昨日、メールで山形の友人から、愛犬を亡くした同じ思いの慰めの詩が届いた。
詩人Mさんも、昨年の秋に我が家と同じ愛情に包まれた家族の一員を亡くした。
奇しくもラックと同じ16才だった。
よく「時が解決してくれる」と聞くが、分かったふりをしてもそんなことはない。でも、ラックがいない悲しみを、楽しかった思い出にして行こうと思っている。
Mさんの承諾を得ずに、氏の詩「信号」をブログに載せる。
「反転を繰り返し 彼女の居ない日常に 帰っていくしかない」
この悲しい現実をしばらく認めながら生活していかなければいけないのか。
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信 号
背後でクラクションが鳴った
信号機が青色に変わっている
慌ててアクセルを踏む
青信号へいつ変わったのか
とっさに思い浮かばない
何かがすこしずつ失われていく
何を考えていたのかは分る
夕べの事だ
稀弱になり始めていた黄色い点滅が
腕の中で赤色に変わった
十六年間の小さな命の事だ
赤信号のまま
柴犬の彼女の事を思っていたのだ
後始末を頼んで
出がけに冷たい骸を撫でると
老いて白さを増した毛並みだけが
いつもの手触りながら
ひんやりと指先に移った
フロントガラスの向こうには
燃え尽きようとしている
赤茶けた山並み
ここも間もなく
雪に覆われるだろう
勤務先まで
信号の繰り返しが続く
僕は少しずつ
反転を繰り返し
彼女の居ない日常に
帰っていくしかない
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