昨日は映画『おっぱいバレー』を家族で観た。とっても愉快な作品だったので大満足だった。舞台は1979年の地方の中学校。私も当時中学生だったので背景や登場アイテムやBGMに懐かしさを覚えながら観ることができ、その意味でも楽しめた。
劇中のエピソードに印象に残った場面があった。それは「顔を上げて前だけを見つめて歩めば、……云々」というセリフが述べられたシーンだ。「……云々」の箇所は正確に記憶していないが、ポジティブな内容だったと思う。ともかく、そのセリフが意味・象徴しているものに対して「なるほどなあ!」と深くうなづけたのだった。
我が身を振り返ってみると、この「前だけを見つめて歩む」がいかに容易ではないか、じつにリアルに実感できる。また、現在“紆余曲折の渦中にある人”や“前を見失っている人”にとっては、さらに深くしみじみと実感できるのではなかろうか?
前以外の方向、すなわち左右を意味するのは“環境や他人”であるし、後ろを意味するのは“過去”である。このように置き換えるならば、人がいかに左右や後ろにとらわれ、かつこだわることにより前進できなくなっているか、容易に理解できると思う。前だけでなく、左右も後ろも気になったとしたら、他の誰とも異なる唯一の存在である“私自身”を生きられなくなるのは当然ではないか!? と、自戒の念を込めてあらためて気づいたわけである。
と同時に、このような状態に陥ってしまうのは、不幸にして人は「前後左右しか認識できない」からではないか? と思った。上下はもちろん“天と地”を意味・象徴するが、この二つの存在を忘れてはなるまい。私の生命に必要な空気は“天”が与えてくれている。私の足は“地”が支えてくれている。ゆえに私は未来に向かって歩くことができる。
ただ歩くのに「その他の条件も必要だ。条件が揃ってないから歩けない」と考えるなら、それはひょっとすると欲しがり過ぎではないか? ……と思った。
新年にあたって、このような決意をあらたにしたところなので、「忘れないうちに書き留めておこう!」と思った次第である(苦笑)。
余談になるが、カウンセリング過程におけるクライエントの陳述内容は「徴候から自己へ、環境から自己へ、他人から自己へ、と変化していく」という事実。「よりいっそう刻々の現在を生きるようになっていく」という事実。文章を書きながら、そんなことも連想した。
カウンセリングにおけるこれらの変化は「人格の変容に伴なうもの」だと考えているが、実際にはそれがいかに大きな変化であるか、ということ。別言すれば「刻々の現在を生きる」とか「未来に向かって歩む」という方向に転じることが、いかに重要な態度・行動の変化であるか、ということ。そしてまた、それを可能にする“心の働き”(誰もがみな本来持っている、と私は考える)がどれだけ霊妙なものであるか、ということ。
……といったことなども再認識できたところである。
劇中のエピソードに印象に残った場面があった。それは「顔を上げて前だけを見つめて歩めば、……云々」というセリフが述べられたシーンだ。「……云々」の箇所は正確に記憶していないが、ポジティブな内容だったと思う。ともかく、そのセリフが意味・象徴しているものに対して「なるほどなあ!」と深くうなづけたのだった。
我が身を振り返ってみると、この「前だけを見つめて歩む」がいかに容易ではないか、じつにリアルに実感できる。また、現在“紆余曲折の渦中にある人”や“前を見失っている人”にとっては、さらに深くしみじみと実感できるのではなかろうか?
前以外の方向、すなわち左右を意味するのは“環境や他人”であるし、後ろを意味するのは“過去”である。このように置き換えるならば、人がいかに左右や後ろにとらわれ、かつこだわることにより前進できなくなっているか、容易に理解できると思う。前だけでなく、左右も後ろも気になったとしたら、他の誰とも異なる唯一の存在である“私自身”を生きられなくなるのは当然ではないか!? と、自戒の念を込めてあらためて気づいたわけである。
と同時に、このような状態に陥ってしまうのは、不幸にして人は「前後左右しか認識できない」からではないか? と思った。上下はもちろん“天と地”を意味・象徴するが、この二つの存在を忘れてはなるまい。私の生命に必要な空気は“天”が与えてくれている。私の足は“地”が支えてくれている。ゆえに私は未来に向かって歩くことができる。
ただ歩くのに「その他の条件も必要だ。条件が揃ってないから歩けない」と考えるなら、それはひょっとすると欲しがり過ぎではないか? ……と思った。
新年にあたって、このような決意をあらたにしたところなので、「忘れないうちに書き留めておこう!」と思った次第である(苦笑)。
余談になるが、カウンセリング過程におけるクライエントの陳述内容は「徴候から自己へ、環境から自己へ、他人から自己へ、と変化していく」という事実。「よりいっそう刻々の現在を生きるようになっていく」という事実。文章を書きながら、そんなことも連想した。
カウンセリングにおけるこれらの変化は「人格の変容に伴なうもの」だと考えているが、実際にはそれがいかに大きな変化であるか、ということ。別言すれば「刻々の現在を生きる」とか「未来に向かって歩む」という方向に転じることが、いかに重要な態度・行動の変化であるか、ということ。そしてまた、それを可能にする“心の働き”(誰もがみな本来持っている、と私は考える)がどれだけ霊妙なものであるか、ということ。
……といったことなども再認識できたところである。