澎湖島のニガウリ日誌

Nigauri Diary in Penghoo Islands 澎湖島のニガウリを育て、その成長過程を記録します。

ペナン島のいま~A Sentimental Journey to the Penang Island

2019年03月29日 10時29分36秒 | 散歩

 3月21日から26日まで、マレーシア旅行。クアラルンプール、イポ、ペナン島、マラッカを訪れた。

 何と言っても、この旅行のメインは、ペナン島再訪。ほぼ40年も前、私はこの地を新婚旅行で訪れたのだから、まさにセンチメンタル・ジャーニー。ただし、今回、配偶者ではなく、親友と一緒だった。

 '70年代、「東洋の真珠」と言われたペナン島は、マレーシア屈指のリゾート地だった。島の中心地・ジョージタウンには高層ビルなど一切なく、貧しい印度人街が周囲とは明確に区切られて存在していたのが記憶に残る。島の北端にある「ラササヤン・ホテル」が当時の宿泊地だった。

 クアラルンプールからペナン島までは、高速道路で一直線。片道三車線のハイウエイがどこまでも続き、道路沿いのパーム椰子(アブラヤシ)の農園がトロピカルな情緒を醸し出す。この高速道路も、本土からペナン島に続く橋も、40年前にはもちろん存在しなかった。ペナン島への橋は洋上を22kmも続く長大なもの。遠浅の洋上には、洋上生活者の船が数多く見られた。

 ペナン島に入ると、目を疑うような光景ばかり。島の南部には大工業団地が建てられていて、ハイテク産業の工場が目立つ。30~40万人だったはずの島の人口は、今や120万というからびっくり仰天だ。ジョージタウン市街は、ここは香港かと見間違うばかりの高層ビル街に変貌していた。まさに今浦島という心境になった。

 宿泊地のシャングリラ・ホテルへ。ガイドの林(リン)さんに事情を話し「ラササヤン・ホテルに行ってみたいんですが」と尋ねたら、あっけなく「隣のホテルですよ。しかも、経営者は同一」と言われた。私には、ラササヤン・ホテルで自転車を借り、小さなジャングルのような小道を縫って散歩した記憶が鮮明に残っているのに、ホテルの周囲にはホテルやレストラン、コンビニなどが立ち並び、昔日の光景は全く残っていない。

 翌日、ようやく隣のラササヤン・ホテルへ。シャングリラ・ホテルよりも格上とあって、白人観光客がのんびりと日光浴をする光景は昔のままだった。プールには、昔のままの妻が微笑んでいるような錯覚に…。これが錯覚でなかったら、それはそれで恐怖だが…。

 結論として、40年もの歳月は、社会も個人も変えてしまうということか。八人のツアー客の中には、70歳前後の「困ったオバハン」がいた。全員の出身地や経歴を詮索し、移動や食事中でも自慢話、世間話が絶えることはない。ガイドが「ここはマレーシア。日本のことは忘れましょ!」と婉曲に注意しているのに、全く気づくことはない。こんな高齢者でも、40年前はマトモだったのだろうか?と考えた。いや、ヒトの本性はそうは変わらないはずだ。

 衰退化が著しい日本社会に比べて、マレーシアの躍進は明らかだ。「天然資源は豊富。台風は来ないし、地震も津波も心配ない。ただ暑いだけよ」(ガイドのリンさん)のマレーシアは確かに住みやすそうだ。まあ、いいか、私は今から移住などできないからね。


 ラササヤン・ホテルとそのプライベート・ビーチ



 ホテルの隣の「フード・コート」と称する海の家みたいなところ
 

 

 



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