- 2025年4月7日
- 詩人は永遠を見る
「池田氏は、豊かな大衆に根ざす詩人、時代を若返らせる詩人、そして巨大なる詩人」「その声が聞けることは、世界にとって幸運です」と評したインドの詩人クリシュナ・スリニバス博士。池田先生が出会いをつづったエッセーを掲載する。〈『私の世界交友録』読売新聞社(『池田大作全集』第122巻所収)から〉

永遠が ここにある
限りなき「今」のなかに
晴れ晴れと輝く「今」のなかに
運命の凍結のなかに
憎しみの死滅のなかに
(詩集『五大』の「火」から)
インドの詩人クリシュナ・スリニバス博士の宿願は、「五大」すなわち宇宙をつくりあげている五つの要素「地水火風空」を謳い上げることであった。
「それが私の使命であり、それが終われば、私はもうどうなってもよい、と思っています」
博士の話しぶりには巧まざる韻律があった。声は正直である。博士の私心なきお人柄が、言葉の中身以上に声の抑揚に表れていた。
横浜の港のかなたに雄大な夏雲が隆起していた。一九七九年(昭和五十四年)七月。私は神奈川にいた。空は光にあふれ、海も耀い、人の世の不透明な相克を朗笑っているかのようであった。
その日盛りの午後、インドの港町マドラスからの賓客を迎えて、私は詩論を楽しんだ。マドラスは、その十八年前、私が「精神の大国」への第一歩をしるした忘れ得ぬ町である。あの喧騒。あの活力。それでいて、時の流れが変わったような、永劫感覚とでもいうべき、あの悠久の趣。
スリニバス博士は、この町を拠点に、世界五十カ国に読者をもつ英語の月刊詩誌『ポエット(詩人)』を一九六〇年から発行しておられる。世界詩歌協会の会長、国際詩人学会の会長を務め、この時の来日は、ソウルで開かれた第四回世界詩人会議の帰途であった。菜食主義者らしい、ほっそりとした長身である。
「偉大な詩人がいなくなりました」。博士が大息された。
「私は『ポエット』を通して、世界中の多くの詩を見ます。それらは『良い詩』であっても『偉大な詩』ではありません。かつて私は『埃りの舞い(Dance of dust)』という詩集を出版しました。今の詩は塵芥が舞っているようなものだ、しかし偉大な詩人が、いつかきっと現れる、という内容です」
博士の名を高めた、この詩集(一九四六年刊)は、T・S・エリオット、オーデン、スティーヴン・スペンダーら錚々たる詩人に絶賛された。
博士は言われる。
「真実の詩人は、宇宙、精神、真理などについて語る詩人です」「詩には常に呼びかけるもの(メッセージ)がなければなりません。また永遠性がなければなりません」
メッセージとは、「歌わずにいられない」何かをもっているかどうかということであろう。これを表現し終えれば死んでもいい、これを伝えなければ生きている甲斐がない――そういう炎が内に噴き上げているのが詩人である。
博士の炎が向かう焦点が詩集『五大』であった。私は申し上げた。
「五大は、わが生命でもあります。この一個の生命は大宇宙と同じく地水火風空からなる。すなわち五大は我即宇宙の哲学を表しています。この五大は妙法蓮華経の五字でもあります……」
◆ ◆ ◆
私は思う。詩人は永遠を見る人である。全身で永遠を感ずるゆえに、彼は諸行の無常を観ずる。諸物の止まらない流転が目に映るゆえに、この一瞬一瞬のかけがえなさを知る。
この「今」。充溢の「今」。生命にあふれた「今」を愛おしみ、詩人は歌わずにいられない。
詩人はいつも元初の地平に立っている。彼は毎朝、新しく誕生する。彼には毎日が始まりの日である。「久遠の子ども」の汚れない瞳で詩人は世界を見る。
すると日常は何と美しいことだろう。
葉裏に透ける陽の光――何という奇跡!
窓ガラスをすべる銀の雨粒――何という宝石!
詩人は宇宙の法則の探究者であり、万象を黄金の大生命の表れと見る。ゆえに彼は常に「ほめたたえる人」である。
詩人は、平凡な日常にも、不滅の生命が浸透していることを知っている。だから彼は、ものの価値を機能で見ない。「それが私の何の役に立つか?」でなく、「その命は光っているか?」を、それ自身のために思いやる。消費文明の市場価値でなく、心による価値が彼の基準である。一枚の粗末な紙でも、心がこもっていれば、億万の紙幣より彼は大切にする。
科学は「だれでも代わりになれる」と突き放し、詩は「君でなければならない」と呼びかける。
詩人は戦う人である。
彼は人間の運命に責任を感じる。彼は、世界のどこかで非人間的に扱われる人間がいることを容認できない。一人の人間こそ全宇宙という織り物を結びつける結び目であり、どの一人なくしても宇宙は完全ではないことを彼は感じている。
だから――私は博士に語った。
「現実に埋没した社会にあって、詩は心の窓を開けます。その窓から、さわやかな生命の涼風が吹きこんできます。詩は人間性の証であり、崇高な魂の歌です。詩は人間を人間に立ち戻らせます。ゆえに指導者層も含めて、あらゆる階層、あらゆる立場の人々が、詩を愛するようになった時、どれほど社会は明るく、美しく、活力に満ちて進歩することでしょうか」
世紀の病は深い。人々は無感動、無気力という「心の死」に呻いているかに見える。物質主義の青黒い病菌が心をも機械にしてしまったかのように、悲しむべき時に悲しめず、喜ぶべき時に喜べず、その苛立ちを刹那の陶酔に、まぎらそうとし――。
この心を蘇生させるのが、詩の力である。広くは文化の力、美の力である。
詩――それは夏の雲のようにわきあがる清朗なエネルギーであり、生き生きと感動する心であり、みずみずしい目の輝きである。そこに永遠は宿っている。
スリニバス博士は八十歳を超えた今もお元気で「詩を通しての平和」へ活動しておられる。大いなる人生を彫琢し続けておられる。あの日の凜とした言葉そのままに。
「そうです、詩は境涯です。偉大な詩は、偉大な人間からしか生まれません!」

クリシュナ・スリニバス 1913年生まれ。インドの詩人。T・S・エリオット、オーデンら20世紀を代表する詩人から絶賛された。60年、「世界詩歌協会」を設立し、会長を務め、「国際詩人学会」会長、「世界芸術文化アカデミー」事務総長なども歴任。同アカデミーからは「桂冠詩人」称号(81年)が、世界詩歌協会からは「世界桂冠詩人」賞(95年)、「世界民衆詩人」称号(2007年)が池田先生に贈られた。07年、死去。
池田先生に嫉妬し、創価学会の前進を阻もうとする宗門の悪僧らが邪知を巡らせていた。謀略の嵐が渦巻く1979年(昭和54年)7月13日、池田先生は神奈川文化会館でスリニバス博士と出会いを結んだ。
古代サンスクリット文学が開花したインド。大叙事詩「マハーバーラタ」「ラーマーヤナ」が生まれ、大詩人カーリダーサや詩聖タゴールを育んだ国だ。
文化や国民性にも詩歌が根づく。その“詩魂の国”から訪れた博士が、池田先生の詩に深く魅せられた。
語らいでは、博士が先生の詩を朗々と暗唱する一幕も。先生は詩集『わが心の詩』を贈った。日本からインドへの帰路、博士は機内で詩集をひもといた。その時のことを記している。
「私は恍惚にも似た感動が全身を走り抜けるのを感じた。今日まで、(中略)三万人以上の詩人の作品を『ポエット』誌に掲載してきたが、これほど私の心を激しく打った詩人はいなかった」
博士は、インド大統領も寄稿し、世界50カ国に愛読者を持つ詩歌専門誌『ポエット』を発刊してきた。出会いを刻んで以降、先生の詩を同誌に掲載することを決め、表紙に掲げた。
博士は語っている。
「私は、繰り返し、喜びと誇りをもって強調します――ヒマラヤ山脈にはただ一つのエベレストしかないが、詩人・池田氏はその詩歌の中に、幾つものエベレスト(最高峰)を持っている」
「氏の詩的エネルギーは、内的な変革を求める衝動からわき出ます。その詩は、予知不可能なものを発見しようとの探究であり、自身の魂の内奥を赤裸々に明かさざるを得なくなります」
先生への博士の深い尊敬は、各国の詩人が先生の詩と出あい、心を打たれ、たたえることへとつながっていく。
デンマークの桂冠詩人であるエスター・グレース氏もその一人。2000年(平成12年)、氏は先生に献詩。両者は出会うことはなかったが、2人の詩心は深く共鳴した。
インドの詩人であり、教育者のセトゥ・クマナン氏も、スリニバス博士を通して先生を知った。『ポエット』に掲載された先生の詩「母」に感動が五体を貫いた。
氏は、自らが経営するセトゥ・バスカラ学園(幼稚園から高校までの一貫教育校)で、1996年(同8年)から先生の詩を教材にした授業を開始。翌97年(同9年)、学園内に建設された新校舎を「ドクター・イケダ・ブロック(池田博士校舎)」と命名した。
さらに、インド・チェンナイに先生の名を冠した「創価池田女子大学」を2000年に創立した。
07年(同19年)、スリニバス博士が同大学の第4回卒業式に出席。「未来は皆さま方、青年の手にあります。池田会長の精神を勇気を持って受け継いでください」と述べ、万感の期待を語った。
「皆さまの中から、マハトマ・ガンジーが現れるでしょう。(中略)池田会長の分身となって、この世界に栄光と壮麗をもたらすでしょう!」
この年の12月、博士は逝去。詩人団体「世界詩歌協会」が、池田先生に初の「世界民衆詩人」称号を贈ったのは、博士が旅立つ2カ月前だった。あいさつに立った博士は、先生と出会った喜びを語り、こう言葉を結んだ。
「友よ! 今日の世界の危機は、池田博士のような偉大なる詩人のみが救うことができるのだ」

※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます