★tomoe-母のクモ膜下出血闘病日記

元気だったお母ちゃんが2004年2月17日突然倒れた。クモ膜下出血。家族の事、インターネットでできた事。体験談など。

私にできたコト

2011年05月07日 | 独自リハビリ
お久しぶりです。

久しぶりにブログ更新です。前回書いた千葉の恩人Kさんの双子の赤ちゃんたちは
震災発生後1週間目に広島へ来て、最初の3日は私の家へ泊まってもらい
長期化することも視野に入れて、私の職場の上のフロアが空いていたので
そこに引っ越してもらって過ごしてもらいました。

 私ができたコト
まずはレストランスタッフに優しくしてあげるようお願い(一人で頑張らず、周りにSOS発信!)
市の保健婦さんを呼んで、予防接種の手続きをしたコト(バトルの上、味方につけることに成功)
市の保育所に空きがあるか確認したコト(これは結局利用せず)
市の子育てボランティアに電話して派遣登録したコト(ボランティアさんのお陰で双子ケア乗り切れました!)
赤ちゃんたちに快適な部屋と環境をできる範囲で用意したコト(我が家のベビーグッズ総出動!)
中古の冷蔵庫を運んだコト(重かった~けど離乳食づくりに活躍!)
お母さんの情報収集の為にLAN配線とノートパソコンを貸したコト
ベビーバウンサーをリサイクルショップでゲット☆
晩ご飯だけは差し入れ。(をほぼ毎日がんばれた?)

などなど。広島入りした日の晩。双子ちゃんのお母さんは青い顔をしながらも
必死でミルクをつくり、飲ませ、風呂に入れ終わって寝かしつけた後
『私がしっかりしなくちゃいけないんだけど。。。』
と言って涙を流しながら余震の恐怖や見えない放射能の恐怖を語ってくれました。
(恩人Kさんに託された、お嫁さんとその双子の男女の赤ちゃんたちとは初対面でした。。)

その後、お母さんは、元気と笑顔を取り戻しつつ
双子の赤ちゃんたちもすくすくと過ごし
約1ヶ月ほど疎開生活をされた後
長期化することを踏まえて、疎開依頼主のKさんとパパが迎えに来て千葉へ帰っていきました。。。

私が今回こうしてお世話できたことは
大変ではありましたけど
10年越しの恩返しでもありました。

Kさんは、10年前に私がイタリアへ料理留学する際にお世話してくださった方で
イタリアへ女子が一人で行く前に、ドイツの当時の自宅へ呼んでいただき
自己防衛術?とか海外のルールなんかをファミリー皆さんで教えていただき
当時禁止とは知らずにその方の子どもさん達とライン川でバーベキューをしたのも思い出。
あの時一緒に遊んだ息子さんが今28歳。そして双子のパパだなんて。。。
時の流れを感じずにはいられません。

その後、Kさんの部下を紹介していただき
広島から東京へ嫁ぎ(←ココものすごく割愛します)
お母ちゃんが倒れ、広島にウェイトを置いた生活になり
5年かかって、子供が生まれ、本格的に広島に移住(戻り)、現在に至る。。。

そして疎開を受け入れられるまでに
大人になれたこと。Kさんに恩返しができたこと。
私の息子に、自分より小さくて大切なものをお世話することの経験。

いろんな意味で良かったと思いました。

今回の経験で気づけたことは
『気に入らない人を排除するのでなくて、味方につける生き方をすると楽。』
ということでした。うまく伝えられないかもしれないけども
私にとっては本当に良い経験になれました。

市の保健婦さんにも、たらいまわしに電話しろと言わず、
介護のケアマネージャーのような存在になって
疎開ママを支える窓口的存在になって欲しいと強く要望を伝えたので
後に続く方たちが多少なりとも、手続きで疲れなくても良くなったはずと自負しています。

何より、数日前に、赤ちゃんたちの写真とお手紙をいただき
『私たちも将来、他のだれかに恩返しができたらいいな。そうなれるように頑張りたいです。』
と書いてあって、とても嬉しかったです。

いつか、大きくなった赤ちゃんファミリーと会うのが楽しみです。

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