グレイガーデンズのパンフレットを読んでると
何度もハッとすることがあります。
ブロードウエイ(オンでもオフでも)の舞台で
支持された部分と今の日本での舞台で受け入れられた部分は
重なるところもあるし違うところもある。
同じ部分は何かと考えると、
(自分で想像出来て共感出来る範囲の)
母と娘の愛情と確執。
成功を夢みながらも叶わなかった挫折感。
人生の道筋を外れても我が道を突らぬく強さ。
底知れぬ陽気さと悩んでも「まあどうにかなるさ」のタフさ。
全てが「ああ、分かる分かる。」ではなくても
母と娘の話。
父親と母娘との微妙な距離。
男女で求めてる物、将来への希望のずれ。
家と家との色んな確執。
見に覚えがあるような、自分のまわりには無くても
身近に見聞きしたことがあるような内容で
日本でもよく知られているケネディ家が絡むお話なので
興味がわく・・というのもあるのかもしれません。
ただ やっぱり元はアメリカのお話だから
アメリカの人にしか分からない微妙な部分はあるのだろうと
思ったけど 何かは分からなくて。
パンフレットで初めて理解した箇所もありました。
ケネディ家は 言うまでもなくアメリカで一番有名な一族。
輝かしい成功者でありながら悲しいエピソードも多く
一番注目されていただろう、JFKやジャックリーンの名前も
出てくるこの作品。
(名前だけでなくオナシス夫人は出てたりもしてます)
それとパンフレットによると
オナシス夫人 後に叔母のミス・イーディに
自分のお洋服もいくつか譲ったりしていて
あのイーディファッションに一役かっていたのだそうです。
その輝かしいケネディ家の親戚が何故そんな・・?
アメリカの人にとって 国の象徴のような存在のケネディ家
(の親戚)がボロボロの壊れたお屋敷に住んでいることは
ずっと上向きだったアメリカ大国の衰退後の状況を
アイコンとして表しているかのようで。
本音では触れて欲しくない部分なのかも。
台本のダグ・ライトさんは
「グレイガーデンズは単なるボロ屋敷ではなくて
アメリカを象徴するお化け屋敷であり、
私たちの朽ち果てた夢と叶わなかった希望が
死の床を迎えた場所なのだ。」
とパンフレットで仰ってました。
だから 心を痛めながら観るものであるかもしれないし
反面 そこから逆に勇気を貰うものかもしれない。
アメリカ人にとっては もっと重いものなのでしょうね。
でも母娘として見れば 我が国の観客にもじゅうぶん重い。
テーマは同じく重いけど 観かたが違うのでしょうか。
日本だったら母と娘同じような状況だったら。
どうでしょう、もっと湿った感じ?とか。
それか 生真面目に志は高く・・みたいな感じかも。
陽気には振舞えないかもしれません。
「キャットフード間違えて食べちゃったわ、まあいいわね」
とは日本では やはり言えないと思う。
それでも美しく夢を見させてくれる綺麗な作品。
音楽も衣装も舞台装置も美しかった。
丁寧に大事に大事に作られた作品。
言葉は少し変ですが
「お会い出来て嬉しいです」と言いたくなるような作品でした。
何度もハッとすることがあります。
ブロードウエイ(オンでもオフでも)の舞台で
支持された部分と今の日本での舞台で受け入れられた部分は
重なるところもあるし違うところもある。
同じ部分は何かと考えると、
(自分で想像出来て共感出来る範囲の)
母と娘の愛情と確執。
成功を夢みながらも叶わなかった挫折感。
人生の道筋を外れても我が道を突らぬく強さ。
底知れぬ陽気さと悩んでも「まあどうにかなるさ」のタフさ。
全てが「ああ、分かる分かる。」ではなくても
母と娘の話。
父親と母娘との微妙な距離。
男女で求めてる物、将来への希望のずれ。
家と家との色んな確執。
見に覚えがあるような、自分のまわりには無くても
身近に見聞きしたことがあるような内容で
日本でもよく知られているケネディ家が絡むお話なので
興味がわく・・というのもあるのかもしれません。
ただ やっぱり元はアメリカのお話だから
アメリカの人にしか分からない微妙な部分はあるのだろうと
思ったけど 何かは分からなくて。
パンフレットで初めて理解した箇所もありました。
ケネディ家は 言うまでもなくアメリカで一番有名な一族。
輝かしい成功者でありながら悲しいエピソードも多く
一番注目されていただろう、JFKやジャックリーンの名前も
出てくるこの作品。
(名前だけでなくオナシス夫人は出てたりもしてます)
それとパンフレットによると
オナシス夫人 後に叔母のミス・イーディに
自分のお洋服もいくつか譲ったりしていて
あのイーディファッションに一役かっていたのだそうです。
その輝かしいケネディ家の親戚が何故そんな・・?
アメリカの人にとって 国の象徴のような存在のケネディ家
(の親戚)がボロボロの壊れたお屋敷に住んでいることは
ずっと上向きだったアメリカ大国の衰退後の状況を
アイコンとして表しているかのようで。
本音では触れて欲しくない部分なのかも。
台本のダグ・ライトさんは
「グレイガーデンズは単なるボロ屋敷ではなくて
アメリカを象徴するお化け屋敷であり、
私たちの朽ち果てた夢と叶わなかった希望が
死の床を迎えた場所なのだ。」
とパンフレットで仰ってました。
だから 心を痛めながら観るものであるかもしれないし
反面 そこから逆に勇気を貰うものかもしれない。
アメリカ人にとっては もっと重いものなのでしょうね。
でも母娘として見れば 我が国の観客にもじゅうぶん重い。
テーマは同じく重いけど 観かたが違うのでしょうか。
日本だったら母と娘同じような状況だったら。
どうでしょう、もっと湿った感じ?とか。
それか 生真面目に志は高く・・みたいな感じかも。
陽気には振舞えないかもしれません。
「キャットフード間違えて食べちゃったわ、まあいいわね」
とは日本では やはり言えないと思う。
それでも美しく夢を見させてくれる綺麗な作品。
音楽も衣装も舞台装置も美しかった。
丁寧に大事に大事に作られた作品。
言葉は少し変ですが
「お会い出来て嬉しいです」と言いたくなるような作品でした。