カキぴー

春が来た

「占守(シュムシュ)島」 の終戦

2010年07月14日 | 本と雑誌

モノを書いて生計を立てている人なら、7月5日発売の浅田次郎著 「終わらざる夏」 の出版を知ったとき、「してやられた」 と悔しがったにちがいない。 なぜなら僕でさえ 「こんな凄い題材を、世の作家達は何故これまで誰も書かなかったんだろう?」 と不思議に思ったからだ。  

「戦争の体験者が、いなくなってしまう前に、この小説を書いて世に出したかった。 ギリギリのタイミングだった。」 と著者は語っているが、「誰も書かない前に、世に出したかった。 ギリギリのタイミングで間に合った」 これが本音ではないか、と思わせるぐらい「占守島」に着眼した浅田氏の構想は素晴しい。

占守島(しゅむしゅとう)は、千島列島最北端に位置し、北海道根室の東北約1200kmにある東西20km、南北30kmの小島。 海抜200m未満の丘陵と沢沼地・草原が入り混じり、樹高1mぐらいの這松や榛の木が群生している。 周囲を太平洋とオホーツク海に囲まれ、夏季は15℃、冬季はマイナス15℃ぐらいの気候。 しかし夏には濃霧の発生、冬には猛吹雪に悩まされる日が多い。

幌莚(ぱらむしる)海峡周辺、および占守島の守備を命じられていた第5方面軍・91師団は、数倍の米軍を想定し、陸海軍あわせて25000名の配備をしていた。 そして迎えた昭和20年8月15日の終戦で、日本軍は武装解除の準備に取り掛かっていた。 ところが、ソ連軍が突然上陸攻撃をかけてきたのだ。 これは北海道北部まで奪おうとする、火事場泥棒的国際犯罪。

急遽武装を整え迎え撃った日本軍は、奮戦の末ソ連側を完全に足止めし、甚大な損害を与える。 一方、島の缶詰工場で働いていた約400名の若い女子工員を独航船に分乗させ、北海道に無事逃がしている。 8月23日守備隊は上層部から再び武装解除の命を受け、泣く泣く降伏し、兵士はシベリアに送られ多くが命を落とす。 戦闘における日本軍の死者800、ソ連側3000。


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1 コメント

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Unknown (moon-furukawa)
2010-07-16 21:29:01
いつも、楽しみに読ませて頂いております。
毎回、これだけの情報を知ってるのはさすがに、頭がさがります・・・
この夏、健康で乗り切って下さい。
陰ながら応援しております♪
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