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エッセイ  - 麗しの磐梯 -

「心豊かな日々」をテーマに、エッセイやスケッチを楽しみ、こころ穏やかに生活したい。

飯盛山界隈へ 孫と散歩

2010-04-02 | 街中散歩
 
 孫とばーちゃんと一緒に飯盛山へ散歩した。我が家から1キロくらい、ラックが元気なころは時々来ていた。
天気は良かったがとても寒かった。孫たちは石段を元気に上った。
ジジ、ババは、石段を一段一段踏みしめながら、次第に体が温まった。
 武琉君は「まんが白虎隊」を読んでいたり、幼稚園のとき連れていってもらったらしていて、
いろいろ知っていて驚いた。
白虎隊のお墓にお参りした。手を合わせながら、墓石に刻まれる16歳、17歳の文字に切なさがこみ上げてきた。
彼らの生き様を想像しその心情を思い、今の時代の若者の心や教育などはこれでいいのか・・・と思った。
正面には飯盛山で自刃した19士の墓、右側には会津の各地の戦い亡くなった31名の白虎隊士の墓がならんでいる。
小学生のころ、墓の裏の林に悠然と舞うオオムラサキを見た思い出がよみがえった。
墓の左手の「会津藩殉何難烈婦の碑」の後ろで、もうウメが咲き始めていた。
これは、昭和3年会津戦役で自刃または戦死した婦女子二百余名の霊を弔うため、山川健次郎らの篤志家により建てられた顕彰碑だ。



 最近整備された、少年たちが自刃したあたりから鶴が城を望んだ。
白虎隊の少年もここから城を眺めたのだろう、遙かの木立の中にお城が確認できた。
 【遥かお城を望む】


 帰りは、さざえ堂の前を厳島神社へ下りた。
 さざえ堂に何年かぶりに中へ入ってみた。
六稜三層の形がさざえに似ていることからこの名でよばれ 、内部は3階になっていて、時計回りに上り、
反時計回りに下る世界にも例を見ない二重螺旋の構造をしている。現在、国重文に指定されている。

 【スケッチ 冬・さざえ堂】

 【さざえ堂の内部】

 戸ノ口堰洞穴は戸ノ口原の戦いで敗れた白虎隊が城下に戻るために通った穴、昔はここで子供たちが泳いでいたんだ、
などと孫たちに説明しながら厳島神社にお参りした。

 
【団子刺しの子育て地蔵からさざえ堂が見える】

白虎隊記念館の前を通ると「白虎隊士酒井峰治&愛犬クマの銅像」があった。いつ建てられたのか、今まで気付かなかった。
酒井峰治は戸の口原から引き上げる際、他の白虎隊士と離れてしまったが、不動滝上の滝沢茸山で愛犬クマの出迎えを受け、
クマの道案内によって若松城三の丸のあかず口より入城し籠城戦にて活躍したという。
記念館には、父が寄贈した、我が家にあった日新館の名入りの墨も展示されいるはずだ。


 
 孫たちに、昔、会津で戦争があったことや白虎隊の話などしながら家を目指した。
 少しずつ会津の歴史を教えたいと思いつつの、いい散歩ができた。 
(2010.3.30)

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