澎湖島のニガウリ日誌

Nigauri Diary in Penghoo Islands 澎湖島のニガウリを育て、その成長過程を記録します。

李香蘭「私の鶯」(1943年)にみる「満州国」の音楽事情

2009年02月24日 16時18分54秒 | Weblog
李香蘭主演の「私の鶯」(1943年)をケーブルTVで見る。

1943年、満州映画協会の制作というから、国威発揚めいたつまらない映画かと思ったら、とんでもない間違いだった。
大仏次郎の原作に基づく映画化で、シナリオもカメラもすべて現代の作品と遜色はない。この映画が制作されたわずか2年後に日本は敗戦を受け入れ、満州はソ連軍による略奪と陵辱の場となったのだが、この映画の中にはそんな暗い予感は微塵も見られない。
映画の大半は、音楽映画とも言うべき内容で、野外音楽堂でハルビン交響楽団(メンバーの大半は白系ロシア人)をバックに李香蘭が歌曲を歌うシーン、ロシアのバラライカ・アンサンブルの演奏、ロシア人によるオペラなど、貴重な映像が見られる。

ハルビン交響楽団については、岩野裕一氏が朝比奈隆の音楽活動を辿る中で、詳しく触れている。(岩野裕一「王道楽土の交響楽」下記参照)岩野氏も同書の中で触れているのだが、中国政府は満州国を「偽満州国」とみなして、その時代の関連文書、歴史資料を今なおいっさい公開していない。芸術活動でさえ例外ではなく、したがって、確かに実在したはずのハルビン交響楽団の活動などは、もはや分からなくなっている。

だが、この映画の中に、その幻のハルビン交響楽団が登場するではないか。岩野氏の著作にも感動したのだが、活字を読むだけではやはり限界があった。実物のフィルムを見ることで、さらにイメージを広げることができた。
昨年、瀋陽(旧・奉天)に行き、満鉄の超特急「アジア号」を見てから、大和ホテル、横浜正金銀行、朝鮮銀行の古いビルが残る広場に行ったが、周囲はここ10年に建てられたと思われる高層ビルが林立していた。中国人は、日本人が遺したものはすべて負の遺産と考えているから、利用価値がなくなったと思えば、直ちに取り壊してしまう。昭和モダン風の瀋陽の駅舎などは、もはや風前の灯火という感じがした。日本人が「満州」に遺した痕跡は確実に消えようとしている。

「五族協和」の「王道楽土」と言われた「満州国」だが、歴史的に肯定できるものではない。だが、その存在に触れないのもまた誤りだと思われる。映画には、これはロシア映画かと思うほど多くの白系ロシア人が登場する。彼らは、ロシア革命から逃れてきた人たちなのだが、日本が破れ、ソ連軍が侵攻してきたとき、逃れるところはあったのだろうかと思った。「満州国」がコミンテルンの世界革命を防ぐ緩衝地帯であったという主張は、あながち間違いではなかったのかも知れない。

満州映画を見ると、そのインターナショナルな感覚に驚く。戦後の日本がいかに萎縮し、アメリカに従属してここまで来たのかがよく分かる。今さらこんなことに気づくとは…。教えられていない歴史の中にこそ真実があるということか。

 
【私の鶯】チャンネルNECOによる解説文とデータ

1943年・満州映画協会=東宝映画・101分・モノクロ・字幕
監督:島津保次郎 原作:大仏次郎
出演:李香蘭 黒井旬(二本柳寛) 千葉早智子 進藤英太郎 グリゴリー・サヤーピンワシリー・トムスキー

満映(満州映画協会)時代の李香蘭が出演したミュージカル映画で、セリフも歌も殆どがロシア語という異色作。戦意高揚一色の当時、時流にそぐわないという理由から満州でも日本でも一度も公開されていない幻の作品。幼い頃、両親と生き別れになった満里子は、ハルビンで亡命ロシア人声楽家に育てられ、美しい娘に成長する…。





王道楽土の交響楽―満洲―知られざる音楽史
岩野 裕一
音楽之友社

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