど、柳原義光の娘の徳子はダンスホールの主任教師に女性客を斡旋してたようだ。昭和8年(1933年)にあったみたいだけど、ダンスホール事件ともいうらしい。当時の日本では不倫は犯罪だったようだ。柳原義光は、その前に男色相手の男に手切れ金を脅し取られる事件が発覚したらしい。
 
 柳原家は明治天皇に畑を提供したんだってさ。
 
 明治神宮ですか・・・。
 
 
 火をつけるか

近江

2023-06-07 16:51:41 | 日記
 なんだろう?、この親族関係って。
 
 福島県にあった三春藩の藩主は秋田氏で、三春藩の最後の藩主は秋田映季で、次の秋田氏の秋田重季は大原氏から来た人らしい。大正天皇は柳原愛子という女性の息子らしいけど、柳原愛子は柳原前光という人の妹で、柳原前光の息子が柳原義光で、柳原義光の次の柳原氏も大原氏から来た人で、秋田重季という人と柳原博光という人は兄弟らしい。ウィキペディアに、そう載ってる。
 
 埼玉県にあった忍藩の最後の藩主の松平忠敬は米沢藩の上杉氏から来た人らしい。次の松平氏の松平忠寿は松平忠敬の息子で、松平忠寿の息子が柳原家に入ったようだ。柳原承光という人で、柳原博光の娘を妻にして柳原家に入ったようだ。
 
 柳原承光の次の柳原家の柳原従光という人は内藤氏から来た人で、内藤政恒の息子らしい。柳原承光の娘を妻にして柳原家に入ったようだ。柳原従光の娘は今の天皇の妃の候補にも名前が挙がってたらしい。
 
 宮崎県にあった延岡藩の最後の藩主の内藤政挙は静岡県にあった掛川藩の太田氏から来た人らしい。内藤政挙の息子の内藤政恒という人は考古学者だったようだ。内藤政恒は愛知県にあった挙母藩の内藤氏に養子で入ったらしく、内藤政光という人の養子になったらしい。内藤政光も考古学者だったようだ。
 
 宇多源氏の佐々木氏の系統に京極氏や六角氏がいるらしいけど、大原氏も宇多源氏の系統の氏族らしい。宇多源氏は近江源氏ともいうらしい。宇多源氏は宇多天皇の子孫が臣籍降下して源を名乗ってできた源氏らしい。本当か知らないけど・・・。
 
 滋賀県近江八幡市に沙沙貴神社があって、HPを見ると佐佐木大明神と書いてある。沙沙貴神社は近江八幡市の安土というところにあるの?。沙沙貴神社では少彦名命と大彦命と仁徳天皇と宇多天皇と敦実親王を祀っていて、敦実親王は宇多天皇の息子らしい。敦実親王の息子が源を名乗ったのが宇多源氏の始まりらしいけど、宇多源氏の人が佐々木氏を名乗ったことになってるらしい。本当か知らないけど・・・。
 
 沙沙貴神社ですか・・・。
 
 
 火をつけるか

御室

2023-06-07 15:55:15 | 日記
 疲れたなあ。他人の家の家系図を調べて、何をやってるんだろう?、俺は。
 
 明治時代の華族の人を調べてると、他の家から養子で入ってきてることが多い。その時に入る家の娘を妻にして婿養子に入ることも多いようだ。江戸時代に藩主だった家や藩の有力者だった家が明治以降に華族になったり、公家だった家が華族になってることが多いようだ。本当か知らないけど・・・。
 
 福島県にあった三春藩の藩主は秋田氏で、三春藩の最後の藩主は秋田映季で、次の秋田氏の秋田重季は大原氏から来た人らしい。大正天皇は柳原愛子という女性の息子らしいけど、柳原愛子は柳原前光という人の妹で、柳原前光の息子が柳原義光で、柳原義光の次の柳原氏も大原氏から来た人で、秋田重季という人と柳原博光という人は兄弟らしい。ウィキペディアに、そう載ってる。
 
 入江為守という人は柳原前光の娘を妻にしたらしいけど、大正4年(1915年)から御歌所長を務め、明治天皇御集と昭憲皇太后御集の編集事業に携わったようだ。
 
 入江為守の娘が高木正得という人の妻になって、高木正得という人の娘が三笠宮崇仁親王の妃の百合子という人らしい。三笠宮崇仁親王は大正天皇の息子で、昭和天皇の弟らしい。高木家は江戸時代は大阪府にあった丹南藩の藩主だったらしい。本当か知らないけど・・・。入江為守の息子の入江相政は昭和天皇に長く仕えた人らしい。入江相政という人は昭和天皇のはとこらしい。
 
 入江為守という人は冷泉家から養子で入った人で、冷泉為理という人の息子らしい。冷泉為理の妻は柳原隆光の娘で、柳原隆光の息子が柳原光愛で、柳原光愛の子が柳原前光と柳原愛子らしい。入江為守の母方の家系は柳原家で、入江為守の妻は柳原家の人らしい。これでいいんでしょうか?。わけがわからなくなってきそうだなあ。
 
 そういう親族間の結婚というか、近親者の結婚っていうの?、血統を絶やさないみたいな理由でもあるのかなあ?。明治天皇の前に天皇が日本にいたと思えないんだけど、大正天皇は柳原愛子の息子で、柳原家の血統っていうの?。
 
 宇多源氏の佐々木氏の系統に京極氏や六角氏がいるらしいけど、大原氏も宇多源氏の系統の氏族らしい。宇多源氏は近江源氏ともいうらしい。宇多源氏は宇多天皇の子孫が臣籍降下して源を名乗ってできた源氏らしい。本当か知らないけど・・・。
 
 京都にある仁和寺は真言宗御室派の総本山で、宇多天皇が創建したことになってるらしい。宇多天皇は譲位した後に出家して法皇になったことになってるらしい。宇多天皇の息子が醍醐天皇ということになってるらしい。仁和寺は明治時代の前は皇族の人が出家して住職を務める門跡寺院ということになってるみたいだけど、昭和天皇は太平洋戦争の後に出家して仁和寺の門跡に入る話もあったようだ。
 
 天皇ですか・・・。
 
 
 火をつけるか

大津

2023-06-07 10:40:01 | 日記
 宇多源氏の佐々木氏の系統に京極氏や六角氏がいるらしいけど、大原氏も宇多源氏の系統の氏族らしい。宇多源氏は近江源氏ともいうらしい。
 
 福島県にあった三春藩の藩主は秋田氏で、三春藩の最後の藩主は秋田映季で、次の秋田氏の秋田重季は大原氏から来た人らしい。大正天皇は柳原愛子という女性の息子らしいけど、柳原愛子は柳原前光という人の妹で、柳原前光の息子が柳原義光で、柳原義光の次の柳原氏も大原氏から来た人で、秋田重季という人と柳原博光という人は兄弟らしい。ウィキペディアに、そう載ってる。
 
 京都にある六角堂は紫雲山頂法寺という天台宗の寺で聖徳太子の創建ということになってるらしい。六角堂のHPを見ると、六角堂は、いけばな発祥の地らしく、華道の家元の池坊と関係あるらしい。小野妹子を祖とする坊の池坊があったらしい。六角堂は京都の中心ともいわれるらしいけど、六角堂には、へそ石という石があるらしく、六角形で真中が丸く窪んでるようだ。明治時代初期に今の場所に移されたらしい。六角堂の本堂も明治10年(1877年)の再建らしい。
 
 ここに誰かを人柱みたいに埋めて、上から重たいもので蓋をしてる気がするけど、上から圧し潰されるような強烈な頭痛がしてくるんだどさあ。
 
 六角堂の鎮守は唐崎社らしいけど、日吉大社の摂社で琵琶湖畔に唐崎神社があって、女別当命を祀ってるらしい。滋賀県大津市にある日吉大社は日吉神社や日枝神社や山王神社の総本社で、大山咋神と大己貴命を祀ってるらしい。
 
 滋賀県高島市に白髭神社があるらしく、猿田彦大神を祀っていて、白髭明神や比良明神ともいわれるらしい。白髭明神と猿田彦大神は同じなのか?というと、わからない。
 
 日吉大社ですか・・・。
 
 
 火をつけるか

京都

2023-06-07 10:32:18 | 日記
 明治維新の話は嘘の気がするし、神仏分離や廃仏毀釈の話も嘘としか思えない。それで、なぜか、日露戦争の頃が怪しいんだよなあ。
 
 ウィキペディアで調べると、明治時代や大正時代や昭和の初め頃の酒造税の税収は国の税収の中でも、かなりの割合を占めてたらしく、日露戦争の後も何度も酒造税の増税が行われたらしく、明治32年(1899年)から昭和10年(1935年)まで酒造税は国の税収の1位だったらしい。
 
 紫波町と紫波町の隣で花巻市に合併した石鳥谷町が南部杜氏の発祥の地といわれるらしいけど、南部杜氏は日本最大規模の杜氏集団で、組織的になったのは明治時代になってかららしい。明治36年(1903年)に岩手県酒造組合ができたみたいだけど、酒造組合を作って政府が管理することで酒造税の増税に対する酒造家の反対を抑えようとするのが狙いだったようだ。
 
 南部杜氏の始まりには小野組という近江商人の系統の豪商が関わってるらしい。村井権兵衛という人の本姓は小野らしく、村井権兵衛という人が江戸時代に清酒を造ったのが南部杜氏の始まりらしい。
 
 北上市の辺りには親鸞聖人の弟子の是信房上人が来て布教活動してたことになっていて、紫波町の彦部というところに是信房上人の墓がある。盛岡に本誓寺という是信房上人が創建した寺があって、紫波町にある本誓寺が江戸時代になって盛岡に移ったらしい。本当か知らない。紫波町にも本誓寺という寺がある。盛岡の本誓寺も紫波町の本誓寺も山号は石森山らしい。
 
 紫波町の本誓寺には小野家から送られた仏壇があるらしい。岩手県の寺の本に、そう載ってる。紫波町の本誓寺には村井権兵衛という人の墓があって、四角い立方体のような墓石があって、柵で囲ってあって、村井と柵に刻まれてた。
 
 京都にある六角堂は紫雲山頂法寺という天台宗の寺で聖徳太子の創建ということになってるらしい。六角堂のHPを見ると、六角堂は、いけばな発祥の地らしく、華道の家元の池坊と関係あるらしい。小野妹子を祖とする坊の池坊があったらしい。六角堂は京都の中心ともいわれるらしいけど、六角堂には、へそ石という石があるらしく、六角形で真中が丸く窪んでるようだ。明治時代初期に今の場所に移されたらしい。六角堂の本堂も明治10年(1877年)の再建らしい。
 
 ここに誰かを人柱みたいに埋めて、上から重たいもので蓋をしてる気がするけど、上から圧し潰されるような強烈な頭痛がしてくるんだどさあ。
 
 浄土真宗の開祖の親鸞聖人は六角堂に百日参籠をして、お告げを受け、浄土宗の開祖の法然上人のところに念仏の教えを受けに行ったらしい。本当か知らない。
 
 大正天皇は明治天皇と柳原愛子という女性の息子らしい。柳原前光という人の妹が柳原愛子で、柳原氏は日野氏の系統の氏族らしい。浄土真宗の開祖の親鸞聖人は日野氏の出身で、ウィキペディアで調べると、日野氏は明治時代に柳原前光と柳原愛子の兄弟の日野資秀という人が継いだんだろうか?。
 
 浄土真宗が今のようになったのも明治時代になってからの気がするけど、誰かを人柱みたいに埋めて、その人たちに亡くなった人たちの供養をさせようとしてるの?。浄土なのか知らないけどさあ。
 
 六角堂ですか・・・。
 
 
 火をつけるか