アロマテラピー学習ブログ

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参照。

アーユルヴェーダ (インド伝統医学)

2008-03-13 21:53:13 | アロマテラピーの歴史
チャラカとスシュルタの二人のリシ(神仙)の名のついた二つの
サンヒターは、インド医学書の二大権威である。

■ 「チャラカ・サンヒター」

1 総説篇(30)
2 病因篇(8)
3 病理篇(8)
4 身体篇(8)
5 感官篇(12)
6 治療篇(30)
7 毒物篇(12)
8 成就篇(12) 計120章

内容は医術のみならず倫理学、哲学にも関連し、原始ヴァイシェーシカ(勝論)や
ニヤーヤ(正理派)の哲学思想、論証形式が見出だされる。特徴的なユクティ思想
によって論理と科学との融合をはかっている。
チャラカ・サンヒターは紀元前8世紀、プナルヴァス・アートレーヤ医師の6人の
弟子、アグニヴェーシャ、ベーラ、ジャトゥーカルナ、パラーシャラ、ハーリータ、クシャーラパーニの著した各サンヒターのうち、最もよく出来ていた「アグニヴェーシャ・サンヒター」を、紀元100年ごろのアーユルヴェーダの名医チャラカが改定したことで「チャラカ・サンヒター」と呼ばれるようになった。チャラカの没後、9世紀になってドゥリダバラというアーユルヴェーダ医が補い、現在の形となった。

チャラカ・サンヒターが内科を中心とした古典であるのに対し、紀元前600年ごろ、外科を中心とした「スシュルタ・サンヒター」が書かれた。

■ 「スシュルタ・サンヒター」

1 総説篇(46)
2 病因篇(16)
3 身体篇(10)
4 治療篇(40)
5 毒物篇(8)
6 補遺篇(66) 計186章

「スシュルタ・サンヒター」が外科を中心にしているのには、成立当時の社会的
背景の相違が関連している。もともとインド伝統医学の基本はトリ・ドーシャ
のバランスをとり、うまく同調させ、動的な平衡状態(ホメオスタシス)におく
ことを目標としているので内科的といえる。
インド西北部で成立したアートレーヤ派の医学がバラモン的であるのに対して、
インド東部のべレナスで成立した「スシュルタ・サンヒター」はクシャトリア的
と言える。これは「外科」にあたる原語(salya)が元来「鏃」の意であり、
身体に入った異物のメスによる除去を意味するようになったことからも考えられる。
また、「スシュルタ・サンヒター」の総説篇第43章には従軍医に関する記述が
ある。戦場における外傷の外科的治療によって技術が発達し、後に応用されて
腫瘍などの切開などの方法が確立されたと思われる。
ダンヴァンタリ系のこうした外科的技術は、この時期の世界レベルでみると驚異的
で、中には現代医学の方法とさほど変わらないものもある。


チャラカ、スシュルタと並んでアーユルヴェーダの三聖医とされるヴァーグバタは、両サンヒターに基づいて「アシュタンガ・サングラハ」(八科集)と「アシュタンガ・フリダヤ・サンヒター」(八科精髄本集)いう医書を著している。この中にはアーユルヴェーダの8つの部門の知識がまとめられている。

「チャラカ・サンヒター」、「スシュルタ・サンヒター」、「アシュタンガ・
サングラハ」をブルハットライー(三大医書)と呼ぶ。また、10世紀の
マーダヴァの「マーダヴァ・ニダーナ」(病因論)は診断学の名著である。
12世紀の「シャーランガラ・サンヒター」は薬理学・製薬学・鉱物学の知識に
貢献し、16世紀の「バーヴァプラカーシャ」は薬物学を体系化したものである。

アーユルヴェーダは無数の研究者の貢献によってとどまることなく発展してきた
医学で、現在も、近代医学の発展と科学技術の進歩を背景に、さらに知識は増え、
人類の健康を高める役割を果たしている。



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