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エッセイ  - 麗しの磐梯 -

「心豊かな日々」をテーマに、エッセイやスケッチを楽しみ、こころ穏やかに生活したい。

健康を肝に銘じた一日

2010-06-05 | 健康

とかく、健康を害してから、普段の健康のありがたさを知るのが常だ。
朝からなんだか調子が悪かった。
体温、血圧を測るも、まあ正常だ。でも、生あくびが出る、悪寒がするなど、ここ2年ほどなかった例の炎症の症状だった。
こんなときはすぐにR錠を服用する。
小一時間ソファーに横になり、毛布をかけて網戸越しに庭の緑を眺めていた。
 午前中は青菜に塩の状態だったが、幸い調子も戻り昼過ぎには回復してきた。

 今日、妻に頼まれていたニシンのサンショ漬けをした。
 新芽の伸びたサンショを摘んできた。冷蔵庫が手狭で、今年は小さいニシン鉢に漬けることにした。
自作の愛用の織部風のニシン鉢だ。身欠きニシンを並べサンショをたっぷり敷く。
 味付けは、最近売り出しの「ニシンのサンショ漬の素」だから、頼まれるほどのことではない。以前は味付けを工夫して楽しんでいたが、重宝している。



 一日、目まぐるしく変わる天気だった。
晴れ時々くもり、昼過ぎに一転俄かに掻き曇り雨が落ちてきた。間もなくゴロゴロ!今年初めて聞く雷、いよいよ夏の季節だ。
 激しい雷雨はすぐに上がり、次第に雲も切れ始め、夕方には磐梯山も見えてきた。
たそがれてゆく庭に出ると、西日を受けた木々の葉が赤く染まって、真っ赤な太陽が今まさに沈まんとしていた。


西日差す書斎から


こうして夕日を眺めるとき、口を衝いて歌が出てくる。
”夕陽は赤し~ 身は悲し~ 涙は熱く頬濡らす~”
 東海林太郎の「湖底の故郷」、よく学生の頃カラオケで歌ったものだ。
  
  夕陽は赤し 身は悲し
  涙は熱く 頬濡らす
  さらば湖底の わが村よ
  幼き夢の ゆりかごよ


何となく一日が終わるもの悲しさ、寂しさを感じながら、健康第一を肝に銘じた。


日記@BlogRanking

「生きるとは?」「人間の可能性とは?」

2010-05-31 | 健康
   国際的な免疫学者の多田富雄さんが、先月21日、76歳で亡くなった。
 昨日、NHKアーカイブスで、2005年12月4日放送のNHKスペシャル「脳梗塞からの再生 免疫学者・多田富雄の闘い」を視聴した。

 多田さんは2001年脳梗塞に倒れ、一夜にして右半身不随となり、言葉と身体の自由を失った。
一時は自殺も考えたが、病気を受容し、科学者の目で自分の体の変化を客観的に観察し続けた。
脳を冒されても、身体は不自由だが知的な脳は明晰でいつも創造的だった。
そして「生きるとは?」「人間の可能性とは?」のメッセージは心に響くものであった。
 
 映像を見ながら、自分自身の4か月の闘病、その間に考えたこと、リハビリの思い出などがよみがえってきた。
そして、折角九死に得た一生なれば、もっと実り多い日々でありたかったとの反省ももたげてきた。
 今身体の自由と健康を取り戻した自分は、多田さんの抱えた後遺症には比べようもない幸せな日々だが、
反面、生かされて早6年間余、これでよかったかとの反省も大きい。

 多田さんは「体が動かなくても、言葉がしゃべれなくても、私の生命活動は日々創造的である」、
「何もかも失った。それを突き詰めると、何かが見える」という。何と強い心か。

 確かに自分が大病して失くし、そこから得たことは沢山あったが、天才学者のこの境遇での生き方に触れるとき、もっともっと大事なことがあるような気がしてきた。
 まずは、今日一日を大切にしながら、もう一度、もっともっと大事なことを考えて見たい。
 



感謝、感謝

2009-12-11 | 健康
        【寒さの中、木陰で咲き続けるサルビア】


 冷たい風雨の中、傘でよけながら短大の図書館へ向かった。梅雨を思わせる降りだが、木々の葉も落ち、枯れ色の芝生に間近な冬が感じられた。
閲覧する文藝春秋ももう新年号だ。今年もまた暮れるのか。

 掲載記事は、 『がんを詠う 歌人母娘の往復書簡 河野裕子 永田 紅
お母さん、なぜ自らの病を詠い続けるのですか── 』がよかった。
癌を患いその辛い歌人の母の闘病の日々を、同じく歌人の娘さんと往復の書簡を交わす。歌人なれば、それぞれに繊細なこころで辛かった日々を振り返っていた。今なお抗がん剤治療中だが、その都度、夫や娘の愛に支えられて生きたこころを詠っていた。

同じように大病から助けられた我が身に照らして、自分の入院や手術、闘病中のことをいろいろと思い出した。家族に心配をかけたことなどを、今の健康があることを今更のように感謝しながら振り返った。その頃元気だった母にも、あまり病状を知らせないままに、ずいぶん心配させた。
 大病から生還したすぐに闘病記を書いた。いつしか忘却の彼方へ忘れ去られることが辛かったからだ。闘病中の病状や心の動きとともに、いろいろと苦労、心配をかけた妻や子供たちへの感謝の気持ちを残したかったからでもあった。
今それなりに健康を取り戻したものの薬に頼りながら、月一度の病院通いを続けている。そして心身ともに失ったものは多かった。しかし、こうして生かされた現在、失ったもの以上に大切なものに気づかされたと思っている。その一つは一変した人生観だ。
 改まって、健康に感謝、人々に感謝の日々だ。残された老後、これまでいただいたご恩に報いたい。そして、家族に支えられ、穏やかに、楽しく過ごしていきたいと思っている。


日記@BlogRanking


体調管理

2009-11-13 | 健康

            【磐梯 晩秋】

 しばらくぶりに消化器科の待合室で診察の順番を待っていた。
3Fの待合室の窓から、あわただしく行き交う国道の車がみえる。その先の大学構内には黄色く色づいたポプラが天に伸びている。さらに向こうに盆地を囲む低い山々が連なり寒々しく見える。初冬の朝の始まりに病院にいる事実を思った。
 
 昨夜、突然具合を悪くした。急に息がつけなくなり、しばらく辛かった。3~4年までは、ほとんど毎週くらいに熱を出していたが、ここ2年間は、発熱もなく元気に過ごしていた。忘れていた昔の症状だ。熱はないが、多分いつもの炎症だろうと、すぐにF錠とR錠を飲んだ。数時間体を起こして目を瞑り我慢した。寝苦しい夜があけるとだいぶ落ち着いてきた。早めに、食事をとらずに消化器科へ急いだ。
 しばらくぶりの外来受付の看護婦さんから、I医師がやめられたことを聞いた。7年前からお世話になっていた命の恩人だった。個人情報の保護か、行き先は教えてもらっていない。
 M医師の診察を受けた。超音波でお腹の様子を診てもらった。思った通りで、対応も正解だった。最近心配していた肝機能もだいぶ戻ってきているようだった。
 血液検査で、数年は3ヶ月毎だったマーカーチェックも半年になり、最近は年1度でいいといわれていた。M医師は、2年前に大がかりな治療をしていただいた先生で、温厚で何よりも説明がわかりやすい信頼できる医師だ。
 しばらく熱も出さず、良好な体調に少し調子に乗っていたかもしれない。のど元過ぎればではないが、久々の体調不良が警鐘となった。注意しなければと思っている。


日記@BlogRanking

歯科に通う

2009-03-28 | 健康
           今朝の 春の雪 

 正月から歯科通院が始まった。爪楊枝を使っていたらかぶせた銀歯がぽろりと取れてしまった。この前、数十年放っておいた歯を本格的に治療したのが14,5年まえ、その後も適当な歯磨きのせいもある、かなりの治療を受けることになってしまった。
 今日も親知らずの神経を抜いた。麻酔の威力はすごいものだが、やはり痛い。

 治療を受けながら、遠い昔、歯に苦しんだことを思い出した。あれは、学校に上がった頃だった。歯が痛く、泣きながら母に背負われ歯医者へ通った頃のことを断片的に思い出した。あれから半世紀の時が流れた。あのときの奥歯だろう。
 小さいころから歯には苦労してきた。長い間歯にはお世話になりながら、粗末に扱ってきたツケがときどき回ってきたのだ。後悔しきりだが、しばらくはやむを得ない歯医者通いが続きそうだ。
 歯磨きの具合をチェックされ、日頃の歯磨がいかに大切かを今更のように知った。歯は健康の源、ときどきのつらい体験が健康管理の反省になればと思っている。
 

花粉症に苦しむ

2009-03-21 | 健康
   スギ林に抱かれる我が家


今年は花粉症がひどい。突然のくしゃみ、鼻水と目の痒みに辛いときもある。
我が家の庭の西側にスギの林があるし、直線距離20mには有名な天狗杉がある。だから、この時期は仕方ないとは思っている。雨の日は何となく気が落ち着く。
 ちょっと庭に出ると、くしゃみと鼻水だ。目もこすると返って痒みがひどいことになる。しょっちゅううがいをしたり目を洗ったりしている。対策はマスクだ。ちょっと庭に出るにもマスクを欠かせない。最近の使い捨ての薄い不織布などは安価で良いが、メガネが曇って煩わしい。少し厚手のガーゼマスクにウエットフィルターを付けると良いようだ。
 初めて花粉症の症状が出たのは、いわきへの転勤の年、昭和63年だったことを覚えている。もう約20数年も苦しんでいることになる。
 昔からスギ花粉はあっただろうに、花粉症は最近の病だ。どうも大気の汚れにも一因があるようだ。今日も花粉が飛びそうな陽気になりそうだ。

あの日 その2

2008-08-29 | 健康
          【見舞いの花かご (闘病ノートから)】

 去年の8/29、3か月に1度の検診で神奈川の大学病院へ。
 発病、大手術から4年目だった。検診日の前からずっと発熱を繰り返していて、体力の衰えを感じながらの生活だった。月に1度は地元の病院に通院していたものの、数週間前からはビビルビンによる痒みがひどかったのに、大学病院での検診日を待っていた。
 診察と同時に緊急入院となり、すぐに処置をしてもらい、また救われた。実は、ぎりぎりの大変な状態で、思えば5年前の発病の際と同じだった。

 数冊の、その都度の闘病記ノートから一冊を開いた。
 去年の8/30に入院、2週間の入院中の緊迫した様子を思い出した。
 カテーテルを付けたまま地元病院へ転院した。

 救われてからそれまでの4年間、月々のマーカー検査に安堵しながらもときどき発熱、入退院も10回を数えた。でも、また、運が良かった。昨年末に地元の病院で大きな治療を受けて退院、新しい気持ちで新年を迎えた。それ以後、今年になっては発熱は数えるほどで、暑さもさほどでなかったこの夏も元気で乗り越えることができた。生存率0と言われた満5年を迎えた。

 元気で当たり前の生活をしていると、とかくひどかった時の辛さを忘れてしまうものだ。 ときどき幾冊の「闘病の記」を読み返し、常に健康への気遣いを忘れずに、今の幸せをかみしめていきたいと思っている。
 

あの日

2008-08-27 | 健康
【a.m. 5:00 2Fの窓から】

 久々の快晴、白々明ける空に、黒い磐梯が浮かんでいた。
5年前の今日、再手術を受ける。あのとき、その先5年間を想像出来たろうか。
これから先の日々も同じ、一日一日を大事に過ごしたい。
 こころ豊かに、穏やかに。

《あと三ヵ月 死への準備日誌 戸塚洋二氏》

2008-08-12 | 健康
           《咲き始めた萩》

 いつもは図書館で読ませてもらっていたが、文藝春秋今月号(9月号)を書店で求めた。芥川賞作品『時が滲(にじ)む朝』(楊 逸著)や特別企画『日本の師弟89人人生の師から学んだこと、愛する弟子に教えたこと』を読みたいと思った。
そこに、『あと三ヵ月 死への準備日誌 「悟りとはいかなる場合も平気で生きることだ」 戸塚洋二』が掲載されていた。

〈文藝春秋〉の先月号(8月号)で、戸塚洋二/立花 隆 の対談記事 《「ノーベル賞に最も近い物理学者が闘う生と死のドラマ」  がん宣告 「余命十九カ月」の記録 》を読んだばかりだった。それも戸塚洋二氏の訃報をニュースで知ったすぐ後のことであった。(7/10逝去 享年66歳)
 亡くなった方が死を間近に語っている文字を複雑な思いで読んだ。
 
 戸塚洋二氏は自分のブログで「ガンの闘病の記録」を書いておられた。ブログのタイトルは「A Few More Months(あと数ヶ月)」で2007.8.4から死の間際まで書かれた。
 記事のタイトル「悟りとはいかなる場合も平気で生きることだ」は子規の文だ。
彼はブログで、第4ステージのガンと闘うA氏に正岡子規の言葉を贈っていた。
 『悟りとは如何なる場合にも平気で死ぬる事かと思って居たのは間違ひで、悟りという事は如何なる場合にも平気で生きている事であった。』と。
 また、彼は諦めの境地を考えながら、「私にとって早い死といっても健常者に比べて10年から20年の違いではないか。みなと一緒だ。恐れるほどのことはない。」と書いている。
同紙の記事『日本の師弟89人人生の師から学んだこと、愛する弟子に教えたこと』でも、小柴昌俊氏が「弟子の弔辞を読む痛恨」と題し彼の早すぎる死を悼んでいた。そこで、戸塚氏がノーベル賞の最有力候補であったことを知った。

 戸塚博士の壮絶なガンとの闘いを読みながら、自分の闘病中の様子が思い浮び、あらためて【生きること、死ぬこと】を考えさせられた。
 発病から入院、手術、今も鮮明に思い出される幻覚の情景、死を意識したころの家族への思い、抗ガン剤の副作用に悩まされたころのことなど、自分の闘病生活を思い浮かべた。幸運にも生かされ、健康を取り戻した自分、あらためて日一日を大切に生きなければと思う。戸塚洋一博士のご冥福を祈りたい。


半年ぶりの発熱

2008-06-01 | 健康

 実に半年ぶりの発熱だ。もう治ったと思ったら大間違いだ。
 一昨夜はちょっと様子が違うので大分早めに床についた。昨日の朝は寒気が出はじめ昼前には38.3度に、でも、常備薬で夕方までに熱は下がってくれた。
 セーターにジャンパーを着込みじっとしている。病気が病気だけに不安はつきないが、発熱はなにも手につかなくなり、当たり前のことが出来なくなることが辛く悔しい。
 今朝はいくらか良いようだ。このまま治まってくれればと思う。
これからもずっと、日々健康に過ごせることに感謝しながら、細心の注意を払って生活して行かなければならないと思いを新たにした。

当たり前の生活が出来る幸せ

2008-02-07 | 健康
 鬼は豆まきで追い払ったが、風邪の神様が我が家に入り込んだようだ。孫からママへ、そして、一昨日から妻が具合が悪かった。家族の体調が悪いとつまらないものだ。平凡な毎日だが、健康が第一、当たり前の生活が出来ることは実にありがたいことだ。多少の風邪にも、普通の生活の幸せを思った。
 
 朝はトイレに起き新聞を取り、タイマーで暖かくなっている炬燵に当たる。お茶を入れ新聞に目を通す。食事を終えると、武琉君とママが出かける。一緒にラックの散歩に出る。毎日同じ行動だ。午前中はあっという間に終わる。孫娘を中心に妻と3人で過ごす。多少の物足りなさを感じると、庭に出て春を探してみたりする。
 午後は娘が帰り、昼食後は一息つける。妻の休息もひととき、武琉君が帰るとまた二人の孫の世話。おバーチャン子で妻は息をつく暇がない。
 
 夜は、寝る前に本棚をあさり、適当な本を床に持ち込む。枕元にはいつしかうずたかく読みたい本がたまってしまった。寝室の暖房は電気敷き毛布だけ、手が冷たいので薄い手袋をはめ、しばらく文字を追う。ラジオを低くかけながら、今日の1日をふり返り思いを巡らす。毎日、同じことのくり返しだ。

こんな繰り返しでまた新しい季節が巡ってくる。これでいいと思っている。
コーヒーでもお茶でも飲みたい時に飲める、音楽が聴きたければすぐ聴ける。毎食事も楽しく、美味しくいただける。

 こんな当たり前の生活が出来ることこそが、実に嬉しい。
 それも健康であればこそである。

 

Kさんの訃報に接する

2007-12-12 | 健康
          《師走 赤く色付いたいろ白い小菊》


【11/19 入院中のメモから】
妻から、4年前に神奈川の大学病院で知り合い励まし合ってきたKさんの訃報を聞いた。
 Kさんは、福島市のご出身で、若いころ上京し大学病院の近くにお住まいだった。入院中、よく私の病室に見舞いに来てくださった。同じような病気に、退院後も、私が定期的に診察を受けに上京した時にはしばしばお会いし励まし合っていた。妻も、奥さんとはメール友達だった。
 穏やかな人だった。心温まるやさしさにいつも励まされた。ありがたかった。
 こころからご冥福を祈りたい。

ベットにて手紙を書いた。
『 拝啓
   昨日の夕方からの雪が、散り急ぐモミジにうっすら積もりました。
  いよいよ雪の季節の到来です。
   この度、Kさんの突然の訃報に接し、切なく残念でなりません。こころより
  ご冥福をお祈り申し上げます。
   ご主人には大変お世話になりました。こころから感謝しております。
  思えば4年前、T大学病院の8F食堂で、妻がご主人にお声をかけて頂きました。
 当時、私が生死をさまよっていたころ、私の病室へ何度もお元気な顔を出してくれました。
 また、ときどきお便りをいただき、三春からの電話で・・・・・・
    ・・・・・・・・・・
    ・・・・・・・・・・
  先ずは取り急ぎお悔やみ申し上げます。
  こころからのご冥福をお祈り申し上げます。 敬具
                     11/19 病室にて   』


三界は只心なり

2007-12-06 | 健康
《庭の隅に、白斑入りの濃紅色大輪の八重咲きツバキが咲いていた》

 今回の入院は、どうにもならない病状ではあったが、多少の計画的な治療だった。
 週単位の計画的な辛い検査が続いた。その度の絶食と点滴、鎮静剤や鎮痛剤、特に眠らされる麻酔薬が嫌だった。いつも薬による影響が辛かった。でも、その都度、以前もっと苦しい闘病があったことや家族への思いを力として何とか耐えることができた。すべては、やはり時間が解決してくれた。

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*【11/7 入院中のメモ】*

《今日は何もないようだ。 無為に時間が流れていくようでいたたまれない。焦るな焦るなと言い聞かせてはいる。考えれば、これまでどんなにか無駄な時間を費やしてきたのだからと。そう考え納得するが、それにしても辛い。おまけに今日の快晴、病院の窓からこんな雲一つない秋空を眺めていることはもっと辛い。
 多少センチな気持ちになるのはいい、でも、鴨長明の方丈記には「三界ハ只心ヒトツナリ」とある。どんな状況にあろうが、心の持ちようによって充実した人生があるのだ。
 そう勇気づける前向きな気持ちと、こうして惨めな気持ちが交錯する。
 急がずに、静かに落ち着いて世の中を眺めていきたい。天真に任せる。 》
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いつしか師走 《退院の日に》

2007-12-05 | 健康
       《わずかに残っていた秋》

  間違いなく季節はすすみ、入院中に市内でも初雪、積雪があった。
  昨夕、雪のちらつく中を退院、長い長い1ヶ月の入院となってしまった。まだまだ不安はつきないが、いつも退院は嬉しい。
  ささやかなお祝の夕食に、また涙ぐんでしまった。表現できない、複雑なうれし涙である。
  また新しい気持ちで生活したい。
 
 今朝、久々にゆっくりと庭の木々を眺めた。ホウ、キリの木は、すでにすべて葉を落とし、雪空に凛と伸びる枝が寒々しい。 昨日までキリの木の下に残るモミジに晩秋の名残を見たが、今朝はうっすら雪化粧、もう秋は行ってしまった。
 6時半、大喜びのラックと久々に散歩に出た。手が凍るように冷たい。すがすがしい気持ちで寒気を吸い込むと、すっかり健康を取り戻したかのように勇気が湧いてきた。
 サザンカ、ヒイラギが盛りを過ぎ、蕾の小さかった白い小菊に雪がかかっていた。
 思えば師走、過ぎ去った1ヶ月の空白が、なんとももったいなく思えた。

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 ** 入院中のメモ11/6 **                   
 《 数え切れない入院だが、今回は3週間はかかりそう、準備怠りなくいろいろ 持参した。おそらく暇をもてあますだろうからと、CD付きラジオを持った。
 TV嫌いだが、ラジオ人間、クラッシックのCDを何枚も入れた。イヤホーンで音楽を聴きながら、パソコンに向かう時間が多くなるだろう。
 本は司馬遼太郎「街道をゆく」シリーズ数冊と、いつもの中野孝次の「風の良寛」。 》      │
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 案の定の病院生活となった。 1ヶ月は長かったが、今回は病院が家から近く、毎日誰かが顔を出してくれ何かとこころ強かった。これまでの遠く離れた大学病院での何度かの入院は、家を離れての妻の看病が辛かった。家族の皆にとっては何よりよかった。
留守中の大きなことは、多年の雪で傷んでいた屋根の修理を終えたこと。また、こまかい気がかりは、孫の相手が出来なかったこと、ラックの散歩、金魚や熱帯魚の餌くれ、鉢物の水くれ・・、などだったか。
 今日は、心配していた植木の雪囲いをしようと思う。もう一つ、冬タイヤへの交換が残っているが、これは息子に頼むことにしよう。

* ブログの友、各位 *
 入院中、多くのブログの友からお見舞いのコメント頂き恐縮しています。
 また、貴重な日々を意識しながらブログを書き始めたいと思っています。
 これからも宜しくお願い致します。




ブログしばらくお休みします。

2007-11-05 | 健康
          【オニノノゲシの綿毛:今朝の散歩道で】



 10月初めの入院は応急の治療をして退院した。その後の体調は良く、今回の入院まで十分に秋を楽しむことができた。

 ロープウエイに乗り高原の秋を楽しんだし、トンボ池にも何度か行き里山の自然を見つめた。大好きな田沢の蕎麦も食べに行った。先日は猪苗代で白鳥にも会えた。じっくりと庭の草花を愛で、季節の移ろいを見つめることが出来た。ほとんど孫と一緒の幸せな1ヶ月だった。

 これからまた、しばらくの入院生活が始まる。
 点滴でまた痩せるだろう、身体を動かさない生活で足腰も弱るだろう、何よりも麻酔が嫌だな~、などと不安はいっぱいだ。
 でも、頑張って健康を取り戻したい。家族、愛犬、庭の自然が待っているから。



【夜露に濡れるアキアカネ:今朝の散歩道で】