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女性に対する暴力をなくす運動 11月12日(火)から25日(月)まで

2019年11月05日 22時05分00秒 | 社会・文化・政治・経済

令和元年度 

○期間: 令和元年11月12日(火)から25日(月)までの2週間 ○主唱: 内閣府、内閣官房、警察庁、金融庁、消費者庁、復興庁、総務省、法務省、外務省、財務省、文部科学省、厚生労働省、農林水産省、経済産業省、国土交通省、環境省、防衛省

趣 旨
夫・パートナーからの暴力、性犯罪、売買春、セクシュアル・ハラスメント、ストーカー行為等女性に対する暴力は、女性の人権を著しく侵害するものであり、男女共同参画社会を形成していく上で克服すべき重要な課題である。
本来、暴力は、その対象の性別や加害者、被害者の間柄を問わず、決して許されるものではないが、暴力の現状や男女の置かれている我が国の社会構造の実態を直視するとき、特に女性に対する暴力について早急に対応する必要がある。
この運動を一つの機会ととらえ、地方公共団体、女性団体その他の関係団体との連携、協力の下、社会の意識啓発など、女性に対する暴力の問題に関する取組を一層強化することとする。
また、女性に対する暴力の根底には、女性の人権の軽視があることから、女性の人権の尊重のための意識啓発や教育の充実を図ることとする。
期 間
毎年11月12日から11月25日(女性に対する暴力撤廃国際日)までの2週間
主 唱
内閣府その他の男女共同参画推進本部構成府省庁
運動の実施に関する細目
前各項に定めるもののほか、毎年度の運動の実施に関し必要な事項については、本部長が定める。


女性に対する暴力をなくす運動 11月12日(火)から25日(月)まで

2019年11月05日 22時05分00秒 | 社会・文化・政治・経済

令和元年度 

○期間: 令和元年11月12日(火)から25日(月)までの2週間 ○主唱: 内閣府、内閣官房、警察庁、金融庁、消費者庁、復興庁、総務省、法務省、外務省、財務省、文部科学省、厚生労働省、農林水産省、経済産業省、国土交通省、環境省、防衛省

趣 旨
夫・パートナーからの暴力、性犯罪、売買春、セクシュアル・ハラスメント、ストーカー行為等女性に対する暴力は、女性の人権を著しく侵害するものであり、男女共同参画社会を形成していく上で克服すべき重要な課題である。
本来、暴力は、その対象の性別や加害者、被害者の間柄を問わず、決して許されるものではないが、暴力の現状や男女の置かれている我が国の社会構造の実態を直視するとき、特に女性に対する暴力について早急に対応する必要がある。
この運動を一つの機会ととらえ、地方公共団体、女性団体その他の関係団体との連携、協力の下、社会の意識啓発など、女性に対する暴力の問題に関する取組を一層強化することとする。
また、女性に対する暴力の根底には、女性の人権の軽視があることから、女性の人権の尊重のための意識啓発や教育の充実を図ることとする。
期 間
毎年11月12日から11月25日(女性に対する暴力撤廃国際日)までの2週間
主 唱
内閣府その他の男女共同参画推進本部構成府省庁
運動の実施に関する細目
前各項に定めるもののほか、毎年度の運動の実施に関し必要な事項については、本部長が定める。


職場での暴力やハラスメントを全面的に禁止する国際条約 経団連は棄権

2019年11月05日 21時54分12秒 | 社会・文化・政治・経済

ハラスメント禁止条約、初の国際ルール、ILO総会

2019/6/20 日本経済新聞

【ジュネーブ=細川倫太郎】国際労働機関(ILO)は20日、職場での暴力やハラスメントを全面的に禁止する初の国際条約を採択した。従業員や就職活動中の学生など幅広い関係者へのセクシュアル・ハラスメント(セクハラ)や嫌がらせを禁じ、政府や雇用主に対策を講じるよう求めた。性的被害を告発する「#Me Too」運動などが世界で広がる中、法的拘束力のある条約でハラスメント撲滅を目指す。
スイス・ジュネーブで開催しているILOの年次総会の委員会で採択した。21日の最終日の本会議でも採択し、正式に成立する見通しだ。

条約では暴力やハラスメントを「身体的、心理的、性的、経済的被害を引き起こしかねない行為」などと定義し、これらの行為を法的に禁止する。保護されるべき対象は従業員やインターン実習生、ボランティアなど幅広く含んだ。職場や出張先だけでなく、通勤途中やSNS(交流サイト)などでのコミュニケーションでも適用する。

雇用主には被害防止へ職場で適切な措置を取るように、政府には法律の施行や被害者の救済支援を求めた。内部通報者らが報復を受けることのないような防止策も必要とした。暴力やハラスメントが発生した場合は必要に応じて「制裁を設ける」とも明記した。

条約を批准するかどうかは各国の判断に委ねられ、国会などで審議する。原則、条約は2カ国が批准してから1年後に発効する。批准する国は条約に沿った国内法の整備などが必要で、加盟国はILOに国内の運用状況を定期的に報告する義務がある。

今回の総会では各国の首脳も参加し、条約の必要性を訴えた。フランスのマクロン大統領は演説で「働く人を守るための法律が必要で、すばらしい内容だ」と述べた。

日本では5月に職場でのパワーハラスメント(パワハラ)防止を義務付ける関連法が成立した。上下関係を背景としたパワハラは許されないと明記した。だが、行為そのものの禁止や罰則は盛り込まず、企業に相談窓口の設置などの防止策を義務付けるにとどまる。職場内での取り組みが中心で、就職活動中の学生など従業員以外への対応も明確ではない。

セクハラ、妊娠や出産をめぐる嫌がらせのマタニティーハラスメント(マタハラ)は既に企業に防止策が義務付けられている。ただ、これらも禁止規定はなく、実効性への疑問の声も多い。

今回のILOの条約とのかい離は大きく、日本が批准するにはさらなる法改正が求められる。法律で禁じると訴訟リスクが高まるため経済界は慎重で、批准には時間がかかる可能性がある。

ILOは労働に関する国際基準を作る国連機関で、187カ国が加盟している。児童労働の禁止などこれまでに189の条約が制定され、日本の批准数は49にとどまる。
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2019年6月22日NHK

ILO=国際労働機関は、スイスで開いていた総会で職場での暴力やハラスメントを全面的に禁止する、初めての国際条約を採択しました。今後、各国が条約を批准し、職場での暴力やハラスメントの根絶につながるか注目されます。

ILOは、セクハラや性暴力を告発する「#MeToo」運動が世界的に広がっていることを背景に、職場での暴力やハラスメントを禁止する新たな国際条約について去年から本格的に議論を始め、21日、ジュネーブで開いた総会で加盟国や労働組合、それに経営者団体が参加して採決を行いました。

採決では、加盟国の政府に2票、労働組合と経営者団体にそれぞれ1票ずつ投票権が割り当てられ、結果、条約は賛成439、反対7、棄権30と、圧倒的多数の支持を得て、採択されました。

このうち日本から参加した政府と連合は支持に回った一方、経団連は棄権しました。

条約では、暴力やハラスメントについて「身体的、心理的、性的、経済的被害を引き起こしかねない」などと定義し、法的に禁止するとしています。

対象になるのは、正規の従業員のほか、インターンやボランティア、それに仕事を探している人も含まれ、職場だけでなく、出張先や通勤中なども適用されるとしています。

今後、ILOの187の加盟国はそれぞれ条約を批准するか検討し、批准した国は、条約に沿った国内法を整備していくことが求められていて、職場での暴力やハラスメントの根絶につながるか注目されます。

ハラスメント禁止条約の背景

ILOが、職場での暴力やハラスメントを全面的に禁止する初めての国際条約を採択した背景には、セクハラや性暴力を告発する「#MeToo」が世界的に広がり、女性に限らずすべての人に対する暴力やハラスメントを許さない風潮が高まったことがあります。

条約の制定を目指す話し合いの中で、ヨーロッパなどすでに国内法の整備が整っている国は条約を支持する一方、アメリカやロシア、それに経営者団体などは慎重な姿勢を示していました。

条約の内容は、ILOの専門委員会で今月10日から議論が行われ、暴力やハラスメントをどのように定義するのかなどを巡っても意見が分かれましたが、最終的にはハラスメントを広く厳しく禁止する内容で圧倒的多数の支持が集まり、採択されました。

ヨーロッパでのハラスメント対策

世界では、ヨーロッパを中心に、暴力やハラスメントを国内法で禁じ、罰則を設ける国が数多くあります。

このうち北欧スウェーデンでは、ハラスメントは差別であると位置づけられていて、職場で差別行為を行った場合、罰金を科される可能性があります。

また、フランスでも、職場でのモラルハラスメントは法律で禁止されています。
ことばや態度によって従業員の権利や尊厳を傷つけた場合、身体や精神的な健康を損なわせた場合、そして、将来的なキャリアを危険にさらす行為を行った場合、日本円で最大およそ360万円の罰金や2年間の禁錮刑を科されることになっています。

労働団体からは歓迎の声


ILOの採決について、カナダから参加した労働者の団体のマリー・クラークウォーカーさんは、「このような国際条約ができることは、1年前には想像すらできませんでした。『#MeToo』運動の結果であり、世界の労働者にとって、権利を勝ち取った大きな勝利です」と述べ、喜びを表していました。

日本政府「批准には検討が必要」

日本政府を代表して参加した厚生労働省の麻田千穂子国際労働交渉官は、「仕事の場での暴力やハラスメントについて国際的な労働基準が初めてできた意義はとても大きい。国内政策でも今、私たちは職場のハラスメントをなくそうと一生懸命取り組んでいるところで、まさに方向が一致している」と述べ、条約の採択を歓迎しました。

一方で、日本が条約を批准するかどうかについては、「条約の採択に賛成するかどうかということとは次元の違う話で、国内法と条約の求めるものの整合性について、さらに検討していかなければならない」と述べ、今後、関係する省庁とともに慎重に議論を進めていく考えを示しました。

連合「歴史的な成果」

また、労働組合の連合は「ハラスメントに特化した初めての国際条約が採択されたことは、歴史的な成果として大いに評価したい。
条約は、暴力とハラスメントのない社会を実現するための第一歩だ」としたうえで、日本政府に対し、ILO加盟国の一員として条約の早期批准と、そのための禁止規定を含めた国内法のさらなる整備を求めていくなどとする談話を発表しました。


エシカル消費普及・啓発活動

2019年11月05日 21時49分39秒 | 社会・文化・政治・経済

消費者庁では、2015年5月から2年間にわたり「倫理的消費」調査研究会を開催し、人や社会・環境に配慮した消費行動「倫理的消費(エシカル消費)」の普及に向けて幅広い調査や議論を行いました。

今後は、研究会での議論を踏まえ、様々な主体と連携を図りながら、普及・啓発の取組を実施していきます。

「倫理的消費(エシカル消費)」とは?

消費者それぞれが各自にとっての社会的課題の解決を考慮したり、そうした課題に取り組む事業者を応援しながら消費活動を行うこと。

2015年9月に国連で採択された持続可能な開発目標(SDGs)のゴール12に関連する取組です。

エシカル甲子園

持続可能な社会づくりに挑戦する若者を育成するため、エシカル消費の推進や実践を行う高校生が、日頃の取組の成果や今後の展望等について発表する場として「エシカル甲子園」を開催し、消費者市民社会の実現に積極的に参画しようとする気運を高めます。
全国の高校の中から、エシカル消費の推進に積極的に取り組んでいる高校を選抜し、その取組に関する発表を行い、特に優れたものについて表彰します。

エシカル甲子園2019~私たちが創る持続可能な社会~ 【令和元年12月27日開催】



エシカル(倫理的な)消費」を

2019年11月05日 21時29分00秒 | 社会・文化・政治・経済

そもそも「エシカル」とは英語で「倫理的な」という意味で、法律の縛りはないけれども多くの人が正しいと思うこと、または本来人間が持つ良心から発生した社会的規範を意味します。

そこから派生して、今では、人や社会、地球環境、地域に配慮した考え方や行動のことをさすようになりました。(人間が持つ良心から発生した社会的規範を意味する)
特に「エシカル消費」は最近日本でも注目され始めています。
今の時代、どんな人も消費者であるという点から、エシカル消費(倫理的消費)という概念が注目されているのです。

私たちが普段食べたり、飲んだり、着たり、使ったりしている製品は全て、誰かがどこかで作ってくれています。
しかし、今の世の中、私たち消費者が製品を手にした時、その裏側にはどんな背景があるか、なかなか知ることができません。
もしかしたら、その背後には劣悪な環境で⻑時間働く生産者や、教育を受けられず強制的に働かされている子どもたち、美しい自然やそこに住む動植物が犠牲になっているかもしれません。

「エシカル」な消費とは、そういったことがないような製品を購入することで、いわば「顔の見える消費」とも言えます。
今、世界の緊急課題である、貧困・人権・気候変動の3つの課題を同時に解決していくために、「エシカル」という概念はとても有効です。

日本においては、消費者庁が 2015 年 5 月から 2 年かけて「『倫理的消費』調査研究会」を開催し、エシカル消費の枠組みづくりが行われました。
エシカル消費は間口が広く、「エシカル」という大きな傘の下に「フェアトレード」を筆頭に「オーガニック」や「地産地消」「障がい者支援につながる商品」「応援消費」「伝統工芸」「動物福祉(1)」「寄付付き商品」「リサイクル・アップサイクル(2)」「エシカル金融(3)」など幅広い消費の形があります。

(1) 動物の幸せ・人道的扱いを科学的に実現するものであり、動物本来の生態・欲求・行動を尊重すること
(2) リサイクル・アップサイクル:元の製品よりも次元・価値の高いモノを生み出すこと
(3) エシカル金融:投融資先が地球環境や地域、社会に犠牲を生んでいないかどうか等を配慮している金融のあり方

私たちは日々の暮らしの中から、買い物を通じて、世界が抱えている問題を解決に導く一端を担うことができるのです。
とても身近なアクションなので、今日から、明日から、誰にでもできる社会への貢献がエシカル消費です。

製品の裏側には、どんな背景があのかを知る。

もしかしたら、その背後には劣悪な環境で長時間働く生産者や、教育を受けられず強制的に働かされている児童がいるかもしれない。

あるいは、美しい自然やそこに住む動物が犠牲になっているかもしれない。

生産過程で貧困・人権・気候変動について問題が生じていれば、それを放置することはできないはずだ。



小栗 上野介の評価

2019年11月05日 21時26分51秒 | 社会・文化・政治・経済

小栗 忠順(おぐり ただまさ)は、江戸時代末期の幕臣、勘定奉行、江戸町奉行、外国奉行。
通称は又一。
「又一」は、代々小栗家当主が名乗る名前。戦場で度々功績を立てた先祖が、家康から「また一番槍は小栗か」と言われ拝領された名前と言われている。安政6年(1859年)、従五位下豊後守に叙任。
文久3年(1863年)、上野介と改名した。三河小栗氏第12代当主で、父方の祖父は同じく勘定奉行を務めた中川忠英。
安政7年(1860年)、遣米使節目付(監察)として、正使の新見正興が乗船するポーハタン号で渡米する。
2ヶ月の船旅の後、サンフランシスコに到着する。
代表は新見であったが、目付の小栗が代表と勘違いされ、行く先々で取材を受けた。
勘違いの理由として、新見をはじめとして同乗者の多くは外国人と接したことがなく困惑していたが、小栗は詰警備役として外国人と交渉経験があるため落ち着いており、そのため代表に見えたとされる。
また「目付とはスパイのことだ。
日本(徳川幕府)はスパイを使節として同行させているのか。」という嫌疑を受けた。
その際に「目付とはCensor(ケンソル)である」と主張して切り抜けたという。「Censor」という役の重さが代表扱いされる一因かと推察される。
フィラデルフィアでは通貨の交換比率の見直しの交渉に挑んだ。
これは日米修好通商条約で定められた交換比率が不適当で、経済の混乱が生じていたためである。
小栗は小判と金貨の分析実験をもとに主張の正しさを証明したものの、比率の改定までは至らなかった。
しかしこの交渉に関して、多くのアメリカの新聞は絶賛の記事を掲載する。また小栗はワシントン海軍工廠を見学した際、日本との製鉄及び金属加工技術などの差に驚愕し、記念にネジを持ち帰った。
その後、ナイアガラ号に乗り換え、大西洋を越えて品川に帰着する。
帰国後、遣米使節の功により200石を加増されて2,700石となり、外国奉行に就任する。
文久3年(1863年)、製鉄所建設案を幕府に提出、幕閣などから反発を受けたが、14代将軍徳川家茂はこれを承認し、11月26日に実地検分が始まり、建設予定地は横須賀に決定された。なお、建設に際し、多くの鉄を必要とすることから、上野国甘楽郡中小坂村(現在の群馬県甘楽郡下仁田町中小坂)で中小坂鉄山採掘施設の建設を計画し、武田斐三郎などを現地の見分に派遣した。見分の結果、鉄鉱石の埋蔵量は莫大であり、ついで成分分析の結果、鉄鉱石の鉄分は極めて良好であることが判明した[25]。ただし、近隣での石炭供給が不十分であるので、しばらくの間木炭を使った高炉を建設すべしとの報告を受けている。また慶応元年(1865年)には高炉で使用する木炭を確保するため、御用林の立木の使用について陸軍奉行と協議をしている。
小栗は横須賀製鉄所の首長としてフランスのレオンス・ヴェルニーを任命した。これは幕府公認の事業では初の事例だったが、この人事により職務分掌・雇用規則・残業手当・社内教育・洋式簿記・月給制など、経営学や人事労務管理の基礎が日本に導入された[33]。また、製鉄所の建設をきっかけに日本初のフランス語学校・横浜仏蘭西語伝習所を設立。ロッシュの助力もあり、フランス人講師を招いて本格的な授業を行った[34]。この学校の卒業生には明治政府に貢献した人物が多い。
小栗は陸軍の力も増強するため、小銃・大砲・弾薬等の兵器・装備品の国産化を推進した。
小栗は更なる軍事力強化のため、幕府陸軍をフランス軍人に指導させることを計画する。慶応2年12月8日(1867年1月12日)、フランス軍事顧問団が到着、翌日から訓練が開始された。また軍事顧問団と時を同じくしてフランスに、大砲90門、シャスポー銃10,000丁を含む後装小銃25,000丁、陸軍将兵用の軍服27,000人分等の大量の兵器・装備品を発注、購入金額は総計72万ドルにも上った[40]。
経済面では、慶応2年(1866年)には関税率改訂交渉に尽力し、特にフランスとの経済関係を緊密にし、三都商人と結んで日本全国の商品流通を掌握しようとした。
これが後の商社設立に繋がることとなる。翌慶応3年(1867年)、株式会社「兵庫商社」の設立案を提出、大阪の有力商人から100万両という資金出資を受け設立した。
これは資本の少なさから日本商人が海外貿易で不利益を被っていることを受け、解決には大資本の商社が必要との認識によるものであった。
100万両という設立資金は、当時設立されていた株式会社の中でも大きく抜きん出たものであった。
8月9日、日本初の本格的ホテル、築地ホテル館の建設が始まる。これは小栗の発案・主導のもとに清水喜助らが建設したもので[43]、翌年8月10日に完成する。
このように、小栗の財政、経済及び軍事上の施策は大いに見るべきものがあり、その手腕については倒幕派もこれを認めざるを得なかった。
慶応3年10月14日(1867年11月9日)、15代将軍徳川慶喜が朝廷に大政奉還。翌慶応4年(1868年)1月に鳥羽・伏見の戦いが行われて戊辰戦争が始まる。
慶喜の江戸帰還後、1月12日から江戸城で開かれた評定において、小栗は榎本武揚、大鳥圭介、水野忠徳らと徹底抗戦を主張する。この時、小栗は「薩長軍が箱根を降りてきたところを陸軍で迎撃し、同時に榎本率いる旧幕府艦隊を駿河湾に突入させて艦砲射撃で後続補給部隊を壊滅させ、孤立化し補給の途絶えた薩長軍を殲滅する」という挟撃策を提案した。後に、この作戦を聞いた大村益次郎が「その策が実行されていたら今頃我々の首はなかったであろう」として恐れたという逸話がある[45][46]。実際、この時点において旧幕府側は、鳥羽伏見の戦いに参加していなかった多数の予備兵力を保有していたが[47]、慶喜はこの作戦を退けて勝海舟の恭順論を採った。
ただし、一方で慶喜は和戦両論の構えを取っており、横浜の警備体制を増強して、箱根関と碓氷関に目付を派遣し、官軍を迎え撃つ体制を強化している。小栗の作戦を却下した理由としては、その時点での慶喜はあくまで武備恭順の姿勢であり、家臣団が小栗の意見に引きずられて武備恭順の域から逸脱するのを防ぐためだったと推測されている。慶喜としては抗戦の意思を捨てる気はないものの、薩長の官軍化に困惑する味方を安心させる為、朝廷に対して恭順の意思を見せる必要があり、明確に敵対の意思を示す小栗の作戦は受け入れることが出来なかったとされる[48]。なお、幕臣のほとんどは主戦論を唱えていたが、小栗の作戦以外にも「軍艦で大坂城を攻撃する」「富士川で官軍を食い止める」「碓氷峠を防衛線にする」など様々な作戦が提案される議論百出の状態で、一つの意見に集約できる状態ではなかったという。
慶応4年(1868年)1月15日、江戸城にて勝手掛老中松平康英から呼出の切紙を渡され、芙蓉の間にて老中酒井忠惇、若年寄稲葉重正から御役御免及び勤仕並寄合となる沙汰を申し渡されると、同月28日に「上野国群馬郡権田村(現在の群馬県高崎市倉渕町権田)への土着願書」を提出した。
旧知の三野村利左衛門から千両箱を贈られ米国亡命を勧められたものの、これを丁重に断り、「暫く上野国に引き上げるが、婦女子が困窮することがあれば、その時は宜しく頼む」と三野村に伝えた。
また、2月末に渋沢成一郎から彰義隊隊長に推されたが、「徳川慶喜に薩長と戦う意思が無い以上、無名の師で有り、大義名分の無い戦いはしない」とこれを拒絶した。
3月初頭、小栗は一家揃って権田村の東善寺に移り住む。
当時の村人の記録によると、水路を整備したり塾を開くなど静かな生活を送っており、農兵の訓練をしていた様子は見られない。
慶応4年(1868年)閏4月4日、小栗は東山道軍の命を受けた軍監豊永貫一郎、原保太郎に率いられた高崎藩・安中藩・吉井藩兵により東善寺にいるところを捕縛され、閏4月6日朝4ツ半(午前11時)、取り調べもされぬまま、烏川の水沼河原(現在の群馬県高崎市倉渕町水沼1613-3番地先)に家臣の荒川祐蔵・大井磯十郎・渡辺太三郎と共に引き出され、斬首された。享年42。
死の直前、大勢の村人が固唾を飲んで見守る中、東山道軍の軍監に対して、小栗の家臣が改めて無罪を大声で主張すると、小栗は「お静かに」と言い放ち、「もうこうなった以上は、未練を残すのはやめよう」と諭した。
そして原が、「何か言い残すことはないか」と聞くと小栗はにっこり笑い、「私自身には何もないが、母と妻と息子の許婚を逃がした。どうかこれら婦女子にはぜひ寛典を願いたい」と頼んだという。
処刑の順序は荒川・大井・渡辺・小栗の順だったという。
原は後に、「小栗は自分が斬った」といっていたが、地元の研究者によれば、安中藩の徒目付浅田五郎作が斬ったという説もある。

評価
大鳥圭介 「小栗は、剽悍な人物で、議論の盛んにした。武芸には達したが、洋書を読みこなすまではいたらず、洋学者から話を聞いては、世界情勢に留意していた。私どもが、(小栗の屋敷へ)行くといつも世界情勢の事を聞くから、知っている事を話したが、記憶力は非常に強い人であった」
勝海舟
「眼中ただ徳川氏あるのみにして、大局達観の明なし」
「小栗上野介は幕末の一人物だよ。あの人は精力が人にすぐれて、計略に富み、世界の情勢にも略ぼ通じて、しかも誠忠無比の徳川武士で、先祖の小栗又一によく似ていたよ。あれは三河武士の長所と短所とを両方具えておったのよ。しかし度量の狭かったのは、あの人のためには惜しかった」
西郷隆盛 「偉大なる権謀家」[73]
大村益次郎 「幕府でもし小栗豊後守の献策を用いて、実地にやったならば、我々はほとんど生命がなかったであろう」[74]
大隈重信は小栗について「明治政府の近代化政策は、小栗忠順の模倣にすぎない」と語った。
大隈の妻である綾子は小栗の親族であり、幼少時には兄の三枝守富とともに小栗家に同居していた時期があった。
大隈は時流を先読みして行動する小栗の姿勢について感化を受けていたといえる。
明治45年(1912年)7月[78]、東郷平八郎は自宅に小栗貞雄と息子の又一を招き、「日本海海戦に勝利できたのは製鉄所、造船所を建設した小栗氏のお陰であることが大きい」と礼を述べた後、仁義禮智信としたためた書を又一に贈っている。
「三井財閥中興の祖」三野村利左衛門は、かつて小栗家で中間を務めた[79]。三井組に入ったのは小栗との交流があったからこそである[80]。慶応4年(1868年)以降に三井組が新政府へ資金援助を始めたのは、小栗の助言によるとする説もある。
三野村利左衛門 「もし先主小栗をして今日にあらしめ、財政の要路に立たしめたならば、国家の財政を利益したること測り知る可からざるものがあったであろう。余の為す所の如きは、先主よりこれを見れば、児戯に過ぎざるのみ」


明治維新の敗者たち

2019年11月05日 20時31分54秒 | 社会・文化・政治・経済


 
 
 
 
 

還付金詐欺で男4人逮捕 女子大生が裸写真で脅され受け子に 警視庁

2019年11月05日 19時32分24秒 | 社会・文化・政治・経済

11/5(火) 産経新聞

還付金詐欺で高齢男性からキャッシュカードをだまし取ったとして、警視庁組織犯罪対策特別捜査隊は詐欺容疑で、住所不定、無職、米元貴哉被告(33)=逮捕監禁致傷罪などで起訴=ら21~33歳の男4人を再逮捕した。同隊は4人の認否を明らかにしていない。

同隊によると、この特殊詐欺事件では、別の20代男に裸の写真を撮られて脅迫された20代の女子大生が受け子を担当。女子大生は男の指示で引き出した現金50万円を持ち逃げしており、4人は女子大生と男をそれぞれ車などに監禁していたという。女子大生は解放後に群馬県警に出頭し、一連の事件が発覚した。

 4人の再逮捕容疑は5月30日、宇都宮市に住む無職男性(82)に対し、市職員や銀行員をかたり「市役所からの還付金がある」「キャッシュカードを交換する必要がある」などと電話。男性からカード1枚をだまし取ったとしている。

 



 

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11/5(火) 産経新聞

還付金詐欺で高齢男性からキャッシュカードをだまし取ったとして、警視庁組織犯罪対策特別捜査隊は詐欺容疑で、住所不定、無職、米元貴哉被告(33)=逮捕監禁致傷罪などで起訴=ら21~33歳の男4人を再逮捕した。同隊は4人の認否を明らかにしていない。

同隊によると、この特殊詐欺事件では、別の20代男に裸の写真を撮られて脅迫された20代の女子大生が受け子を担当。女子大生は男の指示で引き出した現金50万円を持ち逃げしており、4人は女子大生と男をそれぞれ車などに監禁していたという。女子大生は解放後に群馬県警に出頭し、一連の事件が発覚した。

 4人の再逮捕容疑は5月30日、宇都宮市に住む無職男性(82)に対し、市職員や銀行員をかたり「市役所からの還付金がある」「キャッシュカードを交換する必要がある」などと電話。男性からカード1枚をだまし取ったとしている。

 



 

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わいせつ行為生中継した疑いで逮捕 売り上げ4.9億円

2019年11月05日 18時07分38秒 | 社会・文化・政治・経済

11/5(火) 朝日新聞デジタル

女性のわいせつな行為をアダルトサイトで生中継したとして、警視庁は、東京都豊島区南池袋1丁目の自営業内山隆志容疑者(38)を公然わいせつの疑いで逮捕し、5日発表した。調べに対し、容疑を一部否認している。

内山容疑者は、撮影場所として池袋駅周辺の高級マンションの部屋を複数借り上げ、ツイッターなどで女性に「出演」を持ちかけていたという。警視庁は2014年6月以降、このサイトから計約4億9千万円が支払われたのを確認。実態の解明を進めている。

 保安課によると、逮捕容疑は8~10月、動画配信サイト「FC2ライブアダルト」を使い、いずれも無職の23歳と24歳の女2人が池袋のマンションなどでわいせつな行為をする様子を生中継で配信し、サイト利用者に閲覧させたというもの。警視庁は女2人も同容疑で逮捕した。

 同サイトは視聴時間に応じて課金される仕組みで、今回の事件では1分あたり1円~600円の設定だった。内山容疑者はサイトから毎月1200万円ほどを受け取り、自らの取り分は500万~600万円。女2人は内山容疑者から60万~100万円を得ていたという。

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情と理 -カミソリ参謀回顧録- 下

2019年11月05日 12時32分18秒 | 社会・文化・政治・経済
 
後藤田 正晴  (著), 御厨 貴 (監修)

1987年に「通過供給の伸び率が二桁以上なのに、物価が上がらぬ-事態を見とがめたのが後藤田 正晴官房長官だった。
日銀総裁と大蔵省(現財務省及び金融庁)の銀行局長を問い詰めた。

「このカネはどこへ行ってるんだ。海外での(野放図な)不動産・ゴルフ場買い、国内は不動産投機(ではないのか)。金融引き締めをやったらどうか」
だが、日銀は動かなかった。
大蔵省が不動産融資を規制したが、不十分で、バブル破裂の傷を深めた。
当時の政治課題は円高対策と赤字国債ゼロ。
輸出業者の損を金融で支え、税収を増やすため、バブルは便利な環境だった。

そして、バブル崩壊へ向かったのだ。


内容紹介

「死去の直前までの10数年間、何かが起きるたびに、それをどう見たらよいのか、その『診断』を求めたくなるのが私にとって後藤田氏だった」(「解説」より)
筑紫哲也氏(ジャーナリスト)推奨!

中曽根内閣の官房長官で辣腕を振るい、歴代の政権にも隠然たる影響力を持った男・後藤田正晴――混乱する政局を舌鋒鋭く斬り、“カミソリ”の異名を取った彼の直言は、各界から幅広い支持を得てきた。

そんな著者が自らの波瀾の人生を振り返った、貴重な戦後政官界の秘史が本書である。下巻は、田中派支配、中曽根内閣官房長官時代の秘話、田中派分裂、リクルート事件、連立政権誕生などを収録している。

※本書は、1998年6月に小社より刊行された『情と理――後藤田正晴回顧録』に一部加筆・修正を加えたものである。

内容(「BOOK」データベースより)

中曽根内閣の官房長官で辣腕を振るい、歴代の政権にも隠然たる影響力を持った男・後藤田正晴―混乱する政局を舌鋒鋭く斬り、“カミソリ”の異名を取った彼の直言は、各界から幅広い支持を得てきた。そんな著者が自らの波瀾の人生を振り返った、貴重な戦後政官界の秘史が本書である。下巻は、田中派支配、中曽根内閣官房長官時代の秘話、田中派分裂、リクルート事件、連立政権誕生などを収録している。

著者について

ごとうだ・まさはる―1914年、徳島県美郷村(現吉野川市)に生まれる。1939年、東京帝国大学法学部卒業。2005年9月19日、91歳で死去。1976年に衆議院議員に徳島全県区より初当選、以後7期連続当選。その間、法務大臣、副総理などを歴任。中曽根内閣では他派閥である田中派から官房長官に異例の抜擢をされ、以降通算3期を勤めた。鋭い舌鋒や認識力からカミソリ後藤田とあだ名され、長く権力の中枢に在った。内閣危機管理室の創始者としても知られる。

みくりや・たかし―1951年4月27日、東京都に生まれる。東京大学先端科学技術研究センター教授。専門は、日本政治史。東京大学法学部卒業後、同助手、東京都立大学法学部教授、政策研究大学院大学教授を経て、現職。東京都立大学名誉教授。アメリカ流のオーラル・ヒストリーの手法を日本に持ち込んだ。1996年、『政策の総合と権力』でサントリー学芸賞、1997年に『馬場恒吾の面目』で吉野作造賞を受賞した。

 

上巻に続き、読み応え満点の一冊。改めて「官房長官」が内閣の鼎ないしはハブであることを感得。更に、その持つべき資質としてはやはり、各種情報(インテリジェンスを含む)の「分析力」に優れていることはもちろんとして、このボタンを押せは国内外で政府・民間を問わずどのような動きなり影響が喚起されるのかについての「想像力」、主体的に収集しあるいは集まってきた情報を単に近視眼的に読み解くのではなく歴史的かつグローバルなパースペクティブに再置して中長期の視点から吟味・解釈して断を下す「判断力」、仲間うち(インナー)への配慮に堕すことなく公平に徹ししかし恩義や義理人情も忘れないといった「人間力」、バランス感覚をもってこれらの能力を活用できる「総合力」(ある面においては「調整力」)といった諸力が必須であることを教えられた。聞き書(オーラル・ヒストリー)形式であるので基本的に「名著」という表現にはなじまないような気もするが、まごうことなき「傑作」対談である。

「田中角栄さん自身は自分の派閥からは候補者を本当は出したくないんですよ。要するに、自分の派から総理総裁が出ると、自分の派閥そのものが田中さんからそちらの方に流れていく。そういう心配を持つのは、政治家として当然ですからね。」(58頁)
「僕は素人でわからんけれど、こんなに金が出回っておって、しかも物価は上がっておらんよ。経済成長だってはるかに低いよ。・・・・・・ このお金はどこへ行ってるんだ。・・・・・・ 赤字国債をゼロにするという考え方から見るならば、バブルがいいんですよね。税収がどんどん自然増収として上がってくる。その自然増収で赤字国債の発行を抑えていったのだから。・・・・・・ 要するに、どんどん過剰流動性となっているのを、当然規制すべき銀行行政が十全の作用をしなかった。それが今日に至っている。」(144~6頁)
「二階堂擁立劇と税制改革劇において金丸さんが中曽根内閣を支えた実績、仕事ぶりが、のちに中曽根さんが竹下さんを後継者に指名することにつながっていったということです。」(192頁)
「ところが、佐々淳行君が、私が訓示をしたと言うんだな。僕はそんなこと言ったことがないと言ったら、書き物を持って来たんだ。ひとつは、省益を忘れ、国益を追え。二番目は、嫌な悪い事実まで報告せよ。三番目は、勇気をもって意見具申せよ。どういたしましょうかと言うな。四番目が、俺の仕事ではないと言うな。五番目が、決定が下ったならば、必ずそれに従え、そして実行せよ。これが五訓と言うんだそうですよ。僕は忘れていた。五つの訓えだと。これはあそこに勤務するものが絶対に心得てくれないといけない。今でも変わらないことです。とかく母屋を見てるんですよ。それは人事ですよ。これは会社にも適用できるんじゃないですか。」(207~8頁、「あそこ」とは内閣安全保障室長や内政審議室長などのこと)
「憲法というのは、国民が作るのであって、自主であるのは初めから決まっていることではないか。自主憲法という言葉自体は今日的な意味は持っていない。だからこの言葉は改めるべきであるという考え方を持っていた。」(344頁)

しかし、第14章を読むと、やはりどんな組織(特に日本の?)でも出世のためには、人事を含めいわゆるback office業務万象を理解・把握し、調整能力に長けていることが決め手となることを実感させられる。なお、つまらない話だが、363頁の「パテント」は「トレードマーク」であろう。さて、次は『聞き書 野中広務回顧録』を読む予定です。
 
 
本書は後藤田元副総理のオーラルヒストリー。戦中から最近まで政官界の内情を詳しく論じていて、いろいろな読み方ができる。
一つの読み方としてはは、内部者でしか知り得ないたくさん事実が散りばめられているので、それらを追っていくだけで面白く読むことができる。例えば、現皇太子殿下がロンドンに留学する際に、PLOに対して誘拐事件を起こさないよう世界中の過激派に徹底するよう依頼したことはほとんど知られていないのではないか。
もう一つの読み方は、後藤田氏の仕事に対する考え方を吸収するというもの。仕事に対する心構えとして「五訓」が紹介されている。また、重大な事柄を決める際には、憲法・法律の内容をきちんと確認してから物事を進めるという考え方が随所で記載されている。法律を整備せずに近道を取るのはなし崩しを招く、と氏は何回か強調している。
カミソリといわれた後藤田氏の考え方がよくわかる良書。


上巻が主に後藤田氏の官僚時代を対象としていたのに対し、この下巻は政治家時代を対象にしている。本書を手にとる読者の大半のお目当てがこの下巻、特に後藤田氏の官房長官時代の記述だろうが、政治家としての当たり障りのないコメントとなってしまっていると思われる個所が少なく無く、個人的には上巻よりも舌鋒が鈍っているように感じた。

しかしながら、大韓航空撃墜事件、イラン・イラク戦争、PKOといった日本中を揺るがした大事件の内幕が本書を読むと垣間見えるので、非常に興味深かった。また、宮澤内閣退陣後に後藤田氏を自民党の首班にしようという動きがあったことを本書を読んで初めて知った。本書は田中派の全盛期と崩壊を記した書物という一面も持っており、そのダイナミズムには驚かされた。

政治家、行政官、そして政治学者にとって、本書は必読書であろう。



 

 


 

 

 
 
 
 
 

 

情と理―後藤田正晴回顧録〈上〉

2019年11月05日 12時20分10秒 | 社会・文化・政治・経済
 

内容紹介

「政」と「官」の真相を知りつくした男が、すべてを明らかにした!

カミソリと言われた男は何を見てきたのか!
警察庁長官、内閣官房長官、自治大臣、法務大臣、副総理を務め、その群れを抜く緻密な情報分析で国家の危機管理を巧みになし遂げてきた男の生き方とその政治哲学。

内容(「MARC」データベースより)

負けず嫌いのがんばり屋だった青少年期。内務省入省から徴兵、そして敗戦。警視庁に入り警察の組織を刷新。事件多発の警察庁長官時代。そして政治家の道へ。政と官の真相を知り尽くした男が、すべてを明らかにする。

著者について

1914年(大正3年)、徳島県生まれ。東京帝国大学法学部卒業後、1939年、内務省に入省。以後、自治省官房長、警察庁長官、内閣官房副長官を経て、1976年、旧徳島全県区から衆議院議員に当選し、以来当選7回。その間、自治相、内閣官房長官、総務庁長官を歴任し、宮沢内閣で副総理兼法相を務めた。1996年9月に政界からの引退を表明したが、国家の危機管理への手腕に加え、政界の危機に何度も立ち会った「御意見番」には、歴代首相から若手議員まで、いまでも重要な判断を仰がれるほどの大きな影響力を持っている。著書に『政治とは何か』『内閣官房長官』『政と官』などがある。


その後、竹下登や宮沢喜一等の何人かの政治家の聞き書き回顧録が出版されたが、その多くが床屋談義的なもので、内容の充実度で本書に迫るものは見当たらない。その発言内容にあいまいさがなく、論理、趣旨が非常に明解である。
後藤田氏が、副総理後、周りの流れに乗って首相になっていれば、日本はどのうように変わっていたかと思うと残念でならない。

元警察庁長官にして、法務大臣・官房長官を歴任した、著者の回顧録である。
この手の本の多くは自慢話に終始するのだが、同書はやや趣が違う。
旧内務省の様子や処遇、人事も含めて、戦前・戦後の官僚・警察史としての価値もある。
絶大なる権力を手中にした彼の回顧録に特別な吐露や暴露がなく、淡々とした記述が続くのだが、その中に人心掌握や権力に対する本心が見え隠れしているのも、著者の意図したところならば、その手腕は認めないといけない。



 《徳島では海浜に住む人たちを海部族(かいふぞく)と呼んで、山地に住んでいる者を忌部族(いんべぞく)と呼ぶんだが、忌部族は真面目で融通がきかず、世渡りも下手なのに対して、海部の人は融通がきいて世渡りがうまい、海部には嫁を出しても嫁を貰うなと、忌部の人たちは昔は言っていたようです。私は忌部の出ですよ》(p.16)といきなり民俗学的な話から始める。

 後藤田さんは1940年3月に陸軍に。従七位高等官の二等兵というのは後藤田さんが入った連隊では初めてだったとか。
台湾歩兵第一連隊に配属されて敗戦まで台湾で過ごします。《国運のかかる戦争に必勝の公算もないまま突入するのはどういうことかとの疑念も頭をかすめた》(p.53)、《こちらは敗戦でうちひしがれている。昨日までいっしょに仲良くやっていた台湾の人が、爆竹をあげて解放感を味わっているわけですから。だから、所詮は植民地統治なんてできるもんじゃないです。その時は本当に身にしみてかんじました》(p.57)とも。

 意外だな、と思った感想が《海軍くらい宣伝のうまい軍隊は少ない》(p.58)ということと、戦後《いちばんずるく立ち回っているのはドイツなんですよ》(p.174)。というあたり。欧米流の合理主義もあってスマートだったと喧伝されている旧海軍ですが、そんなのも含めて実は宣伝なのかもしれませんな。そして、ナチスが政権を握っていた時のドイツはドイツではないとして、そのかわり外国人特有のしつこさで戦犯を捕まえてているドイツも、考えてみれば「いかがなものか」なのかもしれません。

 

 

 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

世界バブル、破裂?=山田孝男

2019年11月05日 12時00分36秒 | 社会・文化・政治・経済

風知草

毎日新聞2019年11月4日

そう遠くない将来、資産バブルが、たぶんアメリカで破裂する――。

 そんな予測を、ばい煙が薄れ、秋天が広がる10月末の北京で聞いた。

 発言の主は山口広秀・元日本銀行副総裁(68)=現日興リサーチセンター理事長=

である。

第15回「東京―北京フォーラム」(言論NPO、中国外文局主催)で、山口元副総裁は「世界経済が直面する課題と日中の責任」と題して講演した。


元巡査部長、妻子3人殺害を否認…福岡地裁で初公判

2019年11月05日 11時41分19秒 | 社会・文化・政治・経済

11/5(火) 読売新聞

福岡県小郡(おごおり)市の自宅で妻子3人を殺害したとして、殺人罪に問われた元県警巡査部長、中田充(みつる)被告(41)(懲戒免職)の裁判員裁判の初公判が5日、福岡地裁(柴田寿宏裁判長)であった。中田被告は「一切身に覚えがない。事実無根です。間違いなく冤罪(えんざい)です」と起訴事実を全面的に否認し、無罪を主張した。

起訴状では、中田被告は2017年6月5日深夜から同6日未明、同市の自宅で、妻・由紀子さん(当時38歳)と小学4年の長男・涼介君(同9歳)、同1年の長女・実優(みゆ)さん(同6歳)の3人の首を圧迫したり、絞めたりして殺害したとしている。被告は当時、県警通信指令課に勤務していた。

検察側は冒頭陳述で、被告は05年に由紀子さんと結婚して以降、由紀子さんから生活態度などを注意され、県警の同僚に「死んでほしい」と漏らしていたと主張。

残業と偽ってギャンブルなどに興じ、事件当日には、由紀子さんから励まされていた昇任試験に落ちた連絡があったことを指摘した。さらに、「被告には子ども2人を殺害する動機となり得る事情があった」と述べ、今後の証人尋問などで立証するとした。

一方、弁護側は「一つ一つの証拠を積み重ねても、被告が犯人とは断定できない」と反論した。

 

最終更新:11/5(火) 11:35
読売新聞オンライン

 

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災害ごみ、事前の処理計画策定は3割 長期化の可能性も

2019年11月05日 08時01分08秒 | 社会・文化・政治・経済

2019年10月29日朝日新聞

台風15号、19号、さらに21号と今秋相次いで台風の被害を受けた東日本各地で、浸水した家屋などから出る大量の災害廃棄物の処理が課題となっている。

台風被害を受けた17都県にある市区町村で、国が求める事前の処理計画を策定していたのは3割にとどまり、ごみの仮置き場を事前に決められず、対応が後手に回る事態も起きている。

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【主張】災害ごみ 広域連携し早急な処理を
2018.7.25 産経新聞

 西日本豪雨の被災地では、膨大な量の災害ごみが問題になっている。

 被災自治体では処理能力を超えている。国の主導で自治体が広域連携し、一日も早く処理を急がなければならない。

 広範囲の浸水に見舞われた岡山県倉敷市真備町では、大量の災害ごみが中学の校庭などに運び込まれ、道路沿いにも積まれた。

 倉敷市が作っていた災害廃棄物処理計画では、南海トラフ地震発生時でも真備地区のごみの量は1・9万トンだった。しかし今回の豪雨では、7万~10万トンに達すると推計されている。

ほかにも広島県三原市など、豪雨で大量の災害ごみが出た自治体は多い。

 この猛暑である。泥水に漬かった家具やがれきは乾いて土ぼこりを上げ、腐敗した生ごみなどは悪臭を放ちもする。

 ほこりには細菌やウイルスが混じっている可能性が指摘されており、被災地の衛生状態を悪くしている。

 真備町では結膜炎の症状を訴える人が多い。ほこりが原因になっている可能性がある。

 ごみから火災が発生する恐れも拭えない。

 環境省が調整役になって広域処理を行うことになっている。動きを加速させなければならない。被災地以外の自治体などを仲介して、被害が大きかった地域の負担を減さなければならない。
政府は大雨被害を激甚災害に指定することを閣議決定した。復旧事業への国の補助率が引き上げられる。国を挙げ、スピード感を持って復旧に臨まねばならない。

 東日本大震災でも、膨大なごみを都府県をまたいで広域処理することが必要になった。今回は猛暑下で被災者の健康への影響が懸念されているだけに、取り組みを急ぐ必要がある。

 ほこりが多い所では、暑くてもマスクやゴーグルは体を守るために必要だ。それを踏まえた熱中症対策も十分に心掛けたい。
災害廃棄物処理計画に関する課題も浮かび上がった。

 災害ごみの処理方針を定めた計画を作っていた市区町村は、昨年3月時点で、24%にとどまっていた。豪雨の被災地でも作っていなかった自治体があり、初動の遅れにつながった。
日頃の備えの大切さを再確認したい。