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心が荒廃する日本社会

2025年01月27日 00時08分51秒 | 社会・文化・政治・経済

コロナの感染者で、医療を拒否され、自宅で最期を迎える人が、各地で続出している。

ご本人はもとより、ご親族、ご友人のご無念は、如何ばかりだろう。

あらためて、お悔やみを申し上げ、ご冥福を祈りたい。

これは、日本の医療崩壊を象徴的に示している。

医療を崩壊させただけではない。

それをもたらした社会を崩壊させ、社会の靭帯を、ずたずたに切り刻み、人間の心を、目を覆うばかりに荒廃させた。

これは、もちろんコロナに原因があるわけではない。

非常事態のなかで、コロナがコロナ以前から続く日本社会と日本人の醜悪な本性を、余すところなく暴き出したのである。

コロナ禍の夜明けは近いという。

ワクチンの接種を、近く始めるようだ。だが、夜明け前の暁闇が最も暗い。

 

暗黒の中で魑魅魍魎が跳梁跋扈している。政治は国民を家庭の中に押し込めて、医療崩壊を冷然と傍観している。

日本は、いつからこうした暗黒の社会になってしまったのか。

その根底に市場原理主義という経済思想がある。

それは、コロナ以前からあった。

そしてコロナがその醜悪さを暴き出した。

この経済思想は、「今だけ、金だけ、自分だけ」という「三だけ主義」だ、と鈴木宣弘東大教授が喝破した。

今だけよければいい、金だけが大事だ、自分だけ良ければいい、というものである。

医療も勿論で、この思想に毒されている。

コロナの場合はどうか。

コロナ禍は、今だけ何とかしのげればいい、と刹那的に考える。

今後どうなるか、は考えない。だから、市中の感染者を減らし、感染の拡大を根元から絶つために、医療体制を整備しよう、とは考えない。

外出の自粛という、今だけの対症療法しか考えない。

それに失敗して、感染が拡大し、重篤な感染者が続出すると、彼らに医療を施すかどうか、を金ずくで考える。

医療体制を整備して、全ての感染者を治療しようとは考えない。まるで、家畜なみである。

乳牛でいえば、治療代と今後の餌代が今後の乳代より多いか少ないかを計算する。

そうして、屠殺するかどうかを決める。

また、自分だけが感染しなければいい、と考える。

他人はどうなってもいい、と考える。

だから、市中で感染が蔓延することに関心がない。社会に目が向かないのである。

まして、社会正義などは考えない。

官僚のばあい、自分の部局の利害だけを考えて、その権限を墨守する。

だから、市中感染の拡大には無関心で、医療体制の整備などに興味はない。

妨害さえする。

ここで特に指摘したいことは、保健所組織の緊急事態のなかでの機能不全である。業務の全面的な見直しと、体制の解体的な整備と拡充が必要だろう。

こうしたことを、いつまで続けるつもりか。

ワクチンの接種が始まって、終息するまで、この考えを改めないで、国民の批判にじっと堪えているのか。

ワクチンが多数の国民に行き渡ってコロナが終息するまでには、長い月日がかかるだろう。

その上、いま接種しようとしているワクチンには、いくつかの懸念がある。

どれほどの効果があるのか。

短期的、長期的にみて、どれほどの重い副反応があるか。

それまでに、異変種のコロナが蔓延して、猛威を振るわないか。

これら懸念を考えるとき、終息するまでには、まだまだ長い月日がかかるだろう。

その長い間、国民は病苦と死への恐怖に苛まれる。

いまからでも遅くはない。

医療体制を整備し、市中の感染者を隔離して治療し、国民を苦難から解放しなければならない。

それは、数年後に襲来すると思われる新々型コロナに対する対策を立てるときの、貴重な経験になるだろう。

それは、コロナが暴いた社会の崩壊と人心の荒廃から回復する道へつながるだろう。

そしてそれは、市場原理主義から決別し、官僚が支配する悪しき社会主義から脱して、協同組合主義へ向かう道だろう。

(2021.02.01)

 

 

 


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