「自分の操縦で空を飛んでみい」 かねてからの強い願望が、実現に向けて動き出したのは、40代の始め頃だった。 ハンググライダーに、農業用の汎用2サイクルエンジンと、木製のプロペラを取り付けただけの 「トライク」 を、背中に背負って空を飛んだのが初飛行。 河川敷でエンジンをフル回転にし、走って浮力を付け離陸したら、後ろにぶら下がった帯状の中に足を入れ、腹ばいになって飛ぶ。 体を左右に傾けて方向を決め、半径数kmの範囲を、鳥になった気分になって飛んだ。 着陸は、失速速度までスピードを落としながら降下し、地面が近くなったら足を下げ、地に着いたら必死に走りながら停止させる。 それでも大きな怪我はしなかったから不思議だ。
その後しばらくして、車輪が付き、パイロットが着座して操縦桿を動かし、ラダーとエルロンを操作する、画期的に進化した 「ウルトラライト」(超軽量動力機) がアメリカから輸入される。 速度計と高度計が付き、時速80kmぐらいで、1時間ぐらいのフライトが可能になった。 価格は結構高く、70万円ぐらいしたのを、数人で共同所有した。
その頃になっても法的な規制はなく、飛行範囲は止めどもなくエスカレートし、 河川敷を遠く離れて、市の中心街を低空で飛んだり、自宅の上を旋回する 「郷土訪問飛行」 などを週末ごとに繰り返した。 それにも飽きて、次に始めたのが長距離飛行。 伴走車とともに、福島県の郡山市から、水郡線の終着駅 茨城県水戸市まで飛んで、那珂川の河川敷に着陸したときは、休日で多数の人が群がり、さまざまな質問攻め。 さながらリンドバーグが、パリに着いたような気分だった。 やがて誰かが通報したらしく、県警のポリスが3人来て取調べを受けたが、東京の方に問い合わせ、何の許可も要らないことが判ると、これをパトロールに使えないか? などと興味を示し、しばらく帰らなかったのを思い出す。
それから間もなくして、野放しの時代は終わった。 許可制のライセンスが必要となり、多くの制約が課されたが、一方機体は進化を続け、フロートを装着した複座の水上機が出現したり、軽飛行機と見間違えるような、密閉式キャビンの新型機も登場した。 しかし人間の欲望は際限なく広がるものだ。 限られた地域を飛ぶだけに満足せず、50歳になると、どうしても、本物の飛行機に乗りたい気持ちが抑えられない。 ついに1ヶ月ほど会社を休み、フロリダで訓練を受け、ライセンスを取得する。
我が家は、福島空港のファイナルコース上に位置しする。 朝夕、すでに車輪を降ろした旅客機が、Rway19に向けて降下していく美しい姿を見ながら、 なんとしても空を飛びたかった、あの頃が、懐かしく思い出される。
リンドバークがパリについた気分に思わずニヤリ
軽飛行の歴史を自ら刻んできた、懐かしくもラッキーな時代と思い出に、乾杯!!