「その夜は眠れなかった」/手記
競輪で長年“関東の総大将”として活躍してきた平原康多(42=埼玉)の電撃引退が22日、明らかになった。競輪界トップ9であるS級S班のまま、異例の決断。
その苦難を知る、黄金コンビを組んだ武田豊樹(51=茨城)、同県の後輩・宿口陽一(41=埼玉)、そして久美夫人がそれぞれ思いを語った。武田は20日に連絡を受けたという。 【写真】涙を拭う平原康多
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20日に康多から連絡をもらい、引退の報告を受けました。その夜は眠れなかったです。玉野(3月G3)の走りを見て、少し気持ちが切れているかなと感じたけど、長い選手人生でそういう時期はあるし、まさか辞めるとは想像もしていませんでした。
引き留めるようなことを言えなかったのは、この決断が簡単なことではないし、決してあきらめたわけではなく、彼はやり切ったのだと思えたからです。
年齢とともにきつくなってくる世界。康多があの年までSSにいる大変さは本人にしか分からなかったでしょう。最近はけがも多かった。僕も転んでばかりの時期があったから、つらさは理解していました。だから、彼が苦しみながらも頑張っている姿に、僕もやる気を奮い立たせられました。
神山さんの引退から続いて、寂しさはあります。5月のあっせんが、神山さんの冠がついた宇都宮G3と、地元の取手G3で、康多も一緒に走るはずでした。取手では連係できるかもしれないと淡い期待をしていたから、そこに向けて気を張っていた自分もいました。もう連係できないのが心残りですね。
電話の向こうでは明るく接してくれていたけど、年下の康多が先に辞めると思うと、特別な感情がわいてきました。彼とはいい時代を一緒に走れて、互いに尊敬し合える関係でした。一緒に関東ラインを強くした自負もあるし、競輪の良さ、素晴らしさを感じさせてもらいました。感謝しています。
今、言えるのは、この決断ができて本当に良かったなということですね。僕自身、いつ辞めてもいい覚悟があるから、今は1戦1戦を集中して走れている。脚力が劣ってきても、まだ気持ちで勝負ができています。でも、もう競輪人生は、そこまで長くはないでしょう。康多が引退した後は、今度は逆に僕がアドバイスをしてもらいたい。少しでも悔いなく残りの競輪人生を送れるように、康多にはこれからサポートしてもらいます。お疲れさまでした。
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