輪子の競輪日記

2018年05月28日 06時55分55秒 | 未来予測研究会の掲示板
「あなたには、二つの道、二つの運命、二つの可能性があります。どちらを選ぶかは、あなたの自由です」

「逃げる選手は、使われるだけ使われバカみたいだな。結局、自分は9着だろう」
「そうだな。せめて、自分が3着に残れるレースをすればいいのにな」
「それが、できないんだよな」
二人の競輪ファンの会話を聞いて、輪子は競輪の理不尽な一面を思ってみた。
逃げる選手をかばい、車間を開ける番手選手もいるが、直ぐに2番手から発進する選手が大半。
つまり、先行型の選手は逃げるだけ逃げて、力が尽きると番手選手に棄て石にされるばかりの運命。
新人でタイトルホルダーに手が届く選手は希。
逃げる役割を終えると、力が衰えていくばかりの運命。
うまく、自在型に変身できる選手は、早晩タイトルホルダーになれるはず。
二つの道、それは選択、位置取りの問題。
前段にいるのか、中段にるかの道。
運命は、展開次第。
逃げ争をするのか、しないのか、可能性の問題。
インで粘るという選択の可能性もある。
内側有利の競輪のコースを利する可能性。
死んだふりで、別線(ライン)を油断させる戦法もあるはず。
ラインを分断する戦法も。

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中学、高校まで運動経験ゼロで、競輪学校へ入り歴史に残るトップとなった競輪選手のいるし、競輪学校の成績は後ろの方だったのに、タイトル全を取った伝説の競輪選手もいる。
さらに競輪学校の実技、学業もトップで、競輪選手のレジェンドとなった選手も。
まったく人の運命はわからない。
学校成績トップ-東京大学-官僚の図式とは違う競輪界の命運。
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吉岡 稔真(としまさ)47歳
現在は競輪解説者・評論家。
KEIRINグランプリ 1992、1995
日本選手権 1992、1996、1998、2006
高松宮記念杯 1996-1997
競輪祭 1992-1994
全日本選抜 1999
寛仁親王牌 1992、1994
共同通信社杯 2003
ふるさとダービー 2回
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滝澤 正光(まさみつ)58歳
日本競輪学校校長
KEIRINグランプリ 1987,1993
日本選手権競輪 1984,1986,1988
オールスター競輪 1987,1990
高松宮記念杯 1985-1987,1989,1992
競輪祭 1990
全日本選抜競輪 1987
ふるさとダービー 1回
共同通信社杯 1990
寛仁親王牌 1993
全日本選抜競輪 1987
ふるさとダービー 1回
共同通信社杯 1990
寛仁親王牌 1993
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神山 雄一郎50歳
首席で卒業
現役:日本競輪選手会栃木支部
日本選手権競輪 1999
オールスター競輪 1993,1997,1999,2004,2005
高松宮記念杯競輪 1994,1995
競輪祭 1995 - 1997,2000
全日本選抜 1995
寛仁親王牌 1996,1997,2000
共同通信社杯競輪 1993,1996,1997,2001,2002,2015
ふるさとダービー 1993,1998
サマーナイトフェスティバル 2011
新人王 1989
アジア大会 スプリント 1998
アジア大会 チームスプリント 2002
S級S班 2008-2011 2015-2016

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