自身が幸せであると思わない限り幸せはない。
No man is happy who does not think so.
自身が幸せであると思わないで
どうして幸せなどありえようか
考えても見よ
すべてのことが満たされる世の中
そんなものがあろうはずが無い
わが国の歴史に藤原道長という男が居た
「この世をば我が世とぞ思う望月の
欠けたることもなしと思えば」と詠んだ
この傲慢と見える男の本音を誰が知ることが出来ようか
以下その生き様を追う
同族・近親者との権力争い
最高権力者としての孤独
上司天皇との諍い・軋轢
心の中は地獄であった
心の安定する日など1日も無かった
驚くなかれ
在職中ほとんどすべての時間は闘病生活に明け暮れていた
安心して政務に専念できる時間は1秒たりともなかった
栄華の極みは見せかけだけであった
そしてトドのつまり
突っ張って詠んだのが先の歌だった
その実体と本音を誰が知ることが出来るものか
彼の人生の詳細は下記の如し
摂政藤原兼家の五男として生まれた
出世が遅れ不遇であった
左大臣源雅信の娘倫子と結婚した
源高明の娘明子と結婚した
長兄道隆が摂政となった
末子道長の不遇は続いた
父兼家が死去した
兄道兼も死去し4人の兄が順に死んでいった
五男の道長が内覧(天皇の補佐)となった
そして右大臣となった
近親の親族 藤原伊周と隆家を配流した
親族間の権力争いが絶えなかった
そして左大臣となった
藤原伊周・隆家を赦免、帰京を許した
病いのため辞職を申し出たが許されなかった
何度も辞職を申し出たが許されなかった
その後も病いは癒えなかった
病いの中でも政治の苦悩は続いた
三条天皇に譲位を迫り摂政に準じて執政を行った
病中の身であり心労が絶えなかった
三条天皇が譲位し後一条天皇が即位しても摂政を続けた
病いは苦痛の極みであったが我慢し続けた
摂政を辞したが病いは続いた
そして太政大臣にまで上り詰めた
太政大臣を辞した後も病いは続いた
しかも不治の病に重ねて眼病を患った
そのような時に「この世をば...」と詠んだのである
世は末法思想が支配していた
そして出家した
思えば悪戦苦闘の人生であった
そして死去した
道長の人生 果たして幸せと見るか
本人が現世の幸せを満喫していたら出家などするまい
それでも自身を幸福と考えて詠んだ歌
「この世をば我が世とぞ思う望月の欠けたることもなしと思えば」
よく読めば 自らを幸せと思えば幸せになるとも読める
これが悩み多き藤原道長の本音であったろう
自分のことも
他人のことも
何も知らず見かけだけで判断してはいけないのだ
※英語の部分は、MacK R. Douglas ;"How to Make a Habit of Succeeding (Motivational Series)"からの引用です。


No man is happy who does not think so.
自身が幸せであると思わないで
どうして幸せなどありえようか
考えても見よ
すべてのことが満たされる世の中
そんなものがあろうはずが無い
わが国の歴史に藤原道長という男が居た
「この世をば我が世とぞ思う望月の
欠けたることもなしと思えば」と詠んだ
この傲慢と見える男の本音を誰が知ることが出来ようか
以下その生き様を追う
同族・近親者との権力争い
最高権力者としての孤独
上司天皇との諍い・軋轢
心の中は地獄であった
心の安定する日など1日も無かった
驚くなかれ
在職中ほとんどすべての時間は闘病生活に明け暮れていた
安心して政務に専念できる時間は1秒たりともなかった
栄華の極みは見せかけだけであった
そしてトドのつまり
突っ張って詠んだのが先の歌だった
その実体と本音を誰が知ることが出来るものか
彼の人生の詳細は下記の如し
摂政藤原兼家の五男として生まれた
出世が遅れ不遇であった
左大臣源雅信の娘倫子と結婚した
源高明の娘明子と結婚した
長兄道隆が摂政となった
末子道長の不遇は続いた
父兼家が死去した
兄道兼も死去し4人の兄が順に死んでいった
五男の道長が内覧(天皇の補佐)となった
そして右大臣となった
近親の親族 藤原伊周と隆家を配流した
親族間の権力争いが絶えなかった
そして左大臣となった
藤原伊周・隆家を赦免、帰京を許した
病いのため辞職を申し出たが許されなかった
何度も辞職を申し出たが許されなかった
その後も病いは癒えなかった
病いの中でも政治の苦悩は続いた
三条天皇に譲位を迫り摂政に準じて執政を行った
病中の身であり心労が絶えなかった
三条天皇が譲位し後一条天皇が即位しても摂政を続けた
病いは苦痛の極みであったが我慢し続けた
摂政を辞したが病いは続いた
そして太政大臣にまで上り詰めた
太政大臣を辞した後も病いは続いた
しかも不治の病に重ねて眼病を患った
そのような時に「この世をば...」と詠んだのである
世は末法思想が支配していた
そして出家した
思えば悪戦苦闘の人生であった
そして死去した
道長の人生 果たして幸せと見るか
本人が現世の幸せを満喫していたら出家などするまい
それでも自身を幸福と考えて詠んだ歌
「この世をば我が世とぞ思う望月の欠けたることもなしと思えば」
よく読めば 自らを幸せと思えば幸せになるとも読める
これが悩み多き藤原道長の本音であったろう
自分のことも
他人のことも
何も知らず見かけだけで判断してはいけないのだ
※英語の部分は、MacK R. Douglas ;"How to Make a Habit of Succeeding (Motivational Series)"からの引用です。



もちろんあの懐かしい青春時代には心ときめかす相手を探すべくその頃流行りのデートとかでも行きました。先日その平等院の鳳凰堂が修復になったので少し近くまで来たので寄ってみました。
この道長が往生するとき、阿弥陀さんに連れていってもらいたいために紐を結えて臨終を迎えました。
確かにそれを思いいいなあと感じましたが、今日のブログを見て、なにか目から鱗がはがれたようです。
今から十円玉の裏を見て外からの建物の美しさだけは実感しておきます。
追伸
くれぐれも無理しないように何事も
体が資本です。
平等院鳳凰堂のシンメトリックな構成。見るたびにいつも見事な設計だと感心しています。道長はあの中の阿弥陀如来にもさんざん祈ったことでしょう。何しろ、自分が最高権力者ですから、誰にも悩みを打ち明ける人が居ませんでした。可哀想な人でしたね。
私ごとですが、今から週末まで、愛知県の碧南市へ出張です。実は夏ばてで、風邪を引いいたのか、お腹を壊したのか、一寸元気がありません。ここ数日、寝ると寒気がするので、厚着すると汗びっしょりの寝汗をかいています。自律神経がお疲れの様子です。身体が資本ですので、大事をとりたい気もありますが、予定が3ヶ月も前に詰まってしまうので、何とも仕方がありません。
まあ、許された範囲での節制と思って、数日前から完全断酒を実行しています。御身も健康に注意してください。
在職中ほとんどすべての時間は闘病生活に 明け暮れていた
安心して政務に専念できる時間は1秒たり ともなかった
「驚く無かれ」
「驚きました」
格別調べたこともなく、「この世をば・・・」を、そのままに受け止めておりましたので。
平等院の見方も変わっていたかもしれません。
それが殆ど全ての時間を闘病生活に明け暮れ、権力争いが絶えず、常に心労を抱え、栄華の極みが見せかけだったとは。当時の人々は道長ほど幸せな人間はいないと思っただろうに。
まさに氷山と同じだ。氷山が見えるのは海面上に浮かんでいる全体の1割ほど。残りの9割は海面下にあり、外からは見えない。
他人のことも同じで、外から見えるのはほんの一部。幸せそうに見えても、内部では諸々の苦しみや悩みをかかえ苦悩しているかもしれないのに、人は見かけだけで他人のことを判断しがちだ。
見かけだけで判断してはいけない・・・・心に沁みる言葉です。
もう50年近く前になりますが、小学校以来の友が大学に入り、当時1年生は宇治近くの分校、2年生以上は京都の本校ということで、我が友は平等院から徒歩数分のところで下宿していました。
私は1年遅れて同じ大学に合格、彼が京都に下宿を移ったのを受けてその後に入り、毎日学校から帰ると、とうとうと流れる宇治川のほとりを散策して楽しんでいました。
当然平等院にも足を向けようと思いましたが、なぜか平等院には入りませんでした。理由は入場料がかかること(貧乏学生の身分でしたので)、そして一番大きな理由は平等院や藤原道長の名前は知っていましたが、それ以上の知識も関心もなく、何しろ徒歩数分の距離だからいつでも行けるという思いで、結局一度も訪れることなく、京都に下宿を変わってしまったのです。
それから40有余年、数年前京都を訪れた際(京都には何度も訪れていましたが)、ふと昔下宿していた宇治が懐かしくなり、折角だからと下宿や平等院まで足を伸ばしましたが、その時も藤原道長について深い知識もなく、ただ訪れただけで終ってしまいました。
若し、今回のカフタラウさんが書かれた知識を少しでも持ち合わせていたら、いろいろ想像をたくましくし、平等院を見る眼も変わっていただろうと残念に思っています。
京都は私の心の故郷。次回京都を訪れる時は必ず平等院も訪れ、カフタラウさんのブログを思い出し、じっくり味わいたいと思っています。
当方の勝手な想像を書いてみましたら意外と反響があって驚きました。しかし、事実を繋ぎ合わせて、EQ的意識を加味して妄想を逞しくしていくと、意外と道長の本当の心境に迫っているのではないかと思ったりもしています。
宇治の下宿は良かったですね。2階の下宿の窓を開けると、鳳凰堂の赤い建物と屋根瓦が松の緑の隙間にちらちらと見えていました。夜になると、宇治川のせせらぎの音がやかましくて眠れぬほどでした。時には迷いホタルが下宿の部屋の軒先に淡い光を点滅させていました。宇治川の清流とまあるくこんもりした山々に囲まれた景勝の地。紫式部が見ていた眺めと空気を我々にも実感させてくれていたのでしょうか。その有り難味をその時には全然感じていなかったのは、仕方がありませんが、もったいないことをしました。
藤原道長のことは傲慢な男としての世間の常識に挑戦して私なりに見直しただけのことです。事実の合間に当方の妄想を挟み込んだだけです。見ればこんな見方もあるという程度でご容赦をお願いします。
福田さんや安倍さんも宇治に来て、藤原道長の人生に思いを起こしておれば、もう少しガマンできたのにと思いました。