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エッセイ  - 麗しの磐梯 -

「心豊かな日々」をテーマに、エッセイやスケッチを楽しみ、こころ穏やかに生活したい。

不安な病にも 穏やかに過ごしたい

2007-10-16 | 健康
 
 しばらく、自分の病状に関わる多忙な日々だった。
 8~9月、10月と2度の入院、数えると20日間の不自由な日々だった。
 4年間、いつも突然の発熱に苦しみ、また術後の炎症か、と半分諦めていた。
 今回、8月末はかなりひどく、正直言って危ない状態での緊急入院だった。その際、少し根本的な治療に入り、現在もその経過を観察中である。
 今後の治療についての神奈川の大学病院と、地元の病院の医師の手紙のやりとりや説明から、いろいろなことを考えて、今回は地元の病院にお世話になることにした。今日の診察で11月初めに約3週間の予定で入院が決まった。

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 自分の患っているガンは予後不良で、退院の際には、5年後の生存率は0%と知った。頻繁に入退院を繰り返しながらも、すでに生かされて満4年が経過した。この間、こころは不安定ながらも充実した日々だった。
 でき得ればこのガンに克ちたいとの思いは年々強くなっている。それは、家族と別れたくないから、そして、もう少しの間身近な自然を見つめ、こころ豊かな安らぎが欲しいからだ。
 でも、如何ともしがたい、いのちに関わる病状に不安を感じながらも、これも定めと思っている。主治医から、病気の現状や治療の説明を聞く時でさえ、身体のすべてが何と精巧に機能していることか、生命の神秘に感心したりした。
 いかなる状況にも動じることなく騰々と過ごしていきたい。
 何も急ぐことはないと、ときどき自分に言い聞かせながら平穏な心境でいる。
 神に祈りつつ、家族に感謝し心配をかけないように、今を大切に過ごしていきたいと思っている。
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しばらくブログお休みします。

2007-10-06 | 健康
          【香りだした今日のキンモクセイ】

 10/4に体調を崩し、突然の入院となった。
とりあえずの応急処置を受け、本日退院できたが、絶食、点滴の3日間ですっかり病人になってしまった。

 『禍福は糾える縄のごとし』である。いつも、明日のことは分からない。
 この前の退院から約1ヶ月間、久々に楽しい豊かな日々を過ごしたが、いつまでも続かないものだ。
 
 近いうちに少し長い入院となる。
 また楽しい日々を願いながら、辛い入院生活を頑張って乗り切りたいと思っている。
  
  《 病床に キンモクセイの香 思いつつ


チャーム・バイクで快適サイクリング 

2007-10-01 | 健康
 最近、家の中でサイクリングを楽しんでいる。
 長い間、嫁いだ娘の部屋にほこりをかぶっていたチャーム・バイクに毎日乗っている。 娘が美容のため、ダイエットのためと買った自転車だ。

大病後約20キロも痩せ、また激しい運動もできなくなった。身体を動かすのは老犬との散歩くらい、あまり運動の足しにはならない。いつも、もっと身体を動かさなければと思っていた。

 ちょっとした合間に、ラジオやCDを聞きながらできる、快適なサイクリングだ。テンション・コントロールできつい坂道も、楽な下り坂も自由に調整でき、速度計を見ながら、毎日2㎞ほどを3回くらい走るようにしている。

 雨の降る庭を眺め、交通事故や転ぶ心配もない。身体の健康のため、いい運動だと満足して乗っている。けっこう快適に身体を動かせ、足腰にいいし長続きしそうである。

病気が憎い

2007-09-20 | 健康
            【朝日に輝くキンエノコロ】

 今朝、ときどき犬の散歩で一緒になる近所の奥さんと立ち話をした。
 ご主人も私と似た病気で、いつも病状を話し合い励まし合っていた。お互いに「お加減いかがですか」と訪ね、「お大事に」と挨拶を交わして別れていた。
 奥さんは、ご主人がまた入院中であまり芳しくない様子だと、胸つまりながら話された。 大黒柱の帰りを待つ家族の寂しさや心配は痛いように分かる。家族の早く元気になって欲しい願いが伝わってきた。先月、私も同じ頃に入院し、つい先日幸い退院したばかり、家に帰りたい、愛犬と散歩に出たい、庭の花に水をやりたい・・・・我が身と重ね、、病人の病床での辛い生活を思い、とても切ない気持ちになった。そして、病気が本当に憎いと思わずにいられなかった。
 一日も早い快復、退院をこころから祈った。



入院中に庭の自然を思う

2007-09-14 | 健康
                【癒された病室からの緑の街】   
  
 足下にチヂミザサがいっぱいの穂を付け、勢いよく静かな庭を占領している。
 先週の台風9号以降、秋の雨降りが続いたせいもあったろうが、今しばらくぶりに見る秋の庭の緑は、とても生き生き見え、たしかに病床で夢見た癒しに違いなかった。

 病床でいつも思ったことは、庭の緑、虫たちを見ながらの幸せな日々だった。突然その当たり前の生活が奪われた辛さ、切なさを痛感した。愛犬ラックとの散歩、スズムシや金魚の世話、デジカメでの花や虫たちの撮影、盆栽への散水、こんな当たり前の日常が突然に無くなった切なさだ。

病院では、いつも目を閉じて庭を一巡りしていた。門柱の上のミセバヤのつぼみは大きくなっただろう。柿の木の下のムクゲもまだ咲き続けているだろう。ハゼの盆栽の水は大丈夫だろうか。ピンクや赤、橙色のゼラニュウムの花はもう終わってしまっただろうか。ほころび始めたアキノキリンソウやトラノオにセスジツユムシが止まっている。そんな秋の庭のようすが目に浮かんできた。

 入院以来、一歩も外の空気の吸えない数日は11階の病室の窓越しに広がる美しい伊勢原の緑の街は、ひとときの救いだった。流れる雲を眺め、ゆっくり、おおらかに生きたいと思った。早く元気になって家に戻りたい、当たり前の生活がしたい。そんな日々だった。
辛い夜が明け、朝日に点滴の袋、チュープが輝く。また元気になれるだろうか。日に日に具合が悪く、悪化して衰えていく身体を見つめて落ち込むこともあったが、多少は不自由でも、耳が聞こえ、目が見える幸せを考えた。最愛の家族に囲まれて、一日一日を大切に過ごしたい。苦しみのあとにはきっと楽しみがあると。

 また、周囲はこんなちっぽけな人間に本当に親身になって励ましてくれた。ありがたく、切なく、涙が込み上げてきた。
 肯えないが現実だが、今回の入院もいろいろなことを教えてくれた。思えば大手術から4年、その後5度目の入院だったが、またいろいろ教えられた。病気は厄介者でなく、これまで以上に病気について詳しく勉強して、病気と仲良くしたいと思っている。嘆いてばかりはいられない。もっと気丈に、強く生きていきたい。

 2週間歩かないでいた。ラックと散歩に出た。秋の実りを見つけながら、ゆっくり歩いた。少しづつ身体が元に戻りつつあると感じている。
 稲穂はもう黄金に色付き始めていた。

退院を喜ぶ

2007-09-12 | 健康
            【こころを和ませてくれた お見舞いの花かご】

 2週間ぶりに我が家で朝を迎えた。
 先月末、あれほど具合の悪い中を、妻と娘、孫たちを連れて裏磐梯を訪ねた。
 大自然を求めて車を走らせた理由は何だったのだろう。
 夏の終わりを楽しみたい我が儘だったのかもしれない。
 入院前のこころをふり返った。

 しばらくぶりに雨の庭を眺めている。庭一面のアイが咲きはじめている。長く伸びたミズヒキの紅と白が鮮やかに、生き生きしている。ウメモドキも真っ赤に色付いている。

【色づいたウメモドキ】

 何とか元気になり、これからまた、当たり前の生活ができるようになるかと思うと涙が流れてきた。
 日記に「また、ブログを再開しよう。」と記した。

 微熱が続く

2007-08-27 | 健康

 今朝の体温は38.1℃。夜中に寒気がして厚手の布団を掛けた。
空腹での薬はあまりよくないから、朝食後いつもの薬に加えて、解熱剤を2種類飲んだ。
今回は微熱が下がらず、37から38℃くらいの熱が約一週間続いている。それに加えて、ここ4,5日は久しぶりに全身の痒みがひどい。特に、足の裏、手のひらは我慢できず、苦痛で夜はよく眠れない。身体の中に異変が起きているのは間違いない。
 地元の病院では、特別な問題がある時のみ診察を受けている。入院を勧められることは分かっているが、月末に3ヶ月1度の大学病院の診察があるので、それが終わってと思っていた。
大学病院では、3ヶ月記録してきた病状の経過を説明をして、地元病院との今後の治療の在り方を聞きたい。具合の悪い原因も分かり、何とも仕方ない状況がもどかしい。でも、心配をかけている家族のためにも、何とか普通の生活を取り戻したい。
 ともかく熱が下がれば、少しは意欲も湧いてくるが、ここしばらく辛い日が続いている。
毎日ぐったりして、庭に出るのもおっくうで、犬の散歩も途絶えがちだ。

 気分転換に、熱帯魚、金魚の清掃をした。朝、照明を付け餌をやる。毎日同じことの繰り返しだが、小さな魚も愛おしい。
 熱帯魚は30年来育てているが、金魚は飼い始めて3年くらい、孫に良いと思い小さい鉢に飼っている。リュウキンとオランダシシガシラで元気がいい。餌は孫たちの日課だ。

 お兄ちゃんは今日から幼稚園。自由気ままの夏休みだったが、いやがらずに通園バスに乗っていった。午前中、下の孫娘との生活が始まった。
  

月に一度の検診

2007-08-12 | 健康

 今日は、月に一度の検診の日。ここ一ヶ月中の発熱は3度、ときどきの発熱は仕方ないと言われているがやはり異常だ。いずれも発熱の予感があると、すぐに抗生物質を服用する。普通は、その日1日だけで元に戻る。

 病院は相変わらず病人であふれていた。月に一度とは言え、待ち時間が長く嫌になる。血液検査の結果を気にしながら、静かに読書のひとときとなる。いつも適当な文庫本を持参している。また、いろいろこころの整理をする時間ともなっている。
待合室でしばしまどろんだ。ふと、「お父さん!」と妻の声に起こされたと思った。病院のベッドに寝ていて起こされたときの情景が浮かんできた。ついこの前のことのように、妻と子どもたちの看護の日々が思い出された。間違いなくそんなときがあったと思い直すと申し訳ない気持ちになった。家族の気持ちを忘れ、つい何不自由なく我が儘な生活を送る自分が情けなくなった。

 長時間待って診察を終えると、今度は会計待ちで待たされる。ようやく終わると次は薬局で薬を受け取る。今日は、家を出てから戻るまでに約4時間かかった。
 月末には3ヶ月に1度の大学病院での検診に上京する。いろいろ面倒だが、医者のおかげで生きていられることを感謝し、多少のことは我慢するしかないと思っている。(2007.8.11)

闘病の頃

2007-07-30 | 健康
              【見舞いの花かご】

 あれから4年目の夏が巡った。この間の過ぎた日々は、いつも忘れることはない。そして、健康と、今ここに在る不思議を思っている。

4年前の今頃、入院先の病室から職場へ手紙を書いていた。職場にかける迷惑を詫び、状況を報告する手紙だ。
「・・・・とりあえず当面の予定がわかりましたのでお知らせいたします。思いがけない大きな手術になるようです。今後、8月初めに○○大学○○病院へ転院し、その道の先生に看てもらうことになりました。・・・・ ・・はかない人生を意識しますが、もうすこしやりたいこともあります。この際ですので、不本意ながらお言葉に甘え治療に専念させていただきたく、お願いいたします。・・・・」
 
 突然の入院から2週間あまり、覚悟を決めて連日の辛い検査に耐えていた頃だ。日記には、従兄弟が見舞いに来たことが書かれてある。見舞いの花束を色鉛筆でスケッチした。そのころのことが鮮明に浮かんできた。
 それから闘病4ヶ月の後に退院、いのちを救われた。

もう8月なのに、今朝はしとしと梅雨の雨が降っている。

 

一月ぶりの発熱

2007-07-02 | 健康
 
 約一月間、出なかった熱を出してしまった。40.4℃、4月の高熱と同じような発熱だ。
空腹にはよくないから、バナナを食べて薬を飲んだ。F錠とP錠だ。今までのD錠は副作用が見られP錠に変わった。
 今度もひどい悪寒に苦しんだ。布団を何枚も掛け、足に行火を入れて震えていた。また入院かと頭をかすめた。約1時間でひどい悪寒が治まった。40.1℃。それから30分ごとに検温したが、1℃ずつ下がった。
 日曜日の朝8時、ラジオの「音楽の泉」が慰めだった。モーツアルト。ハフナー・セレナーデを静かに楽しんだ。まどろみながら、発熱の度にどれだけ家族に心配をかけるか分からないと思った。後はいつものパターンで、汗が出始め肌着を替えた。渇いたのどに氷水が美味しかった。

 気をつけて生活しているが、やはり突然の発熱だった。昼過ぎには37度台まで下がったが、終日横になっていた。1日なんて訳なく過ぎていく。もう4年になる。こんな繰り返しが一生続くのだろうか。でも、熱が引けると、忘れたように健康の有り難さをあらためて思う。

 夕方庭に出た。色づき膨らんだアジサイが元気に爽やかだった。
 健康で当たり前に生活できる幸せnにまさるものはない。

退院しました。

2007-05-08 | 健康
              【帰宅を首を長くして待っていた 愛犬ラック】

連休中の約1週間の入院だった。久々の入院、そして今日家に戻り、あらためて取り戻した健康と、平凡な普通の生活が一番だと思っている。
 
 少しふらつきながら庭を眺めた。見るものすべてが輝いている。満開のドウダンに、クマバチが羽音を響かせホバリングしている。春のいのちの躍動を見た。しばらく見ないうちに、庭の緑はすっかり成長した。つぼみだったリュウキュウツツジが咲き始めていた。スズランやマイズルソウも明日は花開くだろう。
裏庭からケーンケーンと鳴き声が! 退院祝いに庭にキジが駆けつけてくれた。



 連休中に案の定、熱が出てしまった。この素晴らしい季節、連休中はなるべく医者にはかかりたくないと思っていたが、今回は40.8℃の高熱、薬で様子を見ていたが、不安になり病院へ行った。案の定、即入院となった。
 いつもの炎症だと思ったが、月1,2度の発熱、微熱とは違った。4月に入りほとんど毎週、頻繁に熱に悩まされて不安はつのっていた。
入院は慣れたものだが、辛いのは身体を動かせないこと、自由に庭を眺められないことと、ラックとの散歩ができないことだ。すがすがしい緑の連休を楽しみたかったが、仕方ない。3年前、復職した年の5月の連休、同じような症状で体調悪く入院してしまったことを思い出した。
 でも連休も、その意義は実は忙中の閑であればだろう。日々が連休の生活であれば、早く元気になって、またいつものように静かに庭のみどりを眺め、巡ったこの季節の1日1日を楽しむことができる。この機会にあらためて自分の位置を確かめ、日々の生活をふり返る、何をなすべきか心の整理をしようと思った。数冊の本を持参した。パソコンも。ラジオと手帳を枕元に置き、しばらくの体力回復を図りたい。ホテルでの休養くらいに考えると気分がやすらいだ。
 絶食、点滴で熱は治まった。根本的な解決は無理でも、とりあえず今回の回復を万全にしてまた再スタートしたい。あれからもう4年目に入った。また手術は嫌だなどと、これからの健康、不安を考えればキリがない。前向きに過ごしていこうと思っている。

 一足先に家に戻ったが、病室には一人身体を横たえ、辛い時間を過ごしている人がいる。皆さんの早い回復と退院をこころから祈っている。

 入院中、ブログ仲間の皆さんからお見舞いをいただき有難うございました。また、無理をしない程度にブログを書きはじめます。宜しくお願い致します。 

病床で描く

2007-05-04 | 健康
             【大根に似たカネノナルキ】


 前兆があり、案の定、連休初日に高熱を出してしまった。いつもの炎症だろうが40.8℃かつてなかった高熱、即入院、ベットで絶食、点滴の生活になってしまった。

今日、外泊許可が出て、ふらつきながら庭のすっかり変わった庭を眺めている。
明日また病院へ戻るが、もうしばらくかかりそうだ。



 毎朝、ほど近い病院のベットに、妻が庭の花を手折り持ってきてくれる。
暇をもてあましそれをスケッチした。

 今満開に咲いている紫の花「カネノナルキ」は、小判の実を付け、枯れて皮が剥けると輝く銀色の小判がざくざくとなる花だ。学名は分からない。
 スケッチしながら観察すると、紫色の花はダイコンにそっくり、葉は小さいのはサクラソウのような淡い黄緑色で、シソの葉を引っ張って細くしたようだ。茎にはイラクサを思わせる細い棘がはえている、実に個性的なきれいな花だ。

 「スズランスイセン」は図鑑にはスノーフレークとある。このガクの縁にある斑点の緑の色合いが何とも言えない。


 しばらくブログ休みます。いくつか頂いたコメント有難うございす。お返事もお許し下さい。あとから書かせて下さい。いつも訪問するブログも読めるこころの暇がなく残念です。退院後ゆっくり読ませて頂くのを楽しみにしています。

健康の有り難さ

2007-04-20 | 健康
          《咲き始めたチョウジザクラ》

昨日、一昨日と2日続けて発熱、炎症によるものと思う。しばらくなかった胃痛を伴い、終日、熱に悩まされ辛い1日だった。後のため記録に留める。

 朝9時に37.0℃、いつもの抗生物質のF錠を服用。10時頃寒気が出てきたのでR錠を服用、炬燵に潜り震えていた。12時に39.7℃の発熱、こんな高温は最近にない。さすがに体が重い。いつも効く薬が効かないようだ。多少心配だったが、12時にR錠をもう1錠服用。12時半38.2度に下がる。
 食事は温かいおでんを摘む程度。本当に具合の悪い時は何も手につかないものだ。ラジオを聴きながらロッキングチェアにて、庭を眺めるのみ。午後1時半に体温は37.2℃にまで下がった。薬は有難いが、恐い気もする。
 陽が射し始めた庭に出る。風が冷たい。咲き始めた庭のチョウジザクラ?、ソメイヨシノを写真に撮る。
炬燵に当たりながら、4時から5時半まで寝てしまった。ほぼ平熱に戻り楽になり、食がすすまないが夕食をとる。風呂上がりに体重をチェックするが、今日は最低記録となる。

食後、娘から大好物が届いた。具合の悪い時に見舞いのつもりか、スイカだ。熊本県産、糖度12.5甘かった。勿論今年初めて、季節はずれの贅沢品、一切れ100円だ。高い、もったいないと思いながらも美味しくいただいた。

 早めに床についた。いつもは床に入り本を読んでいるが、最近はなんだか疲れて、ラジオを聴きながら目を閉じていることが多い。
 いろいろ不安がよぎる。ちょうど1年前、体調の悪い日が続き、また手術かと心配した。悪くなるといつも健康の有り難さに気づく。生欠伸が良くない。このときの生理的涙が精神的なものに変わる。入院は嫌だ。多少辛くても家で穏やかに過ごせることを念じたりする。なにしろ入院は自由がなくなる。庭の緑を見られないのが辛い。家族、孫、とのふれ合いがなくなる。何より愛犬ラックと離れたくない。だから、できる限り体調に注意を払いたい。とは思いながらも発熱は突然だ。このところ頻繁なので要注意だ。

 

焦らず、穏やかに!

2007-02-13 | 健康
 月初めに月に一度の消化器科の診察を受けた。血液検査の結果が大分悪く、新しく内科へも通うことになった。検診前に熱を出したせいもあるような気がする。

3年前の退院後、復職した1年間は3度の入退院を繰り返し、これ以上の迷惑は掛けられず退職することにした。その後は月に1,2度発熱を繰り返している。病根の炎症でときどきの発熱は仕方ないと言われている。ひどく悪い時には夜間緊急に世話になったが、微熱程度のときは常備薬で治まっている。
 先週末も夜中の2時半過ぎに悪寒が始まった。電気毛布のボリュームを上げ、布団に潜って震えていた。いつものように生あくびが出て涙が流れる。涙はいつしか先の不安や入院時を思い出すものになる。体温を測るといつも37.3℃前後、悪寒が始まると熱が上がりはじめ、最高体温で寒気はなくなるようだ。いつもの特効薬、抗生物質を白湯2杯で服用すと1時間もすると悪寒は消え、今度は熱くなり汗が出はじめた。体温も下がりはじめ、2時間ほど経つとほぼ平熱まで下がった。
 この間は、眠れない時に聴いているラジオ深夜便だ。3時台は懐かしい昭和30年代の流行歌、静かな心に染みるメロディとその歌詞をしみじみ味わった。4時からのこころの時代は「生と死を見つめて」老人ホームの院長の話だった。白々と夜が明けるまで、まどろんでいた。ときどき夜中に目を覚ますことがある。そんなときはラジオを聞きながら朝を迎えてしまうことが多い。その日は1日中ボーとしている。午前中はロッキングエアーに横になり、新聞を読んだり、他愛もないことを思いながら目を閉じている生活となる。

 ストレスがよくないようだが、最近のストレスは今の政治だ。教育基本法や憲法改正をなぜそんなに急がなければならないのか。また政治家の人となりや人生を考えてしまう。そしてこれまでに出会った人間の弱さや醜さにまで思い及んでしまう。物や財産、地位や名誉と、我欲に固執する人間でありたくはない。
 「生涯身を立てるに懶く、騰々として天真に任す」だ。良寛を尊敬せざるを得ない。
 常に良寛の書物を座右に置き、良寛を読み、良寛を思い、良寛に魅せられ、こころの充実を取り戻したいと思っている。そしてまた、賢治も、藤村も、啄木も、芭蕉も、そして茂吉も、我がこころの癒しでありたいと思っている。

 具合の悪い時は何もできないし、何も考えられない。それだけに普通の当たり前の生活をありがたく、感謝している。体調が悪く落ち込むこともあるが、これから病魔の再発のないことを祈り、健康に最大限気をつけ、極力穏やかに、焦らずに過ごしたいと思っている。


「命を見つめて」

2007-02-08 | 健康
          《猿渡瞳さん ネットより》


ネットで アフラックの「生きる」ストーリーの遭遇した。
    http://www.aflac-ikiru.com/?banner_id=live38
 お母さんへのインタビューで、ストーリーが進む。お母さんの語る13年間の瞳ちゃんとの日々、癌との闘いにこころ動かされ、涙があふれた。ディスプレーが見えなくなった。瞳ちゃんとのかけがえのない18ページの貴い日々を静かに読み進んだ。各ページにデザインされたカットが辛かった。
 『猿渡瞳ちゃん:11歳で発病、検査の結果右大腿骨骨肉腫、肺への転移、余命半年の告知、「ママががんじゃなくてほんとうによかった」、辛さに立ち向かう明るい病院での生活、右の大腿骨を全部人工関節に帰る手術、全力で過ごした中学校生活、弁論大会「命をみつめて」、その2ヶ月後に旅立つ。』
 「命を見つめて」というタイトルでの弁論大会での肉声、力強いこころからの訴えに聞き入った。・・・・【 一番の幸せは身近にある。それは生きていると言うことだ。命の尊さ、一日一日の大切さを語り、命さえあればどんなこともできると訴える。病気と闘っている人たちの姿を知って欲しいと。そして、病気をしたおかげで一番大切なことを知ることができ、これからも病気に感謝して精一杯生きていきたい】

 自分の病気との闘いを思い出し、涙があふれた。自分が病気になって初めて知ったことを、13歳の少女がこころから訴えていた。
 実は、これからの生き方が今の自分のすべてなのに、喉元を過ぎるとついついその大切さを忘れてしまう。情けない。改めて、生きていることを感謝して、生きているからできることをやりたいと思っている。


○その後、この猿渡瞳さんの作文「命の大切さ」は、彼女の死後、全国作文コンクールの優秀賞を受けたことを知った。
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(2005/01/12)西日本新聞朝刊掲載
命を見つめて」(全文) 田隈中2年 猿渡瞳さん

 みなさん、みなさんは本当の幸せって何だと思いますか。実は、幸せが私たちの一番身近にあることを病気になったおかげで知ることができました。それは、地位でも、名誉でも、お金でもなく「今、生きている」ということなんです。

 私は小学六年生の時に骨肉腫という骨のガンが発見され、約一年半に及ぶ闘病生活を送りました。この時医者に、病気に負ければ命がないと言われ、右足も太ももから切断しなければならないと厳しい宣告を受けました。初めは、とてもショックでしたが、必ず勝ってみせると決意し希望だけを胸に真っ向から病気と闘ってきました。その結果、病気に打ち勝ち右足も手術はしましたが残すことができたのです。

 しかし、この闘病生活の間に一緒に病気と闘ってきた十五人の大切な仲間が次から次に亡くなっていきました。小さな赤ちゃんから、おじちゃんおばちゃんまで年齢も病気もさまざまです。厳しい治療とあらゆる検査の連続で心も体もボロボロになりながら、私たちは生き続けるために必死に闘ってきました。

 しかし、あまりにも現実は厳しく、みんな一瞬にして亡くなっていかれ、生き続けることがこれほど困難で、これほど偉大なものかということを思い知らされました。みんないつの日か、元気になっている自分を思い描きながら、どんなに苦しくても目標に向かって明るく元気にがんばっていました。

 それなのに生き続けることができなくて、どれほど悔しかったことでしょう。私がはっきり感じたのは、病気と闘っている人たちが誰よりも一番輝いていたということです。そして健康な体で学校に通ったり、家族や友達とあたり前のように毎日を過ごせるということが、どれほど幸せなことかということです。

 たとえ、どんなに困難な壁にぶつかって悩んだり、苦しんだりしたとしても命さえあれば必ず前に進んで行けるんです。生きたくても生きられなかったたくさんの仲間が命をかけて教えてくれた大切なメッセージを、世界中の人々に伝えていくことが私の使命だと思っています。

 今の世の中、人と人が殺し合う戦争や、平気で人の命を奪う事件、そしていじめを苦にした自殺など、悲しいニュースを見る度に怒りの気持ちでいっぱいになります。一体どれだけの人がそれらのニュースに対して真剣に向き合っているのでしょうか。

 私の大好きな詩人の言葉の中に「今の社会のほとんどの問題で悪に対して『自分には関係ない』と言う人が多くなっている。自分の身にふりかからない限り見て見ぬふりをする。それが実は、悪を応援することになる。私には関係ないというのは楽かもしれないが、一番人間をダメにさせていく。自分の人間らしさが削られどんどん消えていってしまう。それを自覚しないと悪を平気で許す無気力な人間になってしまう」と書いてありました。

 本当にその通りだと思います。どんなに小さな悪に対しても、決して許してはいけないのです。そこから悪がエスカレートしていくのです。今の現実がそれです。命を軽く考えている人たちに、病気と闘っている人たちの姿を見てもらいたいです。そしてどれだけ命が尊いかということを知ってもらいたいです。

 みなさん、私たち人間はいつどうなるかなんて誰にも分からないんです。だからこそ、一日一日がとても大切なんです。病気になったおかげで生きていく上で一番大切なことを知ることができました。今では心から病気に感謝しています。私は自分の使命を果たすため、亡くなったみんなの分まで精いっぱい生きていきます。みなさんも、今生きていることに感謝して悔いのない人生を送ってください。
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