★tomoe-母のクモ膜下出血闘病日記

元気だったお母ちゃんが2004年2月17日突然倒れた。クモ膜下出血。家族の事、インターネットでできた事。体験談など。

クモ膜下出血を振り返って

2005年12月15日 | お母ちゃん★日々の様子
お母ちゃんが倒れてもうすぐ2年。
最初はグレード5で瞳孔が開ききって
まぶたを開けることさえもできなかったお母ちゃん。
今日もお母ちゃんは
『ともちゃん元気?』
とテレビ電話をしてくれる。(もちろん操作はゆう子ちゃんのヘルプ有)
ここまで回復してくれて本当に嬉しい!!
最近ようやく自力で排泄できるようになり
介護してる私たちもとても楽に
お母ちゃん自身も自信を持ち始めたような気がします。

介護する場合
1 看護士さん
2 介護士さん
3 家族

の3パターンの方がいらっしゃるわけだけど
2の介護の人は以下のことができません。
 
 注射器による注入食入れ作業
 摘便(手袋をはめて大便を出す手助け)
 吸引

私たちは家族なので、資格がなくともやって良いのだそう。
というわけで、我が家の家族はひととおりできるニセ看護士です。
(お父ちゃんがニセ院長!でもゆう子ちゃんは正看護士。)

来年の目標は
 自力で介助なく歩けるようにすること。トイレへ一人で行く。
 ご飯が口から食べられるようになる。(今はゼリーをちょっとだけ)
 もう一つある動脈瘤をどうするか?平下先生へ相談へ行く。

実はお母ちゃんには未破裂動脈瘤がもう一つある。
お母ちゃんに知らせたくなかったので、誰にも言わずにきた。
今も秘密のまま。私とお父ちゃんの悩み。
平下先生は私たち家族が最初に出会った
お母ちゃんの主治医。今は転勤されて四国の病院。
先生がいなかったら、
お母ちゃんはコイル手術(開頭せず血管から穴を埋めるハイテク手術)
をしてもらえなかった。先生の人脈とネットワークなしには
呉でコイル手術は受けられなかっただろう。。。

これも運というかご縁というか。。
先日のMRAでお母ちゃんの現在の主治医に
あれから2年たって、当時はコイル不可能だった動脈瘤も
技術が進んでできるようになるかもよ。
とアドバイスされました。もちろん、手術によるリスクもある。

私は『また裂けてしまったらもう運命だと考えたい。』
とお父ちゃんに言ったら
『この2年必死に守ってきたのに今また振り出しに戻ったらやりきれん。
 ベストだけは尽くしておきたい。
 家族も頑張れば、最重症のお母ちゃんがここまで元気になれると証明したい。』
と言う。私もそう思うのでできるだけ早く平下先生に会いに行こうと思う。

クモ膜下出血後は直後の危機を脱出すれば
 毎日毎日の変化は少なくても
 1ヶ月後、1年後、2年後、3年後は別人のように回復する病気。

来年も気をつけたいこと。
 お母ちゃんを寒さとストレスにさらさない。
 大好きパワーを送るために、お父ちゃんと私たち家族が健康でいること。
 お世話になった人々にお礼の気持ちを少しづつ伝えること。

どうか神様、ベストを尽くすので
お母ちゃんが元気になりきるまでお見守りください。



 


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2 コメント

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凡主婦の日常 (otoichirou)
2005-12-19 14:27:00
はじめまして!

お母様のご病気が回復に向かわれますように・・・。

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Unknown (tomoe)
2005-12-22 18:21:55
ありがとうございます。

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