【芽吹きを待つ】 何の新芽でしょうか?
加島祥造の著になる「伊那谷の老子」を読んでいる。前半は、伊那谷からもらった自然礼賛である。
彼は伊那谷の風向には、なによりもまず「やさしさ」がある、という。都会育ちである筆者であれば、たまたま伊那谷であったに過ぎないのではないだろうかと思った。彼の伊那谷へのこだわりは、実は日本のどこでもできたであろう自然の認識なのではないだろうか。たしかに彼も、心のふるさとは誰の中にも潜んでいて、その在り方や現れ方はみな違うとも述べている。都会育ちであったがゆえにいっそう自然への思いを深めることが出来たということかなどと考えた。いずれにしても、彼が自然と一体に成れたことが嬉しい。
鉄齋の詩「居山豈為山 只愛此中閑」(山ニ居ルハアニ山ノタメナランヤ、タダ此ノ中ノ閑ヲ愛スレバナリ)を挙げ、「閑」とは己の実在意識を静かに味わう心だという。今生きているという意識だと。
我が書斎はまさしくその閑の中にあり、いつもそのまま自分の時間を静かに味わっている。我が家は街中には珍しく自然の只中にある。庭の南西にスギの林があり、高台に建つため、西側、北側は何も遮るものはなく遠く街の灯の向こうに山並を望むことが出来る。窓から見える会津盆地の北西には飯豊山が壁のように聳え、北東には磐梯が美しい山容を見せている。
東向きの大谷石の門柱が、私道から市道へ到る、私の人界への入り口である。いつでも行きたければ人界へ下りることは出来るが、概ね草木や小鳥を友に「閑」をたのしんでいる。だから、家族、愛犬以外に口をきく相手は少ない。精神も住環境も世の中から隔離された陸の孤島と言えないこともない。そんな小さな自然の中で「閑」が存在できると思う。日々「閑」を求めて満足しながら過ごしている。
【新芽の答え ・・・・ ナツツバキ(シャラノキ)】