澎湖島のニガウリ日誌

Nigauri Diary in Penghoo Islands 澎湖島のニガウリを育て、その成長過程を記録します。

宇宿允人の「運命」

2011年03月10日 13時08分00秒 | 音楽・映画

 指揮者・宇宿允人の訃報が報じられた。
 
 何年も前、職場の知人からこの人のコンサートを何度も勧められたことがあり、記憶に残っていた。「ガイア・シンフォニー」という映画も薦められ、この人のファンはなにやら宗教がかっているという印象を受けた。

 かの知人は、宇宿允人の「運命」(ベートーベン交響曲第五番)が素晴らしいと何度も言った。そこで、YouTube映像で確かめてみた。
 「運命」聴き比べなどというのは、オタク族の専売のようで気が進まないが、私が一番好きなアルトゥーロ・トスカニーニ演奏と比較してみた。下掲の映像なので、興味のある方は比較してみてください。
 私の個人的意見を言えば、トスカニーニの演奏はすごいの一語。宇宿允人もトスカニーニと比べられては、不満かも知れない。 


訃報:宇宿允人さん76歳=指揮者

 宇宿允人さん76歳(うすき・まさと=指揮者)5日、腎臓がんのため死去。密葬は親族で済ませた。喪主は長女由賀里(ゆかり)さん。

 大阪フィルハーモニー交響楽団専任指揮者などを経てフロイデ・フィルハーモニーを結成、「宇宿允人の世界」と題した定期公演を29年にわたり計186回開催した。

毎日新聞 2011年3月8日 
 

宇宿允人 Beethoven:Symphony No. 5 in C minor, Op. 67

Beethoven Symphony No. 5, 1st mvt--Arturo Toscanini/NBC Symp


春の日の花と輝く 

2011年03月10日 08時56分35秒 | 音楽・映画

 先日「ブックオフ」で見つけた、ロジェ・ワグナー合唱団のCDをかけていたら、思いもかけない曲が飛び出した。
 それは「春の日の花と輝く」という曲。英語のタイトルは、"Believe me, if all those endearing young charms"というらしい。
 この曲、太古の高校生時代、クラス対抗の合唱祭で課題曲とされた曲だった。だから、今でもその歌詞を覚えている。 ついでに、「蒙古放浪歌」というのも思い出した。
 
 今や「春の日の花と輝く」どころか、「帰り来ぬ青春」(Yesterday when I was young)という私たち。懐かしい歌が、ほろ苦く聞こえてくる。

春の日の花と輝く (Believe Me If All Those Endearing Young Charms)

蒙古放浪歌 


台北二二八紀念館が再オープン

2011年03月10日 06時15分03秒 | 台湾

 「 台北二二八紀念館」は、総統府(旧台湾総督府)の向かい側にある平和記念公園の中にある。日本統治時代は、台北放送局(ラジオ局)の庁舎だった。ここは、日本人にとって、タイムマシーンに乗って時間を遡ったかのような場所。この建物に近づくと、公園にいるご老人が「貴方は日本人?」と日本語で話しかけてくる。台湾の日本語世代は、もはや八〇歳代。あと二〇年早くこの場所に行っていたら、もっと多くの話を聴けたのかと思うと残念でならない。
 台湾の日本語世代にとっては、「台北二二八紀念館」そのものが台湾の民主化、自由の象徴だ。一九四七年、二万人以上の台湾人知識層が中国国民党軍によって連行され、暗殺、虐殺された。「二二八事件」だ。大陸からやってきた国民党・国民党軍にとっては、自分たちよりも豊かで文化程度が高い台湾人が目の敵に映った。日本が敗北し、権力が空白状態になった台湾を自分たちが支配するためには、優秀な台湾人知識層は邪魔者だったのだ。
 およそ40年間、国民党政府は戒厳令を続け、言論・集会の自由を弾圧し続けた。台湾人がこの二二八事件を公に語ることができるようになったのは、李登輝氏の時代になってからだ。

 (台北二二八紀念館)
 
 このような歴史的経緯があるため、台北二二八紀念館に集まる台湾人のご老人は、日本人に少しでも二二八事件の歴史を知ってもらいたいと思い、話しかけてくるのだ。そこには、日本統治時代に対する恨みのようなものは、全く感じられない。日本統治時代はむしろ、郷愁に似た思いとなっているかのようだ。

 だが、中国国民党の馬英九政権にとって、この紀念館は「目の上のたんこぶ」。展示の入れ替えという名目で、しばらくの間休館し、最近再オープンさせた。その結果は? やはり、予期していたように、国民党の残虐行為を希薄化させるような展示に変わったということだ。
 
 この紀念館は、台湾政治の動向を占うリトマス試験紙のようなもの。民主進歩党(民進党)が政権を握れば、より鮮明に反国民党色が強まる。国民党政権になれば、逆にシフトする。
 
 台湾旅行というと、「故宮博物院」が定番。しかし、これは蒋介石が大陸から持ち込んだ文物の保管場所に過ぎない。台湾が最もよく分かるのは、台北二二八紀念館や台湾博物館(旧・総督府博物館)がある平和公園に行き、総統府(旧・台湾総督府)を参観することだ。どちらも、日本語が堪能なボランティア解説員が親切に案内してくれる。ぜひ、お薦めしたいコースだ。 


台北 重い歴史美化を嘆く

2011年3月9日(東京新聞)

 六十四年前、政府の腐敗に抗議運動を起こした民衆を武力弾圧した二・二八事件の台北市記念館が新装オープン、早速見に行った。以前の展示と比べると全体にスマートに。言い換えれば、事件のむごさ、弾圧のひどさが大分消えている。

 「一万八千人から二万八千人」-事件による死者を示す数字をメモしていると、そばから「実際はもっと多かったよ」と年配の男性が声をかけてきた。こちらが日本人だというと、たまっていた不満をぶちまけるように片言の日本語を交えて話し始めた。

 「蒋介石が部隊を派遣して虐殺したのにその蒋介石を美化している」。男性は事件当時はまだ三つで記憶はないが、小学校の先生だったいとこが事件で殺されたという。確かに政府の数年前の調査報告は「事件の元凶は蒋介石」と名指し批判した。それが国民党政権になっての新たな展示では民衆の慰撫(いぶ)にも努めたことも強調している。

 政府は記念日を祝日とし、記念行事も実施している。今年は三連休となることもあって、行楽地はにぎわっているが、記念館を訪れる人は多くはない。事件の風化が展示を変えたのか、展示の変化が事件の風化を早めているのか。個人で事件の発掘調査を続けてきた阮美●さんは「二・二八は慶祝ではなく追悼なのに…」と嘆いている。 (迫田勝敏)