徹の青春 1  沼田利根

2024年10月11日 04時52分50秒 | 創作欄
 
高校生の徹は、ある大学の芸術学部を目指していた。
映画界や芸能界にその大学の出身者が多く名を連ねていた。
また、その大学の芸術学部の出身者には、いわゆるマスコミ関係者も多い。
徹が住む材木町の近所に住んでいた先輩の一人がその大学に合格し、帰郷した時に大学の話を誇らしげにしたのを徹は羨望の目で聞いた。
徹は群馬県の沼田の高校生であった。
高校生の徹は将来に夢を抱き、映画や絵画に興味をもち多感だった。
沼田城址で度々、1年後輩の彼女とデートを重ねながら、未来に夢を馳せていた。
その日、秋の夕陽は徐々に傾き子持山に隠れようとしていた。
紅葉した桜の葉が風に舞っていたのを、徹が見詰めていた。
沼田城の石垣だけが、いにしえの名残を留めていた。
「私のこと将来、お嫁さにしてくれる?」
握りしめていた加奈子の手に力がこもった。
徹は加奈子の体を再三求めていたが、それまで拒絶されていた。
徹は同級生たちから性の体験を聞かされていたので、実体験を欲していたのだ。
だが、人生には何が起きるか分からないものだ。
このことは、徹に実に暗い影を落としたが、後で徹の美登里宛の手紙の形式で記す予定だ。
17歳の徹には、14歳の妹が居た。
昭和20年、父が硫黄島で戦死して、母は戦後に父の弟と再婚した。
そして妹の君江が生まれた。
妹は徹のことを子どもの頃からとても慕っていた。
徹が嫌がっていたが、妹が一緒に風呂に入りたがっていたし、寝床にも潜り込んできた。
それは、妹が初潮を迎えてからも続いていた。
「お前は、女の子なんだ。もう、一緒に風呂へ入るのはよそうな」
ある日、囲炉裏傍で徹は、炭を足しながら言った。
突き放された君江は、悲しそうに徹を見つめていた。
鍋の煮物から香ばしい匂いが漂っていた。
当時、母は僅かな田で米を収穫したり、畑に色々野菜を栽培いた。
また、蚕も育ており、それが我が家の収入源となっていた。

創作欄 徹の青春 2

徹は義父から尾瀬沼のことを聞かされいた。
明治23年(1890年) 平野長蔵が、沼尻に小屋を設置した、これが尾瀬開山の年とされる。
そして、 昭和13年(1938年)日光国立公園特別地域に指定された。
昭和31年(1956年 )国指定天然記念物になり、ブームが起こったが、尾瀬沼は、徹の父の世代は観光地ではなかった。
「お前の親父さんと、俺と沼田中学の先輩と3人で、尾瀬沼へ行ったことがあるんだ。バスなんか当時はないから、尾瀬沼まで沼田から歩いていった」義父は囲炉裏端で煙草のキセルを吹かしながら誇らしげに語った。
「印象に残っているんだが、ともかく熊笹が多かったな」
義父の話に妹の君江が目を輝かせた。
「私、尾瀬沼へ行ってみたいな。兄ちゃん行こう」
君江は何時も囲炉裏端で、兄の徹に寄り添っていた。
そして甘えるように膝を密着させてきた。
徹はその膝の感触に戸惑う。
義父の話で初めて分かったのであるは、沼田中学の先輩は偶然にも加奈子の父親であった。
徹の父は硫黄で戦死し、加奈子の父親はガダルカナル島で戦死していた。
二人は旧制沼田中学の同期生であったのだ。
加奈子は父親が戦死した翌年の昭和20年3月に生まれた。
徹の同級生たちには、父親が戦死し母子家庭に育った生徒たちが少なくなく、それぞれが憂いを秘めたように寡黙であった。
徹が加奈子に心が惹かれたのは、その寡黙さと下向きな感情であった。
徹が高校生の2年の6月、加奈子と妹の君江と3人で尾瀬沼へ行く。
中学生の時、授業で「日本の植物学の父」といわれた牧野 富太郎の存在を知った。
牧野は多数の新種を発見し命名も行った近代植物分類学の権威である。
長蔵小屋の名で知れる平野長蔵は、日本最高の植物学者である牧野富太郎が駒草の花を大量に採ってきたとき怒鳴り叱ったとされる。
あの日、徹たち3人は、長蔵小屋に泊まった。

創作欄 徹の青春 3

バスが老神温泉を過ぎたころ、「あ、順子だ」と声を発して加奈子が立ち上がって、左側の前の席へ向かった。
声を掛けられて、お下げ髪を結った少女が振り向いた。
顔立ちが加奈子に似ていた。
「今日、帰ってきたん?」
つり革につかまりながら、加奈子が笑顔で問いかけた。
少女はうなずくが、笑顔を見せなかった。
「お母さん、もう、ダメだって・・・」
少女は深く頭を垂れた。
「おばさんが?」
少女は顔を上げずにうなずいた。
つり革から手を離した加奈子は、口に右手をあてがい涙ぐんだ。
そして、加奈子は席へ戻ってきて、「私、次のバス亭で降りていい」と徹に聞く。
「何故?」徹は驚いて聞く。
「おばさんが、死にそうなの」
徹は言葉を失った。
妹の君江は座席にもたれて寝ていた。
加奈子は少女の席へ向かった。
だが、意外な反応が起きた。
「ダメ! おかさんは、誰にも会いたくないて言っているの!」
少女の声は甲高くなった。
加奈子は絶句した。
死を迎えた人が、「誰にも会いたくない」ということがあるのだろうか?
だが、少女の母親は骨肉腫の手術で顔面を大きく損傷していたのだ。
少女は次のバス亭でボストンバックを抱えて降りていった。
バス停には、少女の4人の妹や弟が待っていた。
「あの人は、誰なの?」徹は背後を振り返って聞いた。
左右に田圃が広がる1本道であり、バスの窓から少女たちの姿がいつまでも見えた。
「私の従妹なの。中学を卒業して、東京の大田区の町工場で働いているの」
加奈子に聞くとこころによると少女の父親も戦死し、母親に育てられていた。
その母親も、徹の母のように再婚していた。
3人の楽しいはずの尾瀬沼行きに暗い影を落とした。

創作欄 徹の青春 4

バスは沼田から老神温泉~鎌田~戸倉を経て鳩待峠に到着した。
鳩待峠(はとまちとうげ)は、群馬県利根郡片品村にある峠である。
尾瀬ケ原や尾瀬沼に行くには山を超えて向かう道程がある。
旧制沼田中学の学生であった徹の父と加奈子父のたちが、熊笹を分け入って行ったとされる登山道を辿るのである。
「父たちも昔、この道を行ったのね。胸がとても高鳴る」
加奈子は足をとめて群生した熊笹を見つめた。
脇を歩いていた徹の妹の君江は、「加奈子さんは、鳩胸だね」と言った。
14歳の君江は、自分の薄い胸を意識しながら、16歳の加奈子の豊かな胸に眼をやった。
セーラー服ではそれほど目立たなかったが、黄色のセーターを着た加奈子の胸に徹は改めて目を留めた。
君江と加奈子は同じようなポニーテールであり、ニットの帽子をかぶっていた。
君江の帽子は水色で、加奈子の帽子は紺色であった。
啄木鳥がブナ林の中で鳴いていた。
3人は自然を満喫し、深呼吸をしながら一歩また一歩と山道に足を運んだ。
原生林には、立ち枯れの木もあり、自然の姿に圧倒され、癒され、穏やかな血流が体にしみわたっていくようであった。
太古の昔からの自然の営みを想った。
自然に朽ちていく樹木もあれば、雷に打たれた木もあるだろう。
「戦死した父たちの分をも生きたい」
徹が鳥の声に耳を傾けていると、加奈子が独り言のよう呟いた。
バスの中で偶然出会った加奈子の従妹も父を戦争で亡くしていた。
「僕らは、特別の世代かもしれないね」
17歳の徹を含め、父親を戦争で失った世代がまさに青春を迎えているのだ。
君江は母が徹の父の弟と再婚して、戦後に生まれたのであった。
鳩待峠から山の鼻に至る山道ではミズナラの木が見られた。
どれくらい歩いたのだのだろううか?
3人はあいにく腕時計を持っていなかった。
尾瀬ヶ原の入口・山ノ鼻に到着した。
6月の尾瀬は水芭蕉などが咲き誇って、凄くキレイであった。

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