取手の人々

2019年06月10日 18時27分43秒 | 創作欄

人生をどうのうに捉えるのか?
肯定か否定か、確信か不信かで自ずと結果は大きく分かれるはずだ、と大田は気付いたのだ。
大田の高校時代の友人の倉持勉が、26歳で網膜色素変性症のために失明した。
倉持は調理師になっていたが、失明してから水戸の盲学校へ入学し、3年後、「あん摩マッサージ指圧」の国家試験に合格し、取手市内に治療院を開いていた。
大田はその年の冬の大雪の雪かきで腰を痛め、倉持の治療院に通った。
「大田、お前の腰の治療をするとは思わなかったな。まあ、俺に任してくれ」倉持の声は確信に満ちていた。
「俺も、倉持の治療を受けるとはな。人生色々あるな」大田はどこか引け目を感じていた。
「俺は、目が見えなくなって、人の声に敏感になった。大田元気がないな、どうしたんだ?悩みでもあるのか?そうなら話してくれ。胸の内を明かすことで気持ちは楽になるものだよ」
倉持は治療の手を止めた。
「最近、ツキに見放されてしまって、競馬で15連敗もしている」大田は自嘲気味に言った。
「競馬か、俺も調理師時代は取手競輪に通ったが、競輪は難しいな」倉持の指に力がこもった。
大田は取手に在住していたが、競輪場へ足を踏み入れたことはなかった。
「賭け事にのめり込むのは業のようなものだと、俺は失明して思った」
「業か、そうに違いない」大田は苦笑を浮かべた。
「大田、俺は思うのだが人生はどう生きるか、それで決まる。俺は失明したことは悪くなかったと今は思えるのだ」
倉持の言葉は確信に満ちているように力強かった。
「大田、何かに挑戦することに意味がある。そう思わないか?」
大田は沈黙して聞いていた。
治療の効果で腰の痛みが和らいでいた。
「倉持、なかなかの腕前ではないか。ありがとう。だいぶ腰が楽になった」
大田は心から率直に感謝して治療院を出た。
そして中山競馬場へ向かった。
新松戸から武蔵野線に乗り換えると車内はかなり込んでいた。
競馬人口の多さは競輪ファンの比ではなかった。
大田は船橋法典駅から競馬場へ続く長い通路の中で、気持ちが何時もと違うような高揚感を覚えていた。

 


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