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エッセイ  - 麗しの磐梯 -

「心豊かな日々」をテーマに、エッセイやスケッチを楽しみ、こころ穏やかに生活したい。

小さな命の名前

2010-05-19 | 教育を考える
              庭に桐の花が落ちていた。
              見上げると、ヒヨドリが枝に止まっていた。

   
身近な小さな命の名前を知ることは、日々の生活を豊かにすると思う。
そんな思いで、身近な草花をスケッチさせる授業をしたこともあった。自作教材で展開した『環境科学』の1テーマだった。
何より五感により自然に触れること、そしてその体験的観察から自然へ関心を高めたいと思った。
小さいころからの自然とのふれあい体験が、やがて自然保護の思想につながると信じていた。
教える高校生は、ほとんどの緑の名前を知らなかった。大きくなった我が子もしかり、大人もおおむね似たようなものだと思う。
 身近な小さな自然を入口にして、自然への正しい認識が生まれるはずなのだが・・・。

 雑草にも立派な名前がある。名前を知り、挨拶を交わし、分からないことも聞くことができるようになる。
 自分自身、自然に畏敬の念を抱きながら、草木、樹木、さらにチョウやトンボ、甲虫など、日々出会う小さな命との対話を続けていきたい。


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お城を模写する孫

2010-04-30 | 教育を考える

ジーちゃんのスケッチが家じゅうに飾ってある。ピアノの上には2L版のお城のスケッチ画が飾ってある。
 なぜかわからないが、2年生の武琉君がそのお城のスケッチ画を見ながら模写していた。
30分もかけて、何もかも忘れて描いていた。
 出来上がりの作品を見て驚いた。小学2年生にしてはどうなのだろうか、とても上手に描けていると思う。
 どうしてお城の絵なんか描いているのかと聞くと、お城を造りたかったからという。描いた絵をコピーして、貼り合わせて立体のお城を作るアイディアのようだ。聞いて、その発想が分からないでもなかった。
 その時は聞き流してしまったが、ボール紙で四角垂の様な形を作り、模写した絵を張り付ければ・・・、なるほど、と考えている。そのうち、詳しくい聞いて造らせてやろうと思っている。
 また、実際のお城を前にしてのスケッチもさせてやりたいと思っている。




1年生もあとわずか

2010-02-25 | 教育を考える
   
【今日の磐梯】

いい日が当っている庭に、カワラヒワやシジュウカラが来ていた。
 やわらかくなったリンゴを梅の枝にさした。ウメはいわきではもう咲き始めたようだが、
まだまだつぼみは小さく硬かった。サンシュユの花芽もまだ眠りから覚めていないようだ。

 急ぐことはないが、庭にまだ残る雪を崩して撒いた。雪をよけるとスイセンの芽が見えた。雪ともお別れ、いよいよ春の訪れだ。


【つぼみ堅いサンシュユ】
 


 各地で福寿草が咲いたというニュースを聞き、裏庭の植え込みに様子を見に行ったらまだまだたっぷりの雪に埋まっていた。
 ついでにと、隣の娘の家の庭のゲレンデの雪を崩した。孫たちがミニスキーでよく滑った雪はかたかった。



 1年生の孫の机の上に「エトセトラ」を見かけた。
「エトセトラ」は、時々目にしていたクラスの先生から毎日届く家庭への連絡通信だ。
 A5サイズに、学校での学習の様子や ○今日の配布物 ○今日の宿題 ○今日の音読 ☆明日の漢字テストの内容などが載っていた。
 そして、
☆子供たちが1年生として登校する日数が二十日間を切ってしまいました。
 早いものです。国語科と生活科では、1年間を振り返りながら活動していく学習があります。
 昨年4月の幼かった顔から確実に成長のあとが見られる子供たち。
 残りの日々、一年生のまとめを子供たちと一緒に行っていきたいと思います。

」とあった。

 ランドセルを背負って通い始めた孫の姿が浮かび、お世話になった担任の先生の気持ちを思い、胸がいっぱいになった。

 調べたら、2009-04-10のブログに、「1年生の集団下校」を書いていた。
その写真に、ぴかぴかの一年生を引率する担任の先生が写っていた。



あれから1年間、本当に最近の孫の成長には驚く。また、先生たちには言い表せない感謝の気持ちでいっぱいだ。

昨日2月24日の「エトセトラ」はNo.171とあった。毎日欠かさずに家庭への通信に頭が下がった。
 とくに1学期頃の何もわからない小学校の生活、親はどれほど心救われたか分からない。
 また、孫は無口、学校の様子などもこの通信が頼りになっていた。担任のM先生に感謝、感謝である。



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子どもの無限の可能性

2010-02-13 | 教育を考える
             【春を待つ】

今朝、寝床で「新聞を読んで」(早稲田大学教授・水島朝穂氏)を聞いた。
 珍しく地方紙が紹介され、話の締めくくりに、福島民報紙のコラムが紹介されていた。

 偶然はあるものだ、昨夜寝る前にお兄さんの河合雅雄氏の「子どもと自然」を読み直していたところだった。何とも不思議なものだった。
雅雄氏は、いまの子どもたちが自然と親しむことが少なくなり、いのちの不思議や畏敬の念をはぐくみにくいことを指摘している。20年前の著書である。
教育はいつの時代にも、子どもを取り巻く環境の変化に伴い大きな問題である。
ラジオで聞いた隼雄さんの言う「子どもの無限の可能性」について、孫たちを思いうかべた。
周囲の大人社会は、孫たちに、明日の子どもたちにたくさんの気づきの機会を与えなければならない心にとめた。

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あぶくま抄   (福島民報 2/11付)
 「将来、何になりたいか」と小学生に聞くと、大抵は「サッカー選手」「野球選手」「ケーキ屋さん」「幼稚園の先生」を挙げる。南相馬市の原町二小と原町三小では「指揮者」「演奏家」という答えが交じるようになった。
 両校は市文化振興事業団の通年音楽教育プログラムに応募して、昨年6月から仙台フィルハーモニー管弦楽団とワークショップを続けてきた。指揮者から合唱の指導を受けたり、木管五重奏の伴奏に合わせて歌ったり、ストローを使ってトランペットの吹き方を学ぶなどの体験を重ねた。
 臨床心理学者の故河合隼雄さんは「ひとりひとりの子どものなかに宇宙がある(中略)それは無限の広がりと深さをもって存在している」(岩波新書「子どもの宇宙」)と記す。子どもには無限の可能性がある。ただ、気付きの機会がなければ、自分の宇宙の広がりと深さを知らないまま大人になってしまう。
 通年音楽教育プログラムの総仕上げは南相馬市民文化会館で11日に開く「仙台フィルメンバーとみんなでつくるコンサート」だ。小学生は管弦楽に合わせて「ビリーブ」などを歌う。プロとつくるステージで、どんな宇宙を見つけるのだろう。
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DS対策

2010-01-22 | 教育を考える

 お兄ちゃんは、暇さえあればDSで遊んでいる。たまにDVDかビデオ、宿題は数分でできるし、家ではほとんど勉強はしない。ちょっと心配だ。

今夢中なのはポケモンと恐竜キングだ。それぞれの攻略本もそろっていて、細かい解説もルビは振ってあるからくじっぴきで操作している。驚きである。たいしたものだ。幾多の情報処理能力が養われることは間違いない。

ちょっと娘が保管しているほかのカードソフトを見てみたら、「ノダメカンタービレ」「こてんこてん」「プリキュア5」、「マリオ」、「右脳キッズ」などに混じって、「英会話ききトレ」や「えいご漬け」など教育的ソフトもあった。ジイも、たまに「数独」でヒマをつぶしたりしたり、「パックンロール」などもおもしろく使わせてもらっていた。有効な情報処理機器であることは論を待たないだろう。

 とは言っても、いろいろ心配する。そこで、孫たちのDSの時間制限を提案し、時間を大切にと理解させた。渋々ながらの納得だろうが、DSをやらない時間のなんと余裕のあることか。この前の、ジイのPCのない生活の豊かさを思った。
 空き時間に少し本読みの時間をとって、いろいろなことに興味を持たせたいと思っている。


ありがたい 孫の学級通信

2009-12-20 | 教育を考える
       【鮮やかな残りカリン しんしんと降る雪】



 孫の1年生武琉くんのクラスでは、毎日担任のM先生から通信が届く。A5判の「エトセトラ」だ。クラスや学校での様子に、今日の配布物、宿題、明日の学習計画、持ってくるものなどが、毎日欠かさず書かれている。じいもときどき目にしているが、今日の通信は倍のサイズで、カラー写真が5枚、お楽しみ会「お店屋さんごっこ」でのグループ毎の活動が、みんな写るように載っていた。
 通信「エトセトラ」は、初めて学校に出した親にとっては、どんなにかこころ強かったかしれない。ありがたいと思っている。

 4月、学校に通い始めた頃、先生に連れられて家の近くまで集団で下校していた頃を思い出した。あれから9ヶ月、ピカピカの1年生もずいぶんたくましく成長したものだ。
 普段の様子はあまり話さない孫だが、運動会あり、学習発表会あり、この前は保護者面談があったようだ。学校の様子はよくわかる。最近は新型インフルエンザが蔓延し、学年の他の何クラスかで学級閉鎖になったりしたが、武琉は風一つ引かずに元気で通った。
 22日で2学期が終わる。慈しみ育てる孫を見つめながら、学校でもさぞかし先生方にお世話になっているだろうと、感謝の気持ちでいっぱいだ。
 
この前、じいちゃんの画いた磐梯山のスケッチを孫に持たせた。私の大好きな絵を2Lサイズに印刷して額に入れた。厳寒の崎川浜に浮かぶコハクチョウと遙かに聳える秀峰のスケッチだ。子供たちに郷土の秀峰磐梯山や猪苗代湖、美しい自然を心の隅に残してやりたい思いだった。
 折り返し先生から娘宛にお礼の返事があった。教室の先生の机の上に飾られた小さな自然を、子供たちが時折眺めている教室の様子が目に浮かんだ。




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孫たちの夏休み

2009-08-07 | 教育を考える


 夏休みももう半分が過ぎた。ママのいない午前中は孫と過ごしている。
 ママは我が子をジジ、ババにあずけ、放任気味だ。つきっきりは大変だが、孫がかわいそうだし、少しでも規則正しい生活をと気を揉んで過ごしている。

 朝は涼しいところへ座らせて、萌香ちゃんには絵本の一部分を、武琉君には恐竜図鑑の解説文を写させたりしている。この課題は飽きずに楽しくこなしている。萌えちゃんがひらがなを読め、丁寧に書けるかを確認できた。武琉は、何でも興味を示し、自分でいろいろ本を読んで調べている。国語の後は、算数足し算だ。

勉強もどきの後、しばらくはDVD鑑賞、「トムとジェリー」を何度も観ている。これは飽きずに大人もみている。最近は、萌えちゃんは「プリキュア」、武琉は「カメンライダー」が好きだ。

 次は、ぱらぱら降る雨の中、孫たちと庭を一回り。今朝はセミの殻をみんなで7個見つけた。アブラゼミだ。武琉君はもう以上も20個も箱に集めている。萌香ちゃんも真似て、空き箱に集め始めた。
涼しいときは表で活動させたいと思っている。昨日は夕方、久しぶりに「ふれあい」の駐車場で自転車乗りをした。萌えちゃんは補助輪が完全にとれた。意欲とそれなりの援助があれば目標達成は早いものだ。

 何ごとも、教えればそれなりのことはある。教材を工夫して、基本的なことを身につけさせることが大事だ。いろいろなことに興味を持たせ、創造的な物の見方・考え方を育てる観点が大切だと思う。

  孫たちだが、親に期待出来ない現状であれば、少しでも助けになってやるしかないと思っている。残りの夏休み、心に残る何かを与えてやりたいと思っているが・・・。




KJ法

2009-07-10 | 教育を考える


今朝、新聞で文化人類学者の川喜田二郎先生の訃報に接した。
 氏の著書「発想法」「続・発想法」「可能性の探検」「チームワーク」などはいつも座右にあった。そして、氏により提唱された創造的な問題解決技法であるKJ法は、いつも私の思考を助けてくれるツールであった。
 知育偏重の時代から、生きる力を重視する教育への変換時期に、私は種々の場面でKJ法を一つの教材として位置づけ実践した。

 KJ法は、いろいろな側面からもたらされる点的な情報を、より論理的な線的な情報に変える一つの問題解決の技法である。また、異質なデータ・情報を統合することによって、新しい発想・アイディアを生むことのできる奥の深い方法論であり、それは、教職にあり「創造性の涵養」をテーマにしていた私にとって、高校生たちに生き生きした主体的な参画意欲、チームワーク、物の見方、考え方を培うことができる一つの思想でもあった。

 今、データを書き込んだカードを並べ替えた昔の光景が浮かんでくる。
 KJ法から教えられた幾多の全人格的な理念を思いながら、KJ法に出会ったことに感謝しつつ、先生のご冥福を祈りたい。


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クロナガオサムシとオオヒラタシデムシ

2009-06-13 | 教育を考える
           【クロナガオサムシとオオヒラタシデムシ】

 土日は、極力孫と遊ぶことにしている。
 萌香ちゃんも、補助輪をはずしてもう自転車に乗れるようになった。
 二人にグローブを与え、キャッチボールを始めた。野球を覚えさせたかった。

今、孫たちとのふれあいを思うと、すべてが我が子に対してよりも豊かに感じられる。
 特に自然とのふれあいは、我が子よりも孫たちの方が多いと思う。親より時間にもこころにもゆとりがあるからだろう。

今日は、ネットと虫かごを持って催促する孫たちと近くの里山へ行った。そこで出会うすべてが子どもたちにとってかけがえのない自然との出会いだ。出会いのすべてが自然観察教材だ。
 武琉は今日、ハラビロトンボを知った。額のブルーを見つめ、♂や♀の違いをつぶさに観察した。オサムシやシデムシが蛾の幼虫を食べる姿に出会った。家に戻り図鑑で調べたら、クロナガオサムシとオオヒラタシデムシだった。
 虫たちを捕まえ、よく観察して放してやる。理想的な自然観察により、美しい自然に感動し、畏敬の念を抱くこころを培って欲しい。そんな願いを持ち、自然の入り口を案内している。

カゲロウと環境教育

2009-05-20 | 教育を考える

  庭で、葉の裏にモンカゲロウが止まっていた。その造形はとても奇妙に見えたが、羽といい目といい、よく見るとこれまた魅力あり美しくさえ見えた。
 渓流の石ころを取りあげ、水生昆虫を観察したことを思いだした。

 在職中に、信州大の生態学研究室(櫻井善雄研究室)に内地留学したことがあった。当時、環境教育の必要性を感じその教材化を検討していた時期だ。
 研究報告書を見返したら、研究テーマは ①界面活性剤の生分解性に関する研究 洗剤が水界の細菌群衆に及ぼす影響 ②野外調査観察研修とあった。

 思えば、環境科学に関するいろいろ有意義な研修をすることが出来た。
特に、大学近くの河川での水生昆虫による水質調査や諏訪湖での大腸菌群細菌の分布調査など野外の研修はとても興味深かった。
 特に、生態学的な指標生物を使っての水質判定は、今では小学生などの一般的環境教育教材として定着しているが、当時はその先駆け的手法であった。その後、これらを環境教育教材に取り上げた授業では、生徒は関心深く意欲的に取り組んだものだ。

 当時、工業高校化学系学科では廃水処理に関する専門的な技術を学ぶ公害教育が中心であったが、より「正しい環境の認識」という視点から、グローバルな教材の必要性を感じていた。この研修で、カゲロウ、カワゲラなど渓流の底生昆虫の採集を体験したことが、知識、理論、技術、法律以前の、より重要な環境教育の構造化をし、その実践につながった。
 カゲロウを見つながら、環境教育の実践を懐かしく思い浮かべた。



化石に触れる

2008-12-12 | 教育を考える
                【小学生のころ集めた化石】
 

昨日、大阪の小学生が白亜紀前期の地層から、新種のエビの化石を発見したというニュースに触れた。また、夏には兵庫の丹波で、地元の小学生が肉食恐竜の歯を発見した事もあった。

 小学生のころ、自分の手で採取した化石を物置から見つけてきた。もう半世紀も前、私も化石に夢中になった一時期があった。そのころのこの宝物を、孫たちに触れさせたかった。
 この宝物はしばらくは親元に大切にしまってあったが、何度かの引っ越しや、離れていたこともありほとんどが何処かへ消えてしまった。手元に残っている黒っぽい泥岩に木の葉や二枚貝がくっきり見える。たぶん中世代三畳紀のころのものであろう。

 小学3,4年生のころ、担任のA先生が出身地の町に化石の採集に連れて行ってくれた。あれから50年ほどになるが、小さな手で熱中してハンマーでタガネを打っていた自分の姿が浮かんできた。また、今はなくしてしまった魚のウロコやウニの化石も鮮明に思い出された。この小学校のころの化石採集は幼い心に強く残り、実に貴重な体験となった。

 6才になった武琉君は、もう恐竜の化石を例に、その意義を十分認識しているようだ。今年は春に新潟の県立自然科学館、夏には「いわき市石炭・化石館」へ、そしてお盆には信州に帰省の折り糸魚川の「フォッサマグナミュージアム」へと、沢山の化石を見る機会があった。その都度、武琉君は目を輝かせて興味を示めした。
 まだまだ幼い世界、武琉君は、DSの恐竜キングで、見つけた化石をクリーニングしたりしている。いま幼子がこの化石を眼で見て、手で触れた体験が、やがて必ずや科学するこころの一端に育つことと思っている。



感動の幼稚園発表会

2008-12-05 | 教育を考える

  幼稚園の一大イベント、フェスティバルがあった。娘が抽選で爺、婆の席を取ってくれた。半日、園児たちや孫のかわいい成長を見ることができた。
 
 年少組の出し物は、劇遊び「おおきなさつまいも」。萌香ちゃんはかわいい黄色いお揃いの衣装で「猫ちゃん」に扮し、歌い躍り、みんなで力を合わせて大きなお芋をぬいた。

 年長組の武琉君は、オペレッタ「ぬまのほうせき」と「白虎隊」剣舞を立派に踊った。武琉君の舞う、凛々しい白虎隊の姿には目頭が熱くなった。声を出して泣きたいくらいだった。こんなに素直に良い子に育つ孫たちの成長が嬉しかった。これから郷土・会津を背負って生きていく孫たち、そのけなげさや精一杯演技する姿などが複雑に絡み合い、涙が流れた。剣舞は年長3クラスから抽選で選ばれた12人、さぞかしずいぶん練習をしたのだろう、整然と、誰一人乱れることなく真剣に舞った。その姿に久々の感動を覚えた。隣の妻も同じ気持ちで見ていたのだろう。暗がりで頬に手をやる気配が見えた。続いて、女の子の「おんな白虎隊」の剣舞があった。



 霧島昇の「白虎隊」はもちろん素晴らしいが、斎藤京子の歌う「おんな白虎隊」はまた良い。流れる歌詞は実に切なく、悲しい複雑な気持ちが込み上げてきた。
くちびる噛んで眉上げて 花の乙女の白襷・・・
風生臭き城下口  そよぐ秋草何思う・・・
つきぬ思いを誰か知る・・・会津の山河 陽は悲し


プログラムの最後は「みんなで歌おう」、年少から、年中、年長組みの全園児による合唱だ。園児は何人いるのだろうか。それぞれに演じた衣装のまま、手話を交ぜ、動作を入れての合唱は壮観だった。

「私からあなたへ
 この歌をとどけよう
 広い世界にたった一人の 私の好きなあなたへ 」

 家でもときどき二人で手話を交えて披露してくれていた。ときどき聴いていた歌だったが、題名が「切手のない贈り物」であることを初めて知った。あらためて歌詞を見て、またじーんと来てしまった。

 

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切手のない贈り物』  作詞・作曲 財津和夫

私からあなたへ
この歌をとどけよう
広い世界にたった一人の 私の好きなあなたへ

年老いたあなたへ
この歌をとどけよう
心優しく育ててくれた お礼代わりにこの歌を

夢のないあなたへ
この歌をとどけよう
愛することの喜びを知る 魔法じかけのこの歌を

知り合えたあなたへ
この歌をとどけよう
今後よろしくおねがいします 名刺がわりにこの歌を

別れゆくあなたへ
この歌をとどけよう
淋しい時に歌ってほしい 遠い空からこの歌を


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白虎隊」 (作詞 嶋田 磬也  作曲 古賀 政男  唄 霧島 昇)

戦雲暗く 陽は落ちて 
孤城(こじょう)に月の 影かなし 
誰(た)が吹く笛か 知らねども
今宵名残りの 白虎隊

紅顔可憐(こうがんかれん)の 少年が
死をもて護る この砦 
滝沢村の 血の雨に 
濡らす白刃の 白虎隊

《詩吟》
南鶴ケ城を望めば砲煙あがる 
痛哭涙をのんで且彷徨す 
宗社亡びぬ我が事おわる 
十有九士腹を屠って斃る

飯盛山の 頂きに 
秋吹く風は 寒けれど 
忠烈今も 香に残す 
花も会津の 白虎隊

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こどもたちの感性、情操を育みたい

2008-11-26 | 教育を考える
「みんなで仲良くケーキを食べる」


 孫の通う幼稚園の先生から、年少組の萌香ちゃんが児童画展で入選したと連絡があった。
保育園に勤める末娘に聞いたら、世界児童画展の県大会らしい。丁度、自分の担任している子どもが特選に選ばれ、福島での表彰式に出るという。作品は戻らないから、萌香ちゃんの入選作品を撮ってきてもらうことにした。
 沢山の絵の中から偶然選ばれたのだろうが、嬉しいことだ。本人に聞くと、何を描いたのかも、選ばれたことの意味も分からず、全く関心がない。
 写真に写った絵のタイトルは「みんなで仲良くケーキを食べる」、もっときれいな色を使えば・・・、周りのお友達もちょっと・・・など、勝手に批評がましく、でも、描き始めの年少児、一生懸命描いたろう、その姿が浮かんできた。
 武琉君も運動会のかっけっこを描いて出品した。一箕地区文化祭で見た絵で色彩豊かな絵だった

児童画と言うと思い出すことがある。会津の子どもたちの誰もが作品を寄せたであろう、「会津雪国の絵展覧会」だ。かつて、3人の子どもそれぞれに賞状をもらったが、その賞状のユニークなデザインで好きだった。長い間飾っておいた賞状だが、春先整理をしてどこかにしまい忘れてしまった。
 たしか、降る雪に「雪がコンコと降る中で育まれた あなたの作品は・・・」と言う文字が躍っていた記憶がある。
 毎年2月に開催されていたこの展覧会だが、残念なことに、来年から無くなるという話を小耳に挟んだ。どうしてだろうか。とても残念だ。
 子どもたちはいただいた賞状にどんなにか勇気づけられ、感性を育まれたであろうか。故郷会津の雪景色をみつめながら、子どもたちが描いた心はどんなにか温かかったことか。
 「会津雪国の絵展覧会」をなんとか続けて欲しいと思っている。

感性、情操こそは、豊かな生き方に欠かせない大切なもの、孫たちがやさしく感性豊かな人に育って欲しい。絵は、たしかにそれらを育む一つの手段だと思う。豊かな生き方を支える感性や情操を育てるために、孫たちに様々な体験をして欲しいと思っている。



幼稚園の祖父母参観

2008-10-16 | 教育を考える

 孫たちの通う幼稚園の祖父母参観に行った。昨日は年長組の武琉君、今日は年少の萌香ちゃんと二日続きの参観だった。

武琉君の方は、触れ合い遊びやゲーム、じいちゃんやばあちゃんのコマまわしやお手玉の特技披露もあった。みんなの育てたジャガイモをみんなで美味しく食べた。
萌香ちゃんはペットボトルやプリンのケースを使ってマラカスを作った。中には黒豆、大豆や隣の会津大学でみんなで拾ってきたドングリを入れて、テープやシールで飾り付けた。作ったマラカスで元気よく歌を歌って過ごした。
 
 我が家では、隣にいる孫とは食事も寝るのも一緒だから、あらためてスキンシップどころではないが、孫たちそれぞれ家とは違う顔を見ることができてとてもよかった。二人とも、伸び伸び良い環境で楽しい幼稚園生活を送っているようだ。

 昨日は帰りに、年中組のさつま芋掘りや、年少組のお散歩に行き会った。
 広々した、自然に恵まれた静かな環境の中で、子どもたちが日々、楽しく成長し人格の基礎が育まれていく。あらためて幼児教育の意義を考えさせられた。




ザリガニ捕り

2008-09-22 | 教育を考える

たわわに実った稲が重たそうに穂をたれていた。
昨日、孫たちと前から約束をしていた、ザリガニ捕りに行った。
水のなくなった田の水路を探すと、赤いハサミが見えた。わずかに残る水たまりで、孫たちは喜々として網ですくってバケツに入れた。
 帰宅して捕獲してきたザリガニ3匹を水槽に入れた。ちょっと心配だが、ジョウやメダカと一緒だった。

今朝は大騒ぎ、大声で報告する孫、水槽を見ると、ザリガニがドジョウをハサミで抱え、食いちぎっているではないか。確かに、昨日は近づくメダカを襲うような仕草を観察していた孫から様子を聞いていた。
 獰猛なザリガニ、自然界の一端を見てどうしようかと考えている。
 カブトムシとついこの前羽化したノコギリクワガタも元気でいる。生き物にとても興味を持って観察する孫を見つめている。
 大変だが、孫たちから、毎日元気をもらっている。