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エッセイ  - 麗しの磐梯 -

「心豊かな日々」をテーマに、エッセイやスケッチを楽しみ、こころ穏やかに生活したい。

早春点描

2008-03-14 | 日々の生活
              【春の磐梯 2F窓から】

 早春を探した。
長かった冬の季節から少しずつ明るい春が訪れた。

 散歩道に新しい季節の始まりを見た。
 田の雪も消え、ツグミが春を喜ぶように土の出た畑を歩いていた。
裏庭の残雪も2,3日でかなり減り、雪の下からスイセンが春の黄緑色にさわやかだ。
 今日は中学校の卒業式、学校も春休みに入り新しい年度を迎える。
 
 もう彼岸だ。梅のつぼみが膨らみ始め、春霞の磐梯にもじき雪形があらわれるだろう。

【春のツグミ】

【雪の下にスイセン】

【田の雪消える】

穏やかな春

2008-03-13 | 日々の生活
            【春の陽に輝くハクモクレンの蕾】


 初めての春らしい陽気に誘われ、自転車を出した。野ざらしにしていたボディを拭き、タイヤの空気を入れ、油を注しブレーキを点検した。


 午前中に、孫娘を妻にまかせて、静かに書籍に囲まれた。
 手袋をして、少しひんやりする風を切って大学図書館まで自転車を走らせた。春の風が眼にあたり、さわやかな涙が出た。ときどき自転車を止めて涙を拭いた。春を感じながら徒歩の40分もいいが、15分足らずのサイクリングもいい。
 閲覧室は今日も一人で貸し切り、指定席ソファーから前庭を眺めた。かすかに揺れる竹の植え込みの根元に、冬の名残の雪が美しく見えた。

昨日は午後から強い風が吹いたが、春一番だったのだろうか。今日は午後も穏やかで、まだ雪の残る裏庭を除いて、植え込みの雪囲いをほとんど取り払うことができた。そして、家の中に取り込んでいた鉢植えの植木を暖かな庭に出し、陽にあてた。孫たちは久しぶりに補助輪の付いた自転車を乗り回している。のどかな、静かな春の始まりだ。

【気温も13度まで上がる】

今年初めての暖かい春を感じたが、この冬は冬らしい冬だったと思う。ドカ雪はなかったが、厳しい寒さが続き、雪降りの毎日でもあった。
 まもなく彼岸だ。一昨年のお彼岸のお中日の大雪を思い出した。会津に春を告げる彼岸獅子の舞いを見に行ったが、大雪でお城の本丸では舞うことが出来ず、武徳殿で行われた。そのあと磐梯町のしんしんと降る雪の中での舟引きまつりが忘れられない。

 今年もまもなく、彼岸獅子の舞いから会津の春が始まる。



我が家はギャラリー

2008-03-12 | 文芸

 我が家には、どの部屋にもギャラリーのように絵が飾ってある。
ほとんどが四季折々の、秀峰・磐梯山のスケッチだ。

スケッチはほとんど水彩だが、油絵も4,5枚が部屋や廊下、階段に飾ってある。油絵は、子どもたちが生まれたころに住んでいた川俣町の、白い蔵が並ぶ広瀬川沿いの風景画、春にさくらが咲き出したころ八田野の山里から磐梯を望んだ40号の大作(大きいだけ)、学生時代に描いた、信州浅間山の雪景色、そして小学生の長女が本棚の前で神妙に佇む人物画などだ。
絵の他には、チョウやトンボの写真は自分なりに意義を認めた虫たちの美しい自然である。子どもが小さいころの4つ切りに引き伸ばした家族のスナップ写真もある。

 書斎の机の前の壁はいっそう賑やかだ。良寛の漢詩や相田みつをの詩、自作陶板の磐梯などか隙間なく掛けてある。

 すべてが、毎日ぼんやりと眺めている自己満足の域を出ない作品だ。


【机の前】





孫の「あしあと」

2008-03-11 | 日々の生活
         

             【作品集「あしあと」】

 
 幼稚園バスの武琉君をお迎えに外に出た。見たこともない牡丹雪が降っていた。季節は移ろい、そこここに春の気配だ。
  早いもので、孫の武琉が幼稚園へ通い始めて1年になる。来週はもう春休みに入る。今日は幼稚園で造った作品集「あしあと」が届いた。大小の画用紙が何枚もきちんと綴ってあり、1枚1枚に担任の先生のコメントが付いていた。

 ばあちゃんと一緒にそれらの5歳の芸術的な作品を見た。彼のすばらしい1年間の成長の「あしあと」に驚き、言葉に言えない嬉しさが込み上げてきた。

【作品集「あしあと」】
 【うみの中】
【カブトとクワガタ】
【かさ地蔵】

「EM菌投入 河川の汚濁源」

2008-03-10 | 環境問題

 3/8付けの福島民友新聞に「EM菌投入 河川の汚濁源」との記事が載った。(EMは有用微生物群という造語)
それによると、県によるEM菌の培養液の分析結果、有機物汚濁指標のBODは合併浄化槽の放流水の環境基準の約200倍~600倍だったという。驚きの数値だが、本来有機物であればEM菌がBODを高めることは当然だ。
 微生物や菌にはふさわしい活性環境があり、その使用環境での有効性や安全性の確認は不可欠である。
 これだけEM菌使用が普及してきた今ごろになってデーターが公表されたことに疑問を感じた。EM菌による汚濁有機物を減らす有効性が十分に検証されていなかったということだ。
 EM技術は20年ほど前農業分野の土壌改良用に開発されたが、生ゴミや糞尿の堆肥化はいいが、公共用水域への放流排水の処理には多少の疑問があった。ともかく、EM菌が対象とする有機汚濁物質の分解に、排水系全体として最終的にどれだけ有効か、実験、研究され、そのデータの十分な考察評価が為されなければならない。この際、その有効性が検証されるまでは使用には十分注意しなければならない。最適に使用しないとかえって環境を汚すことになってしまうからだ。
 EM菌使用の活動は県内の学校や団体で広く行われており、波紋を拡げそうだ。

求めない すると-

2008-03-09 | 文芸
                  【春近し 裏庭3/9】


 昨年、加島祥造著の詩集「求めない」が出た時、本屋で立ち読みをした。
その後、ベストセラーとなった。何でこんなに話題になり、売れるのだろうか。
 今の時代は、やはりみんなが大切なものを求めているのだと思った。

中野孝次の「風の良寛」には、碁の友である詩人・加島祥造が紹介されていた。そこには、加島が英訳を参考にして自分流に詩として訳した老子を読み、老子が急にはっきりしてきたと述べている。老子の言う道(タオ)とは、無とか、空とか、虚とか、そういう言葉で成り立っていて、道元や良寛に相通じるように思えた、と。

 いつか、中野の紹介する「老子」について、わかりやすい加島の著書を読んでみようと思っていた。最近、文藝春秋で『「求めない」僕が愛した女性』という加島の文章で「ベストセラー著者の半生」を読んだ。
 彼は、「求めない」とは自分の心を戒めるための呟きだという。人間はそもそも「求めすぎる」のではないかと。70歳で、自分の中の新たな可能性を掘り起こしたのは、詩と老子の道(タオ)と伊那の自然とに出会ってからだと言う。
「求めない」は求めることを否定するのではなく、むしろ「求めなさい」と言う。より良い自分を求めるために今求めているものを止めたらどうかと。

詩集「求めない」の原点は、老子の「足ルヲ知ル」のようだ。
 現代人に欠けるものは、「足を知ること」だと思った。
あらためて、「欲はなく、決して怒らず」、穏やかなこころで生活したいと思っている。

 老子を学びたいと思っている。まづは「求めない」から、加島の著書の何冊かを読んでみたい。


 求めない-
 すると
 今じゅうぶんに持っていると気付く

 求めない-
すると
 今持っているものが
 いきいきとしてくる 

 求めない-
すると
 心が澄んでくる

 求めない-
すると
 悲しみが消えていく

 求めない-
すると
 時はゆっくりと流れ始める

 求めない-
すると
 心に平和が広がる


父の命日

2008-03-08 | 日々の生活
       【まだかなり雪の残る裏庭 3/8撮る】



 亡き父の命日は3/9、そして誕生日は3/5だった。もう父が逝って19年、元気でいれば今年は98歳になる。
 梅の香におう春浅き日に、あの明晰な父は静かに逝ってしまった。数日前に大磯の病院に見舞ったときのことが思い出される。
 目を閉じると、雄弁に歴史を語る父、いつもタバコを燻らせコーヒーを飲みながらものを書いていた父が浮かんできた。
 まだ雪の沢山残る裏庭で、ふと父を思った。そして月日の流れを思った。
 人生ははかなく無常だが、父や母はいつまでも心の中にいる。



戦争の愚かさ

2008-03-07 | 日々の生活


 月に一度は戦争のむごさ、愚かさを考えさせられている。
 月初めに送られてくる「みちくさ新聞」に感謝している。特に、同封される一片の「無名者の歌」に戦争のむごたらしさ、愚かさを聴いている。
 心に響く歌を見つけ、一つ一つを、幾度も幾度も読み返しすとき、辛い切ない気持ちが込み上げてくる。
歌の作者は、今どうされているだろうか。作者の慟哭を忘れてはならない。

 同封の【1971年の朝日歌壇】から3首を撰んだ。

 ”霜焼けの吾が手さすりて征きし父の手の温かみ永遠に忘れじ
                吉原峯子(坂出)
 ”たたかいに征きてかえらぬ人待ちつつ老いて果てん日の近き身となる
                高島芳子(大坂)
 ”還る日を祈りし母もその兄もねむれる山に虹あわく消えゆ
                西岡ハナ(綾部)

 『みちくさ新聞』が送られてきてもう5年目に入った。私の病床からの『毎日新聞』への読者投稿欄をお読みになった、編集者の斉藤吉孝さんが送ってくださった。戦争体験のない私だが、以来、月に一度は「無名者の歌」から戦争に思いを巡らせる機会を与えられありがたく思っている。


 
《みちくさ新聞に関しての以前の拙ブログ 》
* 『みちくさ新聞』は心の癒し(2006-02-18)
* 無名者の歌 (2006.8.7)
* 癒しの便り (2006-09-14)







早春賦

2008-03-06 | 教育を考える

 まだまだ冷たい北風が身に染みる春の日に、早春賦を口ずさんでいた。
歌詞は1番の「春は名のみの 風の寒さや 谷のうぐいす 歌は思えど」までは歌えるが、あとは分からなかった。私の横で、妻がそのあとを歌った。

 妻によれば、信濃の片田舎の春、妻の中学生のころの卒業式には「蛍の光」や「仰げば尊し」はなく、この早春賦を歌ったと言う。
 すがすがしい、いい歌だが、歌詞を調べ直して、あらためて素晴らしい曲だと思った。同年代の私は、卒業式には、たしか「蛍の光」や「仰げば尊し」を歌った覚えがあった。
 最近では、いろいろな歌を歌って卒業生の前途を祈りお別れをするようだが、その時代としては、何と、進んだ学校だったんだなと思った。
あとでネットで調べていたら (作詞者の吉丸一昌が大正時代に安曇野の地を歩きながら、遅い安曇野の春を待ちわびる思いを詩にしたと言われています。)とあり、何となく分かったような気がした。

早春賦 《吉丸一昌作詞・中田章作曲》

(1) 春は名のみの 風の寒さや
  谷のうぐいす 歌は思えど
  時にあらずと 声もたてず
  時にあらずと 声もたてず

(2) 氷融け去り 葦はつのぐむ*
  さては時ぞと 思うあやにく
  今日も昨日も 雪の空
  今日も昨日も 雪の空

(3) 春と聞かねば 知らでありしを
  聞けばせかるる 胸の思いを
  いかにせよとの この頃か
  いかにせよとの この頃か
*角ぐむ・・・角(つの)のような芽を出す。

● 素晴らしい早春賦 → http://www.youtube.com/watch?v=LJ6YJZv6_Kg
 


春の息吹

2008-03-05 | 日々の生活
 
 しばらくぶりに体調をくずした。こころまでも沈みがちになった。
 まだまだ風が冷たい庭に出た。庭にはまだかなりの雪が残っている。流れる雲の間からときどき春の陽が射している。植え込みの雪を駐車スペースに撒いた。
 風のない日だまりのザラメ状の雪が春の陽に輝いていた。
 その雪の下にさわやかな緑が見えた。やさしくザラメ雪をよけると球根の芽が力強く伸びていた。多分チオノドクサと思うが、ずっと厳寒に堪え、雪の下で春への準備をしていたのだ。
元気をもらったような気がした。
今日は、早春賦がぴったりの、すがすがしい春浅い一日だった。
 ”春は名のみの 風の寒さや ~”


 

何をするにも一緒 大切な家族

2008-03-03 | 日々の生活
【愛犬ラック】 


  我が家の老犬は15歳にもなる。木枯らしの吹く寒い日に、息子が生まれたばかりの泥だらけの小犬を拾ってきた。この出会いが幸運であるようにとラックと名ずけた。雪の中を鞠のように転がって遊んだ小さい頃が思い出される。

 ラックは成長するにつれて気性の激しいことがわかってきた。よく吠えるし、ともかく臆病だ。しばらくは街中の散歩は無理、人影を見ると逃げるように家を目指してしまうこともあった。座敷犬で、食事も寝起きも一緒、寒がりで寝る時は誰かの布団にもぐってくる。ラックはいくつも言葉を理解し、こちらもしぐさで気持ちがよくわかるから人間と変わらない。 私が勤めていたころは、毎朝出勤時には妻におんぶをねだり見送ってくれた。外出時に「留守番をお願いね」と言うと、さーっと二階へ駆け上り自分のソファーから外をのぞいて見送ってくれる。家族の帰宅時などは騒ぎだった。キーキーと尾を振り、手や顔をなめ回して最大限の喜びを表現する。

 思えばお母さんのお乳も呑めないで我が家に来たラックを、家族のみんなが愛情一杯に育て、いつも彼女抜きにわが家の生活はなかった。
 少しお年寄りになってきたラックに撫でながら言ってやる。いつまでも元気で長生きしろよと。これからも精一杯甘えさせてやりたいと思っている。



旅立ち前の水鳥

2008-03-02 | 自然観察

崎川浜へ旅立ち前のコハクチョウに逢いに行った。
日曜日だったが、夕方3時を廻ると誰もいない湖畔、ハクチョウの叫び会う声が静寂に響いていた。何を語らうのだろうか、いつも切なく心に響く。

 もう先陣は北へ向かい旅立ったようだ。これからの長い旅路、過酷な自然の試練を思うと、水鳥たちが愛おしくてならなかった。

 頭が灰色でくちばしがピンクのコハクチョウの幼鳥が手の届くところまで近寄ってきた。何かを訴えるように、つぶらな瞳で私を見つめた。今も、この幼鳥のけなげな仕草が忘れられない。

【幼鳥と成鳥】


 雪の上に群れるコハクチョウの間にオナガガモがゆっくり休んでいた。これからの北への旅立に備えたやすらぎのひとときなのだろう。
 今日も湖水に秀峰磐梯が凛として聳えていた。






ささやかなひな祭り

2008-03-01 | 日々の生活
         【DSに興ずる孫二人】

 今日はみんなが一番ゆっくり出来る土曜日、少し早いが武琉君と萌香ちゃんのひな祭りをした。孫の健やかな成長を祝っての、ささやかなお祝いだった。

夕方、買い物に運転手を務めた。太郎庵でショートケーキを家族人数分買った。武琉も、萌香もひな祭り風にデザインされた好きなケーキを選んだ。
 みんながゆっくり出来るように、メインディッシュは、出来合いの寿司にした。
今はいろいろ変わったネタがあるものだ。孫たちはイクラとマヨコーン軍艦巻きとハンバーグの寿司が好物だ。
 帰路、TUTAYAで孫たちの本を買った。妻と、娘と孫たちが本を選ぶ光景を静かに見つめた。私はサライと、ラジオ深夜便「こころの時代」を求めた。

 店の外は、かなりの雪が風に舞っていたが、その中を駐車場の車までみんなで賑やかに楽しく走った。

 お祝いの夕餉、健やかに、素直に純真に育つ孫たちの前途をこころから祝った。

 夜、犬のおしっこをさせに玄関を出ると、ニシキギに春の雪が美しかった。今日から弥生3月、チラチラ舞う少しやわらかな雪をながめながら、それぞれの人生の一コマ一コマが、静かに流れていくのだと思った。


【ニシキギに春の雪】