イギリスから独立したアメリカの思想に夏目漱石が共感を示した点である。
この彼が共感をもって受容したアメリカの思想こそ、ホイットマンの文学に浸透していた民主主義思想に他ならない。
アメリカ民主主義のもつ個人主義的性格は、ホイットマンに先立ち、エマソンによる自
恃論のなかにも垣間見ることができる。
『民主主義と教育』(Democracy and Education)の著者でも知られる、プラグマティズムの哲学者デューイ(John Dewey,1859-1952)は、エマソンを「民主主義の哲学者」と呼ぶ。
「自己の個性の発展を遂げようと思うならば、同時に他人の個性も尊重しなければなら
ない」、「自己の所有している権利を行使しようと思うならば、それに付随している義務というものを心得なければならない」、「自己が全力を示そうと願うならば、それに伴う責任を重んじなければならない」である。
組織に所属する者にはなかなか判らない見識かもしれないが、漱石が提示する「個人主義」は決して自分勝手に何をしてもよいというものではなく、常に自己責任と義務を伴うものであり、また同時に他人の個性をも尊重しなければならないものでもある。
ここでは、自分が生きる道は他人に従い、他人の価値観によって引きずられて生きるのではなく、自分で見いだすと説かれている。
そのうえで、その出発点に立てたら、自分の仕事に邁進することが大事であり、そ
うしなければ一生の不幸であると述べている。
1892年10月に漱石は「文壇における平等主義の代表者『ウォルト・ホイットマン』の詩について文章を著す。
漱石は、ホイットマンの「独立精神」を称揚し、その「独立精神」から自身の「個人主義」の形成に大きな影響を受ける。
彼は西洋人の近代的個人主義に感化
されながらも、無批判な西洋化の風潮を拒絶する
一方、帰国後は日本の封建主義の残滓という「世
間」から脱皮を図ろうと試みる。
他人本位というのは、自分の酒を人に飲んで貰って、後からその品評を聞いて、それを
理が非でもそうだとしてしまういわゆる人真似を指すのです」。
「私の個人主義」の中では、漱石はイギリス留学中に自分の生きるべき道を決めたと述懐しているが、この作品のライトモチーフは、「自己本位」とは何かを立証することであった。
その後、心の内部を掘り下げながら、近代的自我をぎりぎりまで追求した漱石が最後にたどり着いた境地は、「許す」ことを理想とする立場であった。
それは晩年に彼の揮豪に見られる「則天去私」の思想に通ずる。
個人の自我を超えた大きな存在(天)に、自分を委ねる生き方である。
天に委ねることで人に寛容であり、何ものをも包摂できるという、ある種の悟りであった。