「太陽の子」で共演した三浦春馬と柳楽優弥 2人の“早熟”俳優が抱えた「葛藤」と「別れ道」

2020年08月18日 01時37分23秒 | 事件・事故

宝泉薫 2020.8.15 11:30


 今年の夏もテレビでは、先の戦争にちなんだ番組が頻繁に放送されている。なかでも注目度の高いのが、NHKの特集ドラマ「太陽の子」(8月15日放送)だろう。柳楽優弥が演じる主人公は、戦時下で核エネルギーの研究をした科学者。その弟にあたる軍人を、7月18日に急逝した三浦春馬が演じている。

8月8日に放送された「土曜スタジオパーク」では、柳楽とヒロインの有村架純がゲスト出演。生前に収録された三浦のインタビューも流れた。三浦が自殺未遂をする役でもあったことから、柳楽は涙をこらえつつ撮影を振り返っていた。

 今年の夏もテレビでは、先の戦争にちなんだ番組が頻繁に放送されている。なかでも注目度の高いのが、NHKの特集ドラマ「太陽の子」(8月15日放送)だろう。柳楽優弥が演じる主人公は、戦時下で核エネルギーの研究をした科学者。その弟にあたる軍人を、7月18日に急逝した三浦春馬が演じている。

8月8日に放送された「土曜スタジオパーク」では、柳楽とヒロインの有村架純がゲスト出演。生前に収録された三浦のインタビューも流れた。三浦が自殺未遂をする役でもあったことから、柳楽は涙をこらえつつ撮影を振り返っていた。

 三浦の死については、数多くの芸能人が追悼の思いをあらわした。なかでも記憶に残ったのが映画「コンフィデンスマンJP」シリーズで共演した小日向文世だ。死の3日後、同作(プリンセス編)の宣伝も兼ねて「ノンストップ!」(フジテレビ系)に出演。印象深い共演者について聞かれると、真っ先に三浦の名を挙げ、言葉を詰まらせていた。

 小日向は三浦から「何があっても包んでくれる方」(ロマンス編パンフレットより)と慕われており、そんな後輩の早世にやりきれない気持ちなのだろう。

 前出の柳楽の場合は、それとはまた異なる思いが見てとれる。というのも、彼は三浦と生年月日が10日しか違わず、学年こそひとつ上だが、同世代なのだ。しかも、ともに若くしてデビュー。ただし、柳楽いわく「春馬くんは子役のオーディションでも、ガッツリ取っていく」存在で、三浦がいると会場全体に「ダメだ?!」という空気が流れたという。

「僕だけじゃなくて 、同年代のみんながそう思ってましたね。同じ高校に行きましたが、一言もしゃべらず。超ライバル視していたので(笑)」(映画情報サイト・ムビッチ)

 たしかに、三浦は7歳で朝ドラ「あぐり」、その6年後には大河ドラマ「武蔵 MUSASHI」に出演したエリート子役。

だが、早熟ぶりでは柳楽も負けていない。12歳のとき、初めて臨んだオーディションで映画「誰も知らない」の主役を射止め、2年後、この作品でカンヌ国際映画祭の最優秀主演男優賞を受けた。

本格的ブレークはこちらのほうが早かったのだ。
しかし、4年後には大きな挫折も味わうことに。急性薬物中毒で搬送され、自殺未遂かと報じられたのである。これについて本人は、公式HPにコメントを発表。

「家族と言い争いをしている最中のことだったのですが、ついカッとなってしまって、僕が通っている医師の方から処方していただいた安定剤の薬をいつもより多めに飲んでしまうという行動をしてしまい、その結果具合が悪くなったため、自分で救急車を呼んでもらうようお願いしました」

 としたうえで「自殺をしようとしたということでは全くありません」と説明した。が、この一件で心身のバランスを崩していたことが明らかになり、芸能活動をいったん休止。その後、激太りやアルバイト生活を経験することになる。

 とはいえ当時、この挫折をそれほど意外には感じなかった。芸能界に限らず、若くして大きすぎる栄光を味わった人にはありがちなことだからだ。

 一方、三浦はどうかといえば、柳楽がブレークした2年後にヒロインの恋人を演じた「14才の母」(日本テレビ系)がヒット。その2年後には「ブラッディ・マンデイ」(TBS系)に主演して、18歳でトップ俳優の仲間入りを果たす。その後も順調にキャリアを重ね、その歩みは柳楽よりも堅実な印象だった。「14才の母」で共演した志田未来、あるいは神木隆之介らと同様、最近の子役出身者らしいスムーズな成長の理想型にも思えたものだ。 

 それだけに、今回の急逝には驚かされた。が、死後の報道からは秘められていた葛藤も見えてきている。小学校時代に親が離婚。母が再婚して継父との三人暮らしとなり、売れてからは彼が家計を支えるようにもなった。そんななか、マルチっぽいビジネスに手を出していた母と、関係が疎遠になっていった、とも。「デイリー新潮」によれば、何度も引退を考え「土浦に戻って、町工場でも何でもいいから人目につかない所で普通に生きたい」と、周囲に漏らしていたという。

 こうした複雑で不安定な生い立ちは、独特の色気を生む反面、繊細すぎて本物の自信を持てない精神性につながりがちだ。

 たとえば、1999年に自殺した沖田浩之もそうだった。祖父と父、彼の死後には兄も自殺するという家に生まれ育ち、17歳でアイドルとしてブレークしながら、起伏の激しい芸能人生を送った。

独立問題で仕事を干されたりしたあと、津川雅彦と出会って役者としての幅を広げ、妻子も持ったが、36歳で世を去ることに。死の前年のインタビューによれば、父のあとを追うように病死した母との別れが打撃だったようだ。

 三浦の場合は、その葛藤をもっぱら仕事によって抜け出そうとしていたように思われる。女装の舞台に主演したり、CDデビューして音楽番組で歌やダンスを披露したり。日本のものづくりを紹介する本も出したりした。それは多才ぶりを示すとともに、自分探し的な作業でもあったのではと今となっては想像される。

 柳楽との関係でいえば、3年前に共演した大河ドラマ「おんな城主 直虎」での役柄が象徴的だった。ともに武士の家に生まれながら、三浦の演じた役はその宿命に殉じるかのように自ら死地に赴いて謀殺されるというもの。これに対し、柳楽が演じたのは盗賊に拾われたのち、その頭領として自由な生き方を志向していくものだ。

 どちらもハマリ役だったが、特に柳楽については役者として復活後、自由度が増した芝居のスタイルとも重なるものがあり、印象に残った。

 ではなぜ、柳楽は復活できたのか。ひとつには、十代という早い段階で挫折して、立て直しがしやすかったこと。もうひとつには、新たなパートナーと出会えたことが挙げられる。

 高校時代にひとめぼれしたという豊田エリーと19歳で結婚。長女も生まれた。「マイナビ転職」のインタビューで「勝負グッズ」を聞かれた際には、こんなことを語っている。

「嫁がパリで買ってきてくれたロザリオ、それと娘が1歳の誕生日を迎えた時に作った娘の指のサイズのリングは御守りのようなもの。必ず身につけて出かけます」

三浦も仕事以外のよりどころがあれば……と考えてしまう。挫折しない子役が増えるなか、昔の子役のような葛藤をあくまで内に秘めつつ、どこか古風で破滅的な死への衝動を抱えてしまっていたのだろうか。

 ただ、子役から活躍した三浦は芸歴が長く、作品が数多く残されている。じつは現在、筆者の地元ではTBSの時代劇「水戸黄門」の32部が再放送中。これを書いている前日には、13歳の彼が出演した第3話「おらが蕎麦は日本一」を見ることができた。

「太陽の子」のあと、9月15日からは、死によって中断した最後の連ドラ「おカネの切れ目が恋のはじまり」(TBS系)も計4回の特別編集で放送される予定だ。作品のなかで、三浦春馬は生き続ける。

●宝泉薫(ほうせん・かおる)/1964年生まれ。早稲田大学第一文学部除籍後、ミニコミ誌『よい子の歌謡曲』発行人を経て『週刊明星』『宝島30』『テレビブロス』などに執筆する。著書に『平成の死 追悼は生きる糧』『平成「一発屋」見聞録』『文春ムック あのアイドルがなぜヌードに』など


最新の画像もっと見る

コメントを投稿