嶽南亭主人 ディベート心得帳

ディベートとブラスバンドを双璧に、とにかく道楽のことばっかり・・・

【今日のBGM】 ショスタコービッチ オラトリオ「森の歌」

2006-04-10 23:19:40 | ブラスバンド
演奏は、ロイヤル・フィルハーモニー、指揮はアシュケナージ。

今日、というより、昨日のBGM。家の床掃除をしながら、例によって大音響で、第4曲「ピオニールは木を植える」と、終曲「讃歌」を聞いた。

なぜか実家には、ムラヴィンスキー指揮のこのレコードがあって、いったい誰がそれを買ったのか、まるでわからずにいた。

長じて考えるに、兄がこんなものを買う訳がなく、母の趣味とはいえなく、祖父母でもないことは言うまでもないことから、残すは父しかあるまいとと考えが至り、「これ何?」とさりげなく父にふってみたところ、

「青春の思い出さ」

とか何とか言って、そそくさと階段を下りていった。図星とはこのことで、私が中学の部活動をブラスバンドに決めたとき、「なんだぁ、チンドン屋かぁ」などと茶化したご本尊が、およそ似合わない合唱の舞台に自ら乗っていたことなど、照れくさくて、「よう言えんかった」のだろうと、今になって思う。

先述の日経の記事をさらに引用する。

「一方、日本のショスタコービッチ受容は戦後本格化した。50年代には『ソ連の現代音楽』が積極的に紹介される一方、うたごえ運動や『ベートーベンの[第九]に続く定番』を探すアマチュア合唱団がオラトリオ『森の歌』にとびついた。

「だが旧ソ連崩壊や日本の左翼運動の衰退を受け、90年代以降は『森の歌』の人気が急落。『革命』の副題をもつ『交響曲第5番』も『権力迎合の作品』と呼ばれるなどショスタコービッチにとって『気の毒な場面』(外山雄三)が相次いだ」

確かに、終曲のエンディングの歌詞は、

 森は深く茂り
 ロシアに歌満ちる
 永遠にはえあれ、われらの祖国
 われら讃えよや、ああーーー

とあるように、「ソビエト、マンセー」と聞こえるものの、

「表向きは大衆的で平明な書式を持った森を讃える『自然讃歌』でありながら、スターリンと共産主義国家ソビエトを讃える政治色の濃い讃歌でもあり、さらに植林計画についてはだけは聡明だった(!)スターリンへの壮大なる皮肉にも聞こえるというこの作品の二重性」(吉松隆)がつとに指摘されるところでもあり、このあたりは考え始めると訳がわからなくなるのだが、

終曲の出だし、7拍子の旋律の透明感は実にえもいわれず、ことに大音響で聞くにふさわしい。

年末の「猫も杓子も第九」に食傷している私としては、カルミナブラーナもしくはこの曲を、年末の新たな定番として定着させることを試みる人々が増えることを、希望してやまないのである。

少なくとも、この曲で、年末の大掃除の生産性が飛躍的にアップすることは、経験的にまちがいない。